二軍通算最多本塁打は誰?ソフトバンク・リチャードが通算90発で5年連続キング
18本塁打、54打点で3年連続ウエスタン二冠王
プロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ・ファイナルステージはソフトバンクが3連勝で日本シリーズ進出を決めた。ケガで戦線離脱していた柳田悠岐と近藤健介が復帰し、山川穂高はCS計3発と絶好調。分厚い戦力で日本ハムをねじ伏せた。
そんな一軍の躍進をこの男はどんな思いで見ているのだろうか。沖縄尚学高からプロ入りして7年目の25歳、リチャードだ。
今季一軍では15試合に出場しただけで打率.226、本塁打なしに終わったが、二軍では18本塁打、54打点でウエスタン・リーグ二冠王。これで3年連続二冠王となり、本塁打王に限っては5年連続だ。
プロ3年目の2020年から12本、12本、29本、19本、18本で二軍通算90本塁打。遠くへ飛ばすパワーは誰もが認めるところながら、一軍では2021年に7本、2022年に3本を放っただけで通算10本塁打と壁を突き破れない状況が続いている。
一軍ではファーストが山川穂高、サードが栗原陵矢という絶対的なレギュラーが君臨しており、DHも近藤健介や中村晃、外国人助っ人らが起用されることの多い状況。スタメンに割って入るには相当なアピールが必要となるのは言うまでもなく、少ないチャンスをものにできないと厳しいのが現実だ。
二軍歴代最多は161本塁打の斉藤浩行
二軍で通算最多本塁打記録を持つのは1982年から92年まで広島、中日、日本ハムでプレーした斉藤浩行。ウエスタン・リーグで2度の本塁打王に輝くなど通算161本塁打を放った。
しかし、一軍では中日時代の1989年に6本を放ったのが最多で、通算16本。レギュラーをつかめないままユニフォームを脱いだ。
熊本工から1984年ドラフト5位で巨人に入団した井上真二はイースタン・リーグ記録の通算125本塁打を放った。1989年には一軍で12本塁打を放ったが、レギュラー奪取には至らず、一軍通算16本塁打の成績を残して1998年に引退した。
慶応義塾大で東京六大学リーグ史上6人目の三冠王に輝き、1989年ドラフト1位で巨人入りした大森剛も通算120本塁打を放っている。1992年にイースタン・リーグで27本、1993年にも18本、1996年にも25本を放ち、二軍で本塁打王を3度獲得したが、一軍ではわずか5本に終わり、近鉄移籍後の1999年に現役を引退した。
1986年夏の甲子園で天理高の主将として全国制覇に導き、1986年ドラフト2位で近鉄入りした中村良二は通算110本塁打を放った。阪神に移籍した1997年に引退するまで二軍で2度の本塁打王に輝きながら一軍では1本も打てず、“ミスター・ウエスタン”と呼ばれた。後に母校・天理高の監督として甲子園に出場し、現在は大阪学院大で監督を務めている。
細川成也、水谷瞬は移籍して素質開花
二軍では本塁打を量産しながら一軍で結果を残せない「二軍の帝王」が生まれる背景にはそれなりの理由がある。確実性、順応力、メンタルなどパワー以外の何かが足りないのだろうが、リチャードがこのまま二軍で埋もれたまま終わるのはあまりにももったいない。
DeNA時代、6年で二軍通算73本塁打を放っていた細川成也は現役ドラフトで中日に移籍後、一気に素質開花。2023年が24発、2024年が23発と、一軍で2年連続20発をクリアした。
また、ソフトバンク時代は一軍出場のなかった水谷瞬も昨年の現役ドラフトで日本ハムに移籍し、2024年は一軍で97試合に出場、打率.287、9本塁打、39打点をマークした。所属球団で殻を破れなかったり、チャンスに恵まれなかったりした逸材が環境を変えることで激変する好例だ。
球団の期待を背負うリチャードが現役ドラフトのリストに載るかどうかは分からないが、いずれにしても、そろそろ「二軍の帝王」は返上したい。二軍で100本打つより、一軍で価値ある1本を打ち、お立ち台に立つ姿を見たいファンは多いはず。類まれなパワーを大舞台で発揮する日は訪れるだろうか。
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記事:SPAIA編集部