ネガティブなことに向き合うときこそ笑いや遊び心を加えよう【人気エッセイストが提案】
センスよく暮らしたい、おしゃれだと思われたい、そう考えている方はたくさんいると思います。でも、センスっていったい何で、どうやったら身に付くのでしょう? 『センスいい人がしている80のこと』(扶桑社)は、50種類の仕事、約50か国を旅してきた作家・有川真由美氏が「センスいいな」と思った魅力的な人のこと、感性を磨くためにやってきたことを満載した1冊です。 今回はその中から、センスがいい人がしていた「作法」についてご紹介します。マネしやすいことばかりなので、日々の生活に取り入れてみるのもいいかもしれません。
※本記事は有川真由美著の書籍『センスいい人がしている80のこと』から一部抜粋・編集しました。
愚痴を「笑いのネタ」にして話す
愚痴なんて言わないほうがいいとわかっていても、「だれかに愚痴らなきゃ、ガス抜きができない」「少しでもつらい気持ちを聞いてほしい」ということがあります。
そんなときは、いいではありませんか。愚痴っても。
ただし、愚痴には流儀があります。愚痴の言い方にも、センスのよし悪しが出るのです。センスのよくない人の愚痴は、目を三角にして口が歪み、怒りや悲しみに満ちています。「こんな会社、やってられない。幹部がひどい人ばかりで......」とだらだら続くので、聞いているほうも不快な感情が伝染して、引きずってしまいます。
センスのいい人は、愚痴を笑いのネタとして楽しく語り、早めに切り上げます。「そうきたか!って、もう笑うしかない。私、この会社でずいぶん精神力が養われたと思う」と、ポジティブに締めるので、聞くほうも安心して乗ってきます。「私も夫との生活を長く続けて、悟りを開いた境地よ」と、明るく愚痴れるわけです。
そんな人は、嫌なことをそのまま愚痴るのは"野暮"だと思っています。
ユーモアのセンスや遊び心をまとって、相手を楽しませることが"粋"で美しいことだと、どんなことも笑いに変換するのです。たとえばサラーリマンの悲哀を詠った川柳も、クスリとする笑いがあって、カッコいいとさえ感じるほど。
「粋とは、痩せ我慢の美学」と聞いたことがあります。いい意味で格好をつけて、相手に喜んでもらうことで自分も救われ、品格も育っていくのでしょう。
身近な人に言いにくいことを言うときも、茶化すのではなく、真面目でありながら少しだけユーモアを交えて和ませる。最後は「期待してます」とにっこり終わらせ、後味さわやか。ネガティブなことに向き合うときは、ひとさじの笑いや遊び心を加えるのが作法といえます。
そもそもユーモアとは、つらいことを乗り越えるために生まれたものなのです。