五輪陸上競技の日本人金メダリスト一覧、織田幹雄は全競技で初、北口榛花は女子フィールド種目で初
1928年アムステルダム五