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死産や流産を経験… 5年の不妊治療の末に迎えた奇跡の出産

たまひよONLINE

パートとライター業を掛け持ちしている“みるぶさ”です。
37歳の時に、3人の子連れで再婚しました。上の子どもたちは皆、自然妊娠。ところが再婚後、1回目の妊娠は自然妊娠でしたが38週で死産。2回目の妊娠はタイミング法(最も妊娠しやすい日を予測して妊活する方法)で自然妊娠しましたが、流産…。
その後、不妊治療を続けるものの、なかなか妊娠できずに5年が経過していました。

再婚後、初めての妊娠は38週目で死産


再婚当初は新しい家庭を守ることで精一杯で、次の赤ちゃんのことまで考える余裕はありませんでした。また、職場の同僚が出産したばかりだったので、同時期に妊娠するのもはばかられ、むしろ妊活を控えていました。

再婚後1年が過ぎた頃から徐々に妊活を開始し、すぐに妊娠することができました。38週まで順調だったのですが、ある日、胎動が感じられず、産院で診てもらうと赤ちゃんが亡くなっていることがわかりました。

私の頭の中は真っ白になりました。その時の夫の表情は、一生忘れられません。赤ちゃんを火葬した日は奇しくも父の日。夫を父親にしてあげられなかったという思いで、胸が詰まりました。

残りの卵子が少ない中での妊娠。しかし…


医師からは、母体に負担がかかるために半年は妊娠を控えるよう言われましたが、一刻も早く赤ちゃんを授かりたかった私は、死産から約3ヶ月で自己流の妊活を始めました。しかし、なかなか妊娠に至りません。

そんな時、不妊治療中の同級生と話をする機会がありました。彼女と話す中で「卵子も老化するので年齢的に急がないといけない」と思った私は、焦りの中で、不妊治療専門の病院を受診しました。

すると「体質的に卵子の減るペースが速く、残りの卵子が少ない状態。卵管も通じていない」と告げられました。その後、卵管造影検査のおかげで運よく自然妊娠できたのですが、10週目で流産してしまいました。この時、私は39歳でした。

転院して体外受精に進んだものの、卵が育たない


1年ほど、不妊治療専門の病院に通ってタイミング法を続けました。しかし、一向に妊娠に至りません。私が40歳になったのを機に夫婦で話し合い、体外受精へ進むことを決めました。

初めに訪れた病院では、BMI値(体格指数)の規定があり、25(肥満)を超えていた場合、採卵はできても移植はできないと言われました。死産以降、体重を減らせなかった私は確かに肥満体形。規定のBMI値をクリアできないと判断し、ほかの病院を訪ねました。

新たな病院で2回採卵したものの、卵が育たず断念。そして、再び別の病院を探したのです。3つ目の病院では、「卵巣が小指の先ぐらいの大きさしかないため、妊娠は難しい」と医師に言われながらも合計13回採卵しました。やはり、妊娠に至りませんでした。

不妊治療のために転職。諦めようと思ったことも


不妊治療を優先するため、仕事で迷惑をかけることが多くなり、2回の転職を経験しました。1つ目の転職先は、非正規雇用で早退や休みがとりやすいと思いましたが、実際はなかなか休みが取れずに退職。

同じ過ちは繰り返さないよう、2つ目の転職先では面接時に不妊治療のことを伝え、職場の人に理解してもらえるように努めました。しかし、42歳を過ぎてからは「年齢的に、もうやめたほうが良いのではないか」と思うようになっていました。

凍結済みの卵を移植する日のことです。あきらめきれなかった私は、「もう一度だけ、採卵してから移植してもらえませんか?」とお願いしました。特別に体調がよかったなどの理由はありません。しかし、なぜかその日は「採卵してほしい、今日採卵した卵を移植してほしい」と強く思い、先生にお願いをしていたのです。すると、この時の採卵と移植がうまくいき、ようやく妊娠することができたのです。今振り返ると、とても不思議なできごとでした。

出産予定日の前日に、無事に出産しました。
妊娠39週で出産したわが子は、体重3560g、身長50cmの大きな赤ちゃんでした。先生から「妊娠は難しい」と言われながらもあきらめず、病院を転々として不妊治療を続けました。「少しでも可能性があれば試してみたい」と半ば意地になっていたのかもしれません。
しかし、あきらめずに不妊治療に励んでよかったと思います。そして、生まれてきてくれた奇跡の子に心から感謝しています。

[みるぶさ*プロフィール]
3人の子連れ再婚後、5年の不妊治療を経験した4児のママ。就職氷河期に社会人となり、転職を繰り返して現在はパートとライター業のWワーク中です。夫と他愛のない会話を交わすことが一番の楽しみです。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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