【倉敷市】倉敷あるく(2025年3月1日・2日開催)~ 水の流れから見えてくる倉敷の歴史散歩
少しずつ春の足音が聞こえてきて、外を歩くのが気持ちいい季節になってきました。
3月1日(土)、2日(日)の2日間、歴史系まち歩きイベント「倉敷あるく」が開催されました。
イベントを企画したのは、倉敷を拠点とする建築家グループ「KURASiX(クラシックス)」。
建築家の視点を通して、水の流れから見えてくる倉敷村の成り立ちについて、座学とまち歩きでその謎にせまる今回のイベント。1日目の3月1日(土)に同行取材してきたのでレポートします。
倉敷あるくとは
今回のまち歩きは、「水との関わりから読み解く、倉敷村の成り立ち」をテーマに、1日目と2日目それぞれ異なるエリアを歩きます。
筆者が参加した1日目は「外から見る倉敷村」というテーマで、三井アウトレットパーク 倉敷を起点に倉敷駅北東部にある「浜村」(現在の浜町)周辺を散策する約3kmのコースでした。
なぜ、建築家集団である「KURASiX」が、歴史系のイベントである今回のまち歩きを企画したのかについて、メンバーのひとりである倉敷建築工房 山口晋作設計室 山口晋作(やまぐち しんさく)さんはこのように話していました。
1日目の会場は、三井アウトレットパーク 倉敷内、カフェテリアコーナーの一角にある「Kurashiki Circle」。
「Kurashiki Circle」とは
三井アウトレットパーク 倉敷内、カフェテリアコーナーの一角を使用した、地域のコミュニティ活動の応援や地域のつながりの創出を目的とした場です。
午前10時の受付開始と同時に、参加者の皆さんが次々と会場に入っていきます。
定員は当初20人の予定でしたが、好評につき40人に増やしての開催となりました。
会場の席も埋まり、いよいよ座学からスタートです。
座学
まず、午前中は座学にてまち歩きの予備知識を学びます。
冒頭にも紹介したKURASiXメンバーの山口さんによる概要説明に続き、倉敷市歴史資料整備室 畑和良(はた かずよし)さんによる約1時間の講義が始まりました。
総務課歴史資料整備室は、総務課市史編さんが平成18年度に改称して誕生した部署です。令和2年4月1日から組織として新設されました。市民共有の知的資源である歴史公文書や古文書等を市民の皆様が主体的に活用できる体制を整えるとともに、現代の公文書その他の記録についても、永く後世に伝えるべき価値があるものを選別して保存することを目的として活動しています。
引用元:倉敷市歴史資料整備室 事業概要
今回のテーマである「外から見る倉敷村」について、古文書などの資料と現在のようすを照らし合わせながらの講義で、知識を深められました。
最後に、KURASiXメンバーである 仁科建築設計事務所 仁科真弘(にしな まさひろ)さんによる座学のまとめがあり、一旦昼休憩となりました。
まち歩き
午後からは2班に分かれ、今回のメインイベントである約3kmのまち歩きをおこないました。
まち歩きのコースは、キーワードである「宇喜多堤と浜村の歴史」より、倉敷駅北側を流れる用水路と浜村周辺の歴史遺産にスポットを当てた構成です。
春日神社(川入)
スタート地点の三井アウトレットパーク 倉敷から北へ数分歩くと、住宅地のなかにある「春日神社」(川入)に付きました。
実はこの神社、過去に水害で流されたことがあります。
その際の移転先として、ここから南西に1km程度の場所にある日吉町(ひよせちょう)に同名の神社が建てられました(今も現存しています)。
その後、住民の尽力でこちらにも神社を残すことになり、周りの住宅よりやや土地が高くなっているこの場所に再建されたそうです。
用水路の立体交差(伏越)
倉敷市をはじめ、岡山県内には古くからの用水路が多くあります。
クラボウドライビングスクール近くにあるこちらの用水路、一見ここで水が止まっているように見えますが、実は下をもぐって立体交差になっていて、さながら地下道のようです。
このような用水路の構造を伏越(ふせこし)と呼び、東西に流れる用水路と、南北に流れる用水路の水が交わることなく、それぞれ別の土地へうまく流れるように考えた先人たちの知恵をうかがい知れました。
両墓制(法然寺)
浜村の中心部にある浄土宗の古刹(こさつ)「法然寺(ほうねんじ)」。普段は非公開ですが、今回特別に境内に入らせて頂きました。
このお寺は江戸時代に浜村の有力者であった「阿曽沼(あそぬま)氏」の菩提寺(ぼだいじ)で、境内墓地には代々の立派な墓石が残されています。
そのなかで筆者が特に印象に残ったのは、境内墓地に見られる「両墓制(りょうぼせい)」の遺構。
両墓制(りょうぼせい)
遺体を埋葬する場所と墓石を建てる場所を一つずつ作る墓制で、一故人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれます。
現在も塩飽(しわく)諸島(香川県)にて見られるこの風習、筆者も以前に同地を訪れた際に初めて両墓制の風習を知りました。
塩飽諸島からは阿智神社や備中国分寺をはじめ、江戸時代に倉敷周辺で多くの木造建築を手がけた大工集団「塩飽大工」を輩出してきたことも、こちらの両墓制となにかつながりがあるのかもしれません。
寄進の玉垣(春日神社)
倉敷市立万寿小学校の隣にある「春日神社」境内の玉垣には、浜村の名士である楠戸家と難波家からの寄進が記されています。
楠戸家は現在も倉敷市東町にて続く呉服商(はしまや)で、当時浜村の領地が現在の倉敷市東町付近まであったことより、こちらの神社に多額の寄進をおこなっています。
難波家も同じく呉服商(十六屋)で、どちらも倉敷紡績(現在のクラボウ)万寿工場よりも多くの額を寄進していることからも、当時の栄華をうかがい知れました。
なお昭和初期の町村合併以降は、楠戸家、難波家ともに阿智神社の氏子となり、現在は両家とも一般公開されています。
倉敷村に続く浜道
最後は浜村と倉敷村をつなぐ道である浜道を通って、帰路につきました。
浜道は倉敷駅付近へ向かってまっすぐに伸びていて、現在の商店街を経由して倉敷村に至ります。
道路沿いに今も商店が所々に存在していますが、昭和の頃はちょっとした商店街のような感じだったと、この近所から参加されていたかたが話していました。
今も所々に商店が点在していて、近隣の区画整理後も下町風情を色濃く残す界隈です。
おわりに
水の流れと地形の高低差に注目し、古地図を現代の地図に照らし合わせながらのまち歩きは、さながら「ブラタモリ」(NHK総合)の世界観を追体験しているような気分に浸れました。
また普段何気なく通り過ぎている道路や用水路にも、なぜここにできたのかという理由があり、先人たちがいかにしてまちづくりを進めていったのか、まち歩きをするなかでぼんやりと見えてきたように思えます。
今回のまち歩きに使用したこちらのリーフレットは、倉敷館観光案内所などで引き続き配布されていますので、興味のあるかたは手に取り、まち歩きをしてみてはいかがでしょうか。
また、今回のまち歩きを起点に次なる企画も検討しているとのお話もありましたので、そちらも引き続き楽しみにしています。
今回のイベントを企画したKURASiXの皆様、倉敷市歴史資料整備室をはじめ関係者の皆様、ありがとうございました。