「俳力」のある句とは──高柳克弘さんの俳句コラム【NHK俳句】
『NHK俳句』テキストの連載「誌上添削教室」は、月替わりで3人の先生が解説を担当。読者の投稿句への講評と添削のほか、毎回ひとつのテーマで俳句を考えるコラムを掲載しています。
2025年6月号の先生は、俳人・高柳克弘さんです。今回は、与謝蕪村による俳句の推敲と「俳力」という言葉を考える、高柳さんのコラムをご紹介します。
「俳力」たしかな句に
先人たちがどのように言葉を磨いたかを紹介するこのコーナー、今回紹介するのは与謝蕪村の推敲です。
方百里雨雲尽てぼたむ( ん)かな(推敲前)
方百里雨雲よせぬぼたむかな (推敲後)
「方百里」とは四方百里、つまりおおよそ四百キロ四方の範囲内。ぼたんの花が咲く上空は、雨雲が一片もなくひろびろと晴れ渡っている、という句意です。
推敲したのは、中七の部分です。比べてみると、どんな違いがあるでしょう。客観的なのは、推敲前の句です。空の広い範囲で雨雲が尽きてしまっている、ということで、とくに作為を凝らさず、対象と距離を置いて描写しています。明治時代、正岡子規のおしすすめた「写生」風の句です。
推敲後は、「ぼたん」を主語にして、「ぼたんの花が、雨雲を近くに寄せ付けない」と言っています。擬人法によって、まるで牡丹に雨雲を嫌う心があるように表現しています。そこには、蕪村の主観が色濃く反映されています。
どちらもそれぞれのよさがありますが、蕪村は主観の強いほうを成案としたのでした。ぼたんは、花の王といわれるほどの風格があります。その堂々たるさまを表すのに、雨雲を寄せ付けないほどのオーラがあると、大げさに表現しています。読者はその語気に圧倒されます。
ここで思い出されるのが、蕪村が使う「俳力」という言葉です。「俳力」とは、俳句らしいインパクトのこと。たとえば、蕪村は、ある弟子の作った、
湖の汀(みぎわ)すみけりけさの秋
という句について、もともとは季語が「秋の水」だったのを「けさの秋」に添削しつつ、よくできた句だが、「俳力」が足りないという評を述べています(「兵庫点取帖」、藤田真一編注『蕪村文集』所収)。「汀」は、水ぎわ。「けさの秋」は、秋らしさが感じられる、立秋の朝のことです。みずうみの水が澄むのを見て、秋らしさを感じているというこの句は、たとえば現代の俳句大会に投稿しても、佳作はとれそうです。しかし、その上に行くのは難しそう。高い評価を得る句は、表現や発想に、どこか非凡なものがあります。偏りや癖を恐れては、そうした非凡さにたどりつくことはできません。
むやみに目立つ言葉で人目をひきつければよいというものでもありませんが、さらっとしていて読み飛ばされてしまうというのも困りもの。「方百里」の句は、推敲によって「俳力」がいっそう増した例といえるでしょう。
『NHK俳句』テキストでは、高柳克弘さんによる読者の投稿句への講評と添削例をご紹介。「今月の佳句」3点も発表しています。
講師
高柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)
1980年、静岡県浜松市生まれ。藤田湘子に師事。「鷹」編集長。最新句集に『涼しき無』、著書に『別冊NHK俳句 脳活!まいにち俳句パズル』シリーズ、『NHK俳句 添削でつかむ!俳句の極意』など多数。
※高柳さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。
※記事公開時点の情報です。
◆『NHK俳句』2025年6月号「誌上添削教室」より
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