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進化を求められない「一番いいポジション」にいるのがチャーハン(大衆食ライター・刈部山本)【あの人のチャーハン】

NHK出版デジタルマガジン

進化を求められない「一番いいポジション」にいるのがチャーハン(大衆食ライター・刈部山本)【あの人のチャーハン】

 「おいしいチャーハンはしっとり」とTBS系「マツコの知らない世界」で、パラパラブームに一石を投じた大衆食ライターの刈部(かりべ)山本さん(48)。チャーハン好きの一方、ラーメンの著書もあります。「ラーメンとチャーハンの違い」や「話題を呼んだミニコミ」について伺います。

 NHK出版公式note「本がひらく」の連載『あの人のチャーハン』よりご紹介。(※本記事用に一部を編集しています)

ラーメン嫌いだった子ども時代 

埼玉県川口市で育った / 画像・山本さん提供(以下も) 

──山本さんは、東京ラーメンの歴史を辿った『東京ラーメン系譜学』の本を出されています。ラーメンも好きなんですか?

子どもの頃はあまり好きでなくて、ラーメンに目覚めたのは大学生になってからです。
というのも、母親が家で作るラーメンが好きになれなくて……。

母は、見た目と栄養を考えて、大量の野菜炒めを作って載せるのですが、子どもって、そこまで野菜好きでない。肉の方が食べたいじゃないですか。
さらに、味が濃いのは体に良くないと、粉末スープの量も減らしてしまうんです。

で、極めつけは、麺をグデグデになるまで茹でる。母の子ども時代はラーメンの品質が悪く、麺をしっかりと茹でないとお腹を壊すことがあったらしいんです。

だから子どもの頃はもっぱらチャーハンを食べていました。チャーハンであれば確実に肉にありつけるし、味がわかりやすくて好きでした。

疲れ果てた自分を救った一杯のラーメン 

背脂のラーメン

──ラーメンに目覚めたきっかけは?

大学生になって、東京で一人暮らしするようになったんです。ちょうど豚骨や背脂のラーメンがブームの頃で、「こんなにおいしいラーメンがあるのか」とカルチャーショックを受けました。

それからラーメンにハマり、社会人になってからも給料のほとんどをつぎ込んで食べ歩いていました。

──そんなにハマったんですか。

豚骨の後、豚骨魚介やWスープが登場するなど、ラーメンシーンは目まぐるしく展開しました。ネットでの情報交換も盛んで、僕は大崎裕史さんのラーメンサイトの掲示板によく書き込んでいました。

「新しい店がオープンする」「どこどこの弟子がこんなことする」みたいな情報が出ると、みんなわれ先にと一番乗りを目指して。

僕も開店日には早起きして並んだり、一日にラーメンを何杯も食べたりしていました。

ところが、そんな生活を送っているうちに、仕事の疲れも加わって20代の後半で体を壊してしまいました。

──ラーメン疲れですか。

拒食症気味になって。それでもラーメンは好きだったのでペースを落として食べていました。そんな時、かつて熱中した背脂の店にたまたま入ることがあったんです。

店内は、ブームが去った後、閑散としていて、内装も色あせて見えました。
ところが、いざラーメンを口にすると、愕然としました。

すごくおいしかったんです。涙が出そうになるほど。

自分は、これまでいったい何をしていたのか……。
「ラーメン」を味わっていたのか。「情報」を食べていたのではないか。

豚骨スープが五臓六腑にしみ渡り、しみじみ思いました。
素直に自分が食べたいものを食べればいいんだ、と。

そう自分をリセットしました。

料理に刻まれている「町の記憶」を伝えたい

──山本さんの食記事は、駅前や店に向かう道中の情景描写が描かれているのが特徴です。

谷根千の路地裏で、おひとり様専用喫茶店を営んでいたことも

一つには順を追って、思い出しながら書いているからという、書き手の事情があります(笑)。写真を結構差し込んでいるのであまり感じないかもしれませんが、実は食レポの部分のボリュームはそんなに多くないんです。

僕が一番伝えたいのは、味の子細よりも、その個人店が必要とされてきた町の成り立ちや、どんな人たちがどんな風に食べてきたからその味になったのかという、食べものに刻まれている土地の記憶なんです。

それと、積み重ねてきた時間が醸し出す店の空気。
それは現場に行かないと味わえません。

──山本さんは谷根千の裏路地で「おひとり様専用の喫茶店」を営まれていた時期もあります。本を出されている「裏町メシ屋」や、前編の「しっとりチャーハン」「町中華」もそうですが、「ノスタルジー」を感じさせるものに惹かれるのはなぜですか?

