【武蔵陵墓地】 大正・昭和天皇と皇后たちの眠る場所
東京都八王子市に位置する武蔵陵墓地は、日本の歴史と皇室文化を感じることができる特別な場所である。
大正天皇、貞明皇后、昭和天皇、香淳皇后の陵が造営されており、静穏な空間の中に日本の歴史が息づいている。
今回は、武蔵陵墓地の概要や歴史、敷地選定の背景などを詳しくご紹介する。
武蔵陵墓地とは
武蔵陵墓地は、東京都八王子市長房町に位置する皇室墓地(天皇のお墓)である。
元々、古代日本においては天皇陵は古墳として築かれることが多かったが、近代以降はより簡素化された形式の御陵が主流となっている。
この墓地の整備が本格化したのは、1927年(昭和2年)に大正天皇の陵である多摩陵が造営されたことに始まる。
陵墓正門から御陵までの参道は約400メートルあり、両側には約150本の美しい北山杉が植えられている。
これらの杉は京都から取り寄せられ、当初は人の背丈の2倍ほどの高さだったが、現在では20メートル以上に成長し、荘厳な雰囲気を漂わせている。
最寄り駅はJR中央本線および京王高尾線の高尾駅であり、そこからバスやタクシーでアクセスが可能である。かつては皇室専用の東浅川駅や、一般利用が可能な京王御陵線が存在していた。
歴史と背景
武蔵陵墓地が造営されたのは、前述したように1927年(昭和2年)に大正天皇陵の敷地として選定されたことがきっかけである。
八王子市の「八王子八十八景」のひとつにも数えられるこの地は、長い歴史を持つ場所であり、当初「多摩御陵」として知られていたが、昭和天皇陵が造営されるにあたり「武蔵陵墓地」と呼ばれるようになった。
敷地の選定にあたり、南多摩郡横山村と周辺の2つの町村にまたがる御料地が候補となったが、最終的にこの場所が選ばれた理由としては、地震に強い地盤を持つことや、『万葉集』に「多摩の横山」と詠まれた歴史的背景があった。
赤駒を 山野に放し捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ
万葉集(巻二十・四四一七)豊島群の上丁椋椅部荒虫が妻 宇遅部黒女
さらに、将来の拡張を見越して、周囲の民有地が買い上げられ、現在の広大な敷地が形成された。
多摩陵(大正天皇)
多摩陵(たまのみささぎ)は、大正天皇の陵墓である。
大正天皇は、1879年(明治12年)8月31日に誕生した。幼少期から病弱であり学習院に入学したが、健康上の理由で学業を中断し、宮中で個別教育を受けた。
1887年(明治20年)に儲君に立てられ、1889年(明治22年)には皇太子となった。皇太子時代には各地を巡啓し、1907年には初の皇太子の海外渡航として大韓帝国を訪問した。
1912年に第123代天皇として即位したが、即位後も健康は悪化し続けた。1926年12月25日に肺炎による心臓麻痺で47歳で崩御した。
1927年2月7日に新宿御苑で葬儀が行われた後、翌8日に現在の場所に埋葬された。陵の面積は約2500平方メートルであり、植木や盆栽が植えられている。陵の形状は「上円下方墳」で、伏見桃山陵を参考にした南面の構造を持つ。
陵名は、かつてこの地が属していた武蔵国多摩郡に由来している。
多摩東陵(貞明皇后)
貞明皇后(ていめいこうごう)は、大正天皇の皇后(正妻)であり、元華族の公爵・九条道孝の娘であった。
皇后はハンセン病予防や福祉事業、蚕糸業の奨励に尽力し、多くの社会活動に関与した。
一夫一妻制の象徴的な存在であり、また藤原氏から立后した最後の皇后である。
1951年(昭和26年)5月17日、狭心症により大宮御所で66歳で崩御した。
貞明皇后の陵である多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)は、大正天皇陵の東に位置し、面積は1800平方メートル。
梅や桃など、約50種類の草木が植栽されており、陵の形態は『上円下方墳』で、高さは6.25メートルである。
大正天皇陵とほぼ同様の構成を持ち、東に位置するため「多摩東陵」と命名された。
毎年5月17日には貞明皇后例祭が行われ、幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置される。
武藏野陵(昭和天皇)
武藏野陵(むさしののみささぎ)は、昭和天皇の陵墓である。
昭和天皇は、1926年から1989年までの長期間にわたり在位し、戦前、戦中、戦後の激動の時代を通じて、日本の行く末に重要な役割を果たした。
日本で最後に摂政に就任した人物でもある。1989年(昭和64年)1月7日皇居吹上御所において87歳で崩御した。
武藏野陵の面積は2500平方メートルで、桜やアケボノスギなど約55種の植木が植えられている。形態は上円下方墳で、高さ8.75メートル。
陵の名称は昭和天皇が自然を愛しており、御製(天皇が自分で書いた文章・詩歌・絵画)で武蔵野を詠んだことからや、万葉集にも見られることから命名された。
毎年1月7日には、皇居宮中三殿で昭和天皇祭が行われる。
武藏野東陵(香淳皇后)
武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)は、昭和天皇の皇后である、香淳皇后(こうじゅんこうごう)の陵墓である。
香淳皇后は、久邇宮家出身の皇族であり、昭和天皇の即位前は「良子女王」と称され、敬称は「殿下」だった
2000年に呼吸不全で97歳で崩御。
歴代の皇后で最長の在位(62年と14日間)と、神話時代を除き最長寿(97歳と102日)を記録した。
武藏野東陵の面積は1800平方メートルで、桃やバラなど約40種の草木が植栽されている。形態は上円下方墳で、高さ6.25メートル。
昭和天皇陵の東に位置し、「武蔵野東陵」と命名された。
毎年6月16日に香淳皇后例祭が行われ、幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されている。
おわりに
武蔵陵墓地は、日本の歴史と皇室の深いつながりを感じられる場所である。
筆者が訪れたときは、風が冷たく感じられ、場所全体が静かで厳粛な雰囲気を持っていることを実感した。
八王子市を訪れる際には、ぜひ訪れてみてほしい。
参考 : 『宮内庁 天皇陵』『多摩よこやまの道』他
文 / 草の実堂編集部
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