大阪・淀川に残るレンガの橋脚、かつての「本庄水管橋」を空撮する【廃なるものを求めて】
先日、大阪市を空撮しました。様々な案件を抱えて、市内中心部をあちこち。伊丹空港管制圏内での空撮であったため、パイロットと打ち合わせて事前申請をしたり、飛行中もパイロットが管制官と交信して撮影地点の飛行許可をもらったりと、何かと忙しない空撮でした。大阪市内中心部は伊丹空港の空路となっているので、東京よりも自由に飛行できず、シビアなのです。 ……と、関係のない話でスタートしちゃいましたが、市内中心部を飛行していると、眼下に“廃なるもの”と遭遇することもあります。今回と次回は「大阪の空から廃」と銘打って、上空から遺構を観察します。普段とは違う視点でお楽しみください。
淀川に残るレンガの橋脚が気になっていた
淀川には鉄道から道路まで様々な橋梁が架かっています。数えたことはないですが、高速道路、国道、私鉄、JR、地下鉄と、年代も形状もバラバラの橋梁があって、いつも上空から眺めていると橋梁の見本市のようだなと感じます。淀川は伊丹空港へ着陸する旅客機からも見えますので、機会があったら観察してみてください。
そのなかで1カ所、ずっと気になっているところがあります。国道423号線新御堂筋の「新淀川大橋」下流側に、古いレンガ橋脚があるのです。
淀川の川幅2/3ほどでプツッと途切れた、謎の廃橋脚。鉄道だと単線幅の橋脚です。道路橋にしては狭い幅だし、線路付け替えの鉄道橋跡か? 何より途中でプツッと途切れているのがむず痒い。中途半端や……と呟いてしまうほど中途半端な橋脚。増水で一部が流されたわけでもなさそう。
実はこれ、もともとからこのような状態でした。現役のころは「本庄水管橋」という水道橋で、レンガの橋脚にトラス橋が架かり、川幅2/3の位置で水道管が地下へ潜っていたのです。架橋は1911年(明治44)と古く、北東に位置する柴島(くにしま)浄水場から大阪市内中心部へ送水するために、淀川を渡っていました。
架橋当時は川幅分であったのですが、戦後になって淀川の治水計画による工事で、本庄水管橋を延長せずに川幅が広がり、途中でプツッと途切れる形となりました。本庄水管橋の廃止は2005年ごろで、トラス橋が撤去されたのは2017年ごろでした。
2016年の初撮影では既に廃橋となっていた本庄水管橋
私が本庄水管橋を意識したのは2016年からです。ちょうど淀川上空で空撮していると、新淀川大橋へ寄り添うようにトラス橋が途中で途切れているなと思い、何気なくシャッターを切りました。
そのときは事前情報もなく、肉眼では見えづらい高い高度からの撮影であったため、先ほど述べたように何か鉄道の廃線跡かなと思ったのですが、はて?あんなところに遺構があったらすぐ分かるだろうし、何より廃線跡だとしたら有名な遺構となるはずだと、首をかしげました。
後ほどデータを見て水道菅があったので、これは水管橋なのかと判明したのですが、やけに古風なトラス橋だなと、それはそれで興味を覚えたのです。
すでにこの時点では水道橋としての役目を終えていたようですね。2連の水道管は存在していたものの、とっくに新たな水道が地下へ掘られていて、流路はそちらへ変わっていました。
その後、淀川周辺の空撮があるたび気になっていたのですが、橋脚を残して解体されてしまいました。堤防の整備と阪神高速左岸線の建設工事が始まるからです。残された橋脚は淀川に点線を描くように点々とあって、これも川の流れの邪魔になりそうだから解体されるかなぁと思っていたのですが、その後もずっと残っていました。
残されたレンガ橋脚を空撮する
2024年5月の大阪市内空撮。頭の片隅で「あの橋脚は残されているだろうか」とちょっと気になりながら、淀川を飛行しました。下流から上流にかけて飛行していると、前方に新淀川大橋が見えてきて、手前に点々と橋脚がありました。まだしっかりと川の中からレンガ橋脚が立っています。
竣工からゆうに110年以上が経過した橋脚は、上空からでもレンガの風合いが分かるほど。曇天の天候であったからなおさら影が出ずに、ディティールがはっきり見えます。トラス橋が架かっていたときは分からなかったのですが、上流側は舟先のように鋭角となっており、橋脚の上辺は一部が補強されていた形跡があります。
そしてプツッと途切れている、かつての対岸にあった橋脚には2本の錆びついた水道管接合部が顔をのぞかせていました。水道管は90度曲がって橋台の中を通り、地中へと潜っていたのですね。水道管は橋脚と一体化しているから、菅のメンテナンスはどうやったのだろう。それも気になる。もうちょっと回り込んで観察してみたいが、何せ伊丹空港の管制圏内だから自由に飛行できず、通過するだけにしました。撮影時間、わずか数十秒(笑)。
本庄水管橋は地上から観察しようと思っても、現在淀川左岸側(南側)で大規模工事が行われていて、立ち入りは出来ないようです。実際に現地で確認したわけではないのですが、上空から見ても一般人が立ち入られるところはなさそうでした。新淀川大橋も歩道スペースがありません。よって、空撮写真が自由に見られる角度となります。
淀川は治水や河川工事が行われていて、この橋脚も安泰ではないかもしれません。遺構はあっという間に消えてしまうので、気になると思ったらすぐ観察し、記録するのが良いでしょう。
貴重な存在でも、後世まで残されるのはほんのわずかですから……。
取材・文・撮影=吉永陽一
吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。