僕は昭和50年(1975年)に埼玉県の川口市に生まれました。川口は鋳物工場で知られ、子どもの頃はまだ工場がたくさんありました。そこで働く人たちの胃袋を支えていたのが町中華であり、「しっとりチャーハン」なんです。

しかし、僕が生まれた昭和50年頃を境に全国的に個人店は減少の一途をたどり、チェーン店に置き換わっていきました。川口の町も工場のあった場所に今はマンションが建ち並んでいます。

ある意味、子どもの頃なじんだ日常がどんどん失われていくのを体感してきた。町中華の「しっとりチャーハン」もその一つです。だからこそ、時代に取り残されたものに愛着や興味が引かれ、記録に残したい思いが強いのだと思います。

放課後を過ごした駄菓子屋の「ガキ帝国」

山本さんのミニコミ

──学生時代から出し続けているミニコミには、「ぼったら」「ポテト焼きそば」などが特集されています。

子どもの頃、放課後に友だちと駄菓子屋でだべっている時間が好きでした。学校でも、家でもない、その場所はまさに「ガキ帝国」。勝手に駄菓子屋通信みたいなのも作って友だちに配っていました。

「ぼったら」は入り浸っていた駄菓子屋で食べていた「もんじゃ」で、「ポテト焼きそば」も駄菓子屋メシがルーツになっている地域もあるんです。ちなみに刈部というペンネームも駄菓子屋の名前から取りました。

──「ザ・閉店」というシリーズもミニコミで出していますね。

行っても店はないという、「究極の役に立たないガイドブック」です。

もともとは取材して書いた記事の店が、ミニコミの編集中に閉店して掲載できなくなったり、出した後に閉店の情報が入ってきたりすることがよくあって。行き着くところ、全てのガイドブックは閉店情報になるんじゃないかと思ったんです。

──確かに、それはありますね。

では、閉店してしまったら店やガイドブックの価値はなくなるのかといったら、そんなことないはず。「この時代にこういう店があった」という記録は、貴重な資料になるのではと思いました。

それで、逆転の発想で、2015年に「ザ・閉店 ~ラーメンの四半世紀篇;北半球で一番使えないラーメンガイドブック」を出したところ、すごい反響がありました。

時代を彩った名店を懐かしむ人、閉店から見えてくるラーメンの四半世紀の歴史に興味を持つ人など、さまざまでした。

「米と肉と油」──シンプルにして最強の料理

昭和・平成・令和の時代を歩んできた町中華

──「ザ・閉店3」は2020年に出しています。

2020年はもともと多くの町中華が閉店の目標にしていた時期でした。

町中華は、高度経済成長期の東京オリンピック(1964年)の頃に開かれた店が多くて。店主の高齢化が進むなか「次の東京オリンピック(2020年)まで」と考えていた店が多かった。
そこに、さらにコロナも加わり加速しました。

──2020年は、一つの節目の年だったんですね。

僕は、今まさに時代の変わり目にあることを強く感じます。政界や芸能界のカネや性加害のニュースなどを見ていてもそうですよね。

飲食業も、若い世代の中からこれまでにない新しい形が出てくるのでは、と注目しています。

チャーハンはシンプル

──時代の転換で、チャーハンはどう変わるでしょうか?

変わらないでしょうね。それがチャーハンのいいところでもある。

例えば、ラーメンは出汁を何にするかによってベースの味が大きく変わります。組み合わせる具や麺の選択肢も多い。これに対し、チャーハンはいじれる部分が限られていて、あまり変わりようがありません。

いたずらに進化を求められない、一番いいポジションにいるのがチャーハンなんだと思います。
当たり前でいい。その安心感もチャーハンの持ち味です。

──逆に、それだけ時代を越えてチャーハンが愛される理由は?

なんと言っても、日本人の好きな、米を味わう料理だということだと思います。子どもにもわかりやすい味ですし。

「米と肉と油」──シンプルにして最強なのではないでしょうか。

伝えたいのは「町の記憶」と、山本さん 撮影・寺嶋崇

プロフィール

大衆食ライター 刈部山本
1975年生まれ。埼玉県川口市出身。武蔵野美術大学映像学科卒業後、広告会社勤務を経て、谷根千の路地裏や南阿佐ヶ谷でお一人様専門珈琲店を2017年まで営む。ブログ「デウスエクスマキな食卓」やミニコミ同人誌「デウスエクスマキな食堂」に、町の風景の記録や研究、その町ならではの飲食店のインプレッションをまとめるほか、各種メディアに執筆、出演。2015年、TBS系「マツコの知らない世界」の「板橋チャーハンの世界」に出演。著書に『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社)、『東京ラーメン系譜学』(辰巳出版)などがある。

●ブログ「デウスエクスマキな食卓」

取材・文

石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。

題字・イラスト:植田まほ子

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