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【島田市博物館】戦下の人々が生きた証 戦後80年の企画展「戦争を忘れない-島田が歩んだ太平洋戦争」

テレしずWasabee

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静岡・島田市の島田市博物館では、戦後80年の企画展「戦争を忘れない」が9月21日まで開催されています。企画したのは南方の戦地から戻らなかった曽祖父を持つ学芸員の男性。甚大な被害を出した「パンプキン爆弾」など、戦下の島田市の様子がわかる貴重な展示です。

戦地から届いた曽祖父のハガキ

「生まれた子供は男か女かね?」

島田市博物館で開かれている企画展「戦争を忘れない」を担当する学芸員の岩﨑アイルトン望さん。曽祖父は、兵士として送られたハルマヘラ島(インドネシア)で、生まれてくる子供を楽しみにしたまま戻らぬ人となりました。

ハルマヘラ島から届いた手紙(画像提供:岩﨑アイルトン望さん)

今でも島から送られてきた最後の手紙を大切に保管する祖母から、岩崎さんは戦争の話を聞いていました。手紙に書かれていた「子供」が祖母です。

日本人の母とイラン人の父を持つ岩﨑さん。父はイラン・イラク戦争で出兵した経験があり、親類がイランに多くいて、現在の世界情勢からも、戦争を身近に感じています。

だからこそ岩﨑さんは切実に平和を願っています。戦後80年という節目に、改めて戦争を過去のものとして記録するのではなく、失う必要のなかった多くの命が奪われた悲惨な戦争の延長線上に私たちはいるのだと記憶していて欲しいと、この展示を企画しました。

島田市博物館学芸員 岩﨑アイルトン望さん

島田市博物館 学芸員・岩﨑アイルトン望さん:
今後90年、100年と節目を迎える頃、戦争を経験し、語ってくれる人は少なくなっていきます。戦後80年という節目に、戦争を経験した人の生の言葉を聞き、その方々の記憶と資料を照らし合わせて今回の展示を作り上げました

戦争は怖い、痛々しいなど暗いイメージが先行しますが、資料からは戦時中を生きた人たちの希望も感じられるそうです。企画展が明るい未来を考えるきっかけ、今の日常に感謝するきっかけになればと岩﨑さんは願っています。

館内展示会場

今回の企画展には、島田市に投下された「パンプキン爆弾」や、現在の牧之原市にあった「大井海軍航空隊」、静岡空襲の資料、広島平和記念資料館の資料など、75点が展示されています。

パンプキン爆弾は長崎に投下された原爆の投下訓練に使用された爆弾です。

岩﨑さんたちが戦争体験者の声を聞いて集めた資料が展示されています。

その中でも今回は筆者が岩﨑さんから聞いて衝撃を受けた証言にまつわる展示品を、その言葉と共に紹介します。

原爆投下の訓練と言われる「パンプキン爆弾」

「後ろから迫る音でまたB-29か、と思って上空を見たら見たこともないやたらと大きな黄色い爆弾がホイッスルみたいな音と共に落ちてきた」

当時、投下場所から直線距離で500mほど離れた青年学校で、授業中、外に整列していた人の証言です。

投下されたパンプキン爆弾の破片

1945年7月26日、今の島田市役所の近くに長崎の原爆「ファットマン」と同じ大きさで同じ重さの爆弾が投下され、約50人の命を奪いました。

黄色くて丸い形であることから「パンプキン爆弾」と米軍に名付けられ、爆弾自体は原爆ではないものの、長崎に落とす練習としていくつか作られ、そのうちの一つが島田の市街地に投下されました。

大きさは横約3m、縦約1.3m、重さは約4.5tです。市街地に飛び散った破片の一つが今回「触れられる展示品」として展示されています。

島田市博物館・岩﨑さん:
少し持ち上げてもらうと、どれだけ重いかよく分かります。投下された時、爆音とともに爆風で伏せて、鉛のような色の煙と火柱を見たと語った人もいます。他のパンプキン爆弾を目撃した人は「まさか都心以外で落とすわけないと思っていた」と驚いていました。日常的に上空を飛び交うB-29爆撃機を見慣れてしまい、警戒心が薄れていたところに起きた出来事だったそうです

実物大のパンプキン爆弾のタペストリーと身長183cmの岩﨑さん

静岡県上空は、米軍が拠点とするテニアン島(サイパン島付近)から日本の主要都市へ向かう通過ルートでした。

本来北陸で投下する予定でしたが、天候不良でテニアン島に戻る途中、雲がなく見通すことができた市街地が島田でした。

島田市博物館・岩﨑さん:
B-29爆撃機を見慣れさせて警戒心を減らし、攻撃時にはダメージを大きくさせることも米軍の作戦であったと言われています。実際にパンプキン爆弾投下以前、島田市には一度も爆弾は落ちていないと記録されています。空襲警報が出ていても、見たこともないような大きい爆弾が都心でもない島田に落ちてくるとは思ってもいなかったでしょう

パンプキン爆弾については、投下された現場の写真、島田にパンプキン爆弾を投下した部隊の写真などが展示されています。

変形した遺品からの訴え

「がれきの下で見つかった妻の遺体と共に出てきたのは、溶けて変形したアルミ釜だった」

広島の原爆で、爆心地から500mほどの場所に家があった男性の証言です。

広島に原子爆弾が投下されたのは朝8時15分頃。アルミ製の釜は、台所で朝ごはんの支度か片づけをしていたから持っていたのかもしれません。

原爆で溶けたアルミ製の釜の一部

今回の企画展では、パンプキン爆弾が原爆の投下訓練だったことから、広島平和記念資料館所蔵の資料もいくつか展示されています。

溶けたアルミ釜の一部は、男性が台所があった場所から掘り出した妻の遺骨と共にでてきました。変形や変色した展示品が、被害の大きさを物語っています。

島田市博物館・岩﨑さん:
広島平和記念資料館から借りた展示品は、実際に広島に行って話を聞いて調査をした上で選定してきたものです。太陽とほとんど変わらない温度の原爆による熱や、火災など、被害状況が分かりやすい資料を選びました。簡単に溶けることのないアルミ釜をはじめ、瓦や、焼け焦げたモンペなど、いかに原爆が恐ろしい力を持っているかわかります

原爆が投下されたその朝は晴天で、珍しく戦闘機も飛んでおらず、静かな空だったそうです。

しかし原爆は太陽のようなまぶしい閃光で市街地を一掃し、何が起こったか分からず救出に向かう人、状況を確認する人までもが次々と犠牲になっていきました。

本来の姿ではなくなった展示品は、繰り返されるべきでない歴史を忘れさせないための、訴えのようにも見えます。

「まるで花火」ぼうぜんと見るしかなかった静岡空襲

「まるで花火を見るようにただ見入ってしまった」

静岡市の市街地を襲った「静岡空襲」。多くの人が安倍川に逃げ、そこから見る空襲の様子はまるで花火のようであったという証言が残っています。

静岡空襲で投下された焼夷弾の破片

静岡市の市街地を襲った「静岡空襲」。1945年6月20日の未明、123機のB-29爆撃機によって焼夷弾約1万発が投下されました。犠牲者は約2000人。

静岡空襲の様子を伝えてくれる展示は、静岡平和資料センター所蔵の焼夷弾の残骸と、亡くなった少女の慰霊碑です。

島田市博物館・岩﨑さん:
被害をより大きくするために、焼夷弾を束ねた「集束焼夷弾」が空襲に使用されました。落下中に束が解かれて爆弾が飛び散る様子は、悲惨な現場なのにくしくも花火のようにきれいに見えてしまったと逃げ延びた人々が言っていたようです。水をかけても消えない焼夷弾が起こした火事、夜中の攻撃、多くの市民が犠牲となりました

爆発前の焼夷弾が頭に当たり命を落とした少女の遺影と慰霊碑も展示されています。一緒に逃げていた兄が、その焼夷弾の筒に色を塗り、鎮魂のための慰霊碑にしました。空襲がどんな様子だったかがよくわかる展示でした。

「愛着さへも振棄てて」特攻隊の訓練生と教官

「想い出も感傷も愛着さへも振棄てて 魚雷を抱きて敵艦へ屠るなり」

この言葉は、特攻隊の訓練生が飛び立つ前に遺した寄せ書きの一つです。

島田市のすぐ南、JR金谷駅から車で約9分のところにある牧之原コミュニティセンターの周辺には、かつて特攻隊の訓練が行われた「大井海軍航空隊」の基地がありました。

大井海軍航空隊の教官であった小松重明氏の写真

思い出も傷ついた心も愛する心も全て振り捨てて、人生の終わりを共にするのは魚雷である。終わりの言葉は、決意なのか、それとも誰かに言いたかった言葉なのか。

「今にして何をか云わむこの心 水の如くに静まりてあり」

必死必殺が命令であった特攻隊。心が水のように静まる前は、どんな心情であったのでしょうか。

国鉄に乗って全国から多くの若者達が金谷駅を利用し、国のために戦うために牧之原に集まりました。そして、訓練の後に寄せ書きを残しおのおの突撃の舞台へ散って行きました。

その寄せ書きには、何人もの生徒たちの言葉がつづられています。どんな思いで訓練をし、どんな思いでこの地を去って行ったのか。つづられた言葉は、強い決意や誓いと感じられるものもあれば、帰ることができないことを、自分に納得させようとしているようなものもあります。

特攻隊の教官や訓練生の遺品の展示

島田市博物館・岩﨑さん:
教官を務めた小松重明さんの遺品も展示されています。小松さんは生前、「教え子たちには、死ぬための訓練をしている」と言っていたそうです。教え子たちは次々と戦場に送り込まれ、遂には周りの教官たちも出撃に呼ばれ、自分だけは残った。それ以外戦争の話はしたくないと言っていて細かい情報は分かりませんが、写真や新聞、遺品で戦後の様子をうかがえます。小松さんは生き残った自分の人生を「おつりの人生」と言っていたようです

教官はどんな気持ちでこの寄せ書きを読んでいたのでしょうか。一つ一つの筆跡や言葉からは、彼らの性格までも垣間見られそうなくらい、生き生きと訴えかけてくるのです。

「戦争を忘れない」に込めた思い

「夏の晴天のように未来はずっと明るくあってほしい」

ポスターの空のように、戦闘機が飛ぶことなく明るい平和な空であってほしいと願う岩﨑さん。

(画像提供:島田市博物館)

岩﨑さんが付けた企画展名「戦争を忘れない」からは、戦争を忘れないことはもちろん、戦時中を生きた人々が戦下の中で何を願ったのか、その願いを展示品を通して忘れないという決意も感じられました。

義務でもなければ、命令でもない、「忘れない」は決意なのです。

島田市博物館(島田市河原)

企画展開催中、岩﨑さんによるギャラリートーク「島田に刻まれた戦争の記憶」が開催されます。開催日は9月6日、予約不要で無料です。

博物館を出て見上げれば、太陽に負けじと青さを見せる空と、これでもかというくらい膨らむ入道雲。セミの鳴き声と共に、あの日から続いている今に生きていることに感謝を感じる筆者でした。

■イベント名  企画展「戦争を忘れない」
■会場 島田市博物館(静岡県島田市河原1丁目5-50)
■期間 6月28日(土)~9月21日(日)
■時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
■休館 月※祝日の場合は翌日
■問合せ 0547-37-1000
■観覧料 500円 中学生以下無料 ※本館・分館観覧料とセット

取材/麻衣子

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