「哲学書」として読んでみる――ひろさちやさんが読む、道元 『正法眼蔵』#1 【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
ひろさちやさんによる、道元 『正法眼蔵』読み解き
「哲学者」道元へのアプローチ――。
鎌倉時代の曹洞宗の開祖・道元の未完の大著『正法眼蔵』は思想家・和辻哲郎やアップルの創業者スティーブ・ジョブズにも影響を与えたと言われています。
『NHK「100分de名著」ブックス 道元 正法眼蔵』では、ひろさちやさんによる『正法眼蔵』の読み解きを通じて、難解な仏教思想書の内容をわかりやすく解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全6回)
智慧を言語化した哲学書(はじめに)
『正(しよう)法(ぼう)眼(げん)蔵(ぞう)』は、鎌倉時代の曹(そう)洞(とう)宗(しゆう)の開祖・道(どう)元(げん)の主著であり、未完の大著です。
『正法眼蔵』というタイトルの「正法」は、正しい教えという意味です。釈迦が説いた教え、つまり「仏教」そのものにほかなりません。それが経典となって「蔵」に納められている。つまり「正法蔵」です。では、お経さえ読めば釈迦の教えが分かるでしょうか。そうではありませんね。それを正しく理解するには、読む者に経典を解釈する力、すなわち「智(ち)慧(え)」が必要です。
たとえば、仏教は不(ふ)殺(せつ)生(しよう)戒(かい)において生き物を殺してはいけないと教えています。でも、生き物を殺すとは本当はどういうことなのか。たとえば生き物のなかに植物まで含めれば、わたしたち人間は生きていくことができません。ですから、わたしたちはこの教えを解釈しないといけない。解釈するには「智慧」が必要なわけです。
そして、そのような「智慧」を禅者たちは“眼”と表現しました。曇りのない眼でもって対象を見たとき、わたしたちは対象を正しく捉えることができる。蔵に納められた経典も、そのような「眼」でもって読み取れば、仏の教えを正しく理解できるのです。それを「正法眼蔵」と呼びます。
道元は、釈迦の正法を正しく読み取る智慧を、弟子たちや後世のわれわれに教えようとしました。それが『正法眼蔵』という書物です。
ご存じのとおり、道元は禅宗の僧侶です。それでは、禅とは何でしょうか。これはいろいろに定義ができると思いますが、ここでは、仏教の真理を言葉によらずに師から弟子へと伝えていく営み、と定義しておきます。禅の特色を示すものとして、
──不(ふ)立(りゆう)文(もん)字(じ)・以心伝心──
がよく知られていますが、まさに文字(言葉)を立てずに、心から心へと真理を伝えていくのが禅なのです。
だとすると、釈迦の教えを正しく読み取る力を、書物、すなわち言葉をとおして伝えようとした道元の行為は、矛盾になりはしないでしょうか。
たしかにそうかもしれません。しかし彼は、その矛盾にあえて取り組んだのです。その背景には、道元の生きた鎌倉時代に広まっていた末(まつ)法(ぽう)思想がありました。
末法とは、釈迦の正しい教えが廃(すた)れてしまうとされる時代のこと。鎌倉時代の日本において、人々は「いまが末法の世だ」という意識を持っていました。そのなかで、「南(な)無(む)阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)」を称(とな)えるだけで極(ごく)楽(らく)往(おう)生(じよう)できるという念(ねん)仏(ぶつ)宗(しゆう)の信仰が盛んになります。しかし、道元はそれに反対しました。釈迦の教えを正しく伝える者、つまり正法眼蔵を持っている者さえいれば、釈迦の教えが廃れることなどない。それはいつの世にも残っていくものだ。それが道元の信念でした。
このように考えた道元は禅僧ですが、同時に偉大な哲学者でもあるといえるでしょう。
哲学とは何か。それは、人間の理性、つまり言葉でもって、人類普遍の真理を構築する営みです。道元は、たとえ末法の世になったとしても、仏教の真理を正しく読み取る眼が後世に伝わるよう、自らの智慧──それは、釈迦が菩(ぼ)提(だい)樹(じゆ)の下で開いた悟りと同じものである、と彼は信じていました──を言語化して残そうとしたのです。
禅の修行をする人のなかには、『正法眼蔵』を坐禅の方法を教えている指南書だと捉えている人がいます。「坐禅をしない者に『正法眼蔵』が理解できるわけがない」という人もいます。でも、道元が残したかったのは、坐禅のマニュアル本ではなかったとわたしは思います。仏教を正しく理解する眼を、禅の修行をする人にも、しない人にも、広く、そして永く伝えるために『正法眼蔵』を残そうとしたのではないでしょうか。
ですからわたしたちは、この『正法眼蔵』を、一般的な禅の書物としてではなく、仏教を理解する智慧をなんとか言語化しようと試みた道元の、その哲学的思索の跡として読むことにしたいと思います。
著者
ひろさちや
仏教思想家。気象大学校教授を経て、仏教を中心とした宗教問題の啓蒙家として、多くの人々の支持を得る。該博な知識と上質のユーモアを駆使し、難解な専門用語を避けて宗教をわかりやすく語る切り口には定評がある。『仏教の歴史』(全10巻、春秋社)をはじめ、『ひろさちやの般若心経88講』(新潮社)、『「狂い」のすすめ』(集英社)、『すらすら読める正法眼蔵』(講談社)など、宗教啓蒙書や人生論に関する著書多数。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■100分de名著ブックス『道元 正法眼蔵』(ひろさちや著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における道元『正法眼蔵』の引用は、『正法眼蔵(一)~(四)』(水野弥穂子校注、岩波文庫)によりますが、読みやすさを考慮してふりがなを現代仮名遣いにあらためています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2016年11月に放送された「道元『正法眼蔵』」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「道元の「哲学」とは何か」、読書案内などを収載したものです。