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さだまさしと長崎の深い関係「夏 長崎から」80年代から20年連続開催した平和コンサート

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1987年08月06日 第1回「夏 長崎から」開催日(長崎県・長崎市営ラグビー・サッカー場)

長崎で過ごした時間の記憶から生まれた、さだまさしの楽曲


さだまさしは1952年4月10日に長崎市で生まれている。

さだまさしといえば、グレープ時代の「精霊流し」にはじまり、「関白宣言」や「北の国から」、さらには山口百恵に提供した「秋桜」などのヒット曲だけでなく、根強く人気の高い「主人公」「風に立つライオン」などの幅広いレパートリーをもっている。そうした作品のなかには、さだまさしが長崎で過ごした時間の記憶から生まれた曲も少なくない。たとえば、グレープ時代の代表曲「精霊流し」は従兄の死をテーマにした曲だったし、その従兄の母親(叔母)の死を追悼する「椎の木のママへ」という曲も歌っている。

“椎の木” とは長崎に実在したジャズ喫茶で、長崎の音楽好き若者のたまり場になっていた。
余談だけれど、長崎出身の僕の友人は実際に椎の木の常連の1人で、さだまさしの従兄が亡くなった時には彼も精霊舟を担いだそうだ。その話を聞いてから、僕には「精霊流し」がよりシリアスな曲に感じられるようになった。

この他にも「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」「おむすびクリスマス」など、さだまさしの家族や身内の人間をテーマに書かれた曲も多いし、長崎という街を直接テーマにした曲も少なくない。曲名に “長崎" がつけられた曲だけでも「長崎から」「長崎小夜曲」「長崎の空」「長崎BREEZE」などがある。またNHKの『みんなのうた』になった「がんばらんば」など、長崎の方言を使った曲もある。

こうしてざっと楽曲を眺めるだけでも、生まれ育った故郷である長崎に対するさだまさしの愛が感じられるだろう。さだは非常に作家性に優れたソングライターであるために、曲を聴いた時に抽象的な物語じゃないかと感じることも多いが、曲のテーマになっているものは彼自身の実感であったり、リアルな体験だったりすることも少なくないのだ。

平和をテーマしにした野外イベント「夏 長崎から」


さだまさしの長崎に対する想いは、曲の中だけでなくその行動にも表れている。そのシンボルともいえるのが、1987年から2006年まで、毎年8月6日に長崎で開催された無料コンサート、『夏 長崎から』である。

ーー 太平洋戦争末期の1945年8月6日、アメリカ軍によって一発の原子爆弾が広島に投下された。

そして、時を経た1986年8月5日〜6日、南こうせつらの呼びかけによって、戦後40年以上経っても苦しんでいる被爆者のための養護ホーム建設を目的とするチャリティイベント、『広島ピースコンサート』が開催された。このイベントにはグラハム・ナッシュなどの海外ミュージシャンをはじめ、財津和夫、THE ALFEEなどの多彩なアーティストが出演して大きな話題に。ここに、さだまさしも参加していた。そして、広島と同じ原爆被災地である長崎でも平和への想いを次の時代に伝えていくコンサートを行いたいと考え、その実現のために奔走することになる。

最初は長崎に原爆が投下された8月9日に開催することを考えたようだ。しかし、その日の長崎市内ではさまざまな催しが行われるために、せっかくのコンサートが埋没してしまう可能があるというアドバイスを受ける。そこで、あえて広島に原爆が投下された “8月6日に長崎で” 平和をテーマにしたイベントを行おうと決め、コンサートのタイトルを『夏 長崎から』とした。

さだまさしが平和のメッセージを発信する理由


以前、僕はさだまさしから、実際に長崎で被爆した叔母についての話を聞いたことがある。彼女は “私はアメリカを許す” と言ったそうだ。当時、日本でも原爆の研究はされていて、もしも日本が先に原爆制作に成功していたらやっぱり使っただろう。そうすれば、アメリカに自分のような人が生まれるに違いないと。被爆したことを恨むだけでは問題は解決しない。敵に対して原爆を投下してしまう人間の心の在り方こそが深く問われるべきなのだ。さだまさしの話を聞いて、この叔母の言葉が彼の行動力を後押ししているのだろうと感じたことを思い出す。

今でも、広島に原爆が投下された8月6日前後になると、メディアも原爆関連のニュースを取り上げ、戦争の悲惨さを振り返る。口の悪い人は “日本人は8月だけ平和主義者になる” と皮肉ることもあるが、それでもまったく戦争と平和について考えないよりはいい。そして、被爆地である長崎には、平和のメッセージを発信する理由がある。だから、コンサートの中で声高に “平和" を呼びかけなくても、8月6日に長崎でコンサートを行うということだけで、十分にメッセージになる。『夏 長崎から』はそういうイベントだった。

子ども連れで参加して欲しいとの願いから『夏 長崎から』は無料ライブとして開催された。1987年に行われた第1回にはさだまさしの他、村下孝蔵、来生たかお、白鳥座、そしてグレープの相方である吉田政美が出演。その後も、松山千春、小田和正、泉谷しげる、前川清、坂本冬美、三波春夫、小林幸子といった多くのアーティストがジャンルを越えて出演した。特に加山雄三は1997年の第11回から2006年の最終回まで毎年出演して『夏 長崎から』を盛り上げていった。

1993年から2006年までの14年間使用された会場は、長崎市街を見下ろす標高333メートルの稲佐山山頂に近い稲佐山公園野外ステージ。ステージ前に広がる芝生が客席となり、最大15,000人が収容できる。僕もこのイベントに何回か参加させてもらっているが、無料ライブということもあるのか、長崎市民を中心にピクニック気分の家族連れなど多くの人たちが集まり、リラックスした雰囲気の中でコンサートを楽しんでいる様子が印象的だった。

そして、コンサート終了後は百万ドルの夜景を見下ろしながらその余韻とともに山を下りていく。そんな優しい雰囲気に満ちた『夏 長崎から』は20年にわたって続けられた。それを受け、翌2007年8月9日には広島市民球場で『2007夏 広島から』を開催している。

19年ぶりに行われた「夏 長崎から2025」


さらに、さだまさしは平和への想いを具体的な形で伝えていく場所づくりを目指して『ナガサキピーススフィア貝の火運動』を1995年にスタートさせている。“貝の火” とは、人の心について考えさせられる宮沢賢治の童話のタイトルだ。紆余曲折あったようだが、この『ナガサキピーススフィア貝の火運動』は2002年に長崎県からNPO(特定非営利活動法人)として認可され、2003年に平和のメッセージを発信する場所として、ナガサキピースミユージアムを長崎港に近い松が枝町にオープンさせた。

こうしたさだまさしの “社会活動” について、やりすぎているのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、さだまさしの歌のテーマになっているものが彼自身の実感やリアルな体験だったりする以上、歌にしただけでは完結しないこともあるはずなのだ。その意味で、さだまさしの社会活動は彼自身の長崎への想いを歌に託していったシンガーソングライターとしての活動の自然な延長線上にあるのだろう。

そして、2025年8月6日、さだまさしは19年ぶりに『夏 長崎から』を復活させた。その告知文は次の言葉で締めくくられている。

 今年は被爆80年。
 さだまさしは、今年もう1度だけ、
 8月6日に長崎で歌おうと決意しました。
「夏 長崎から2025」

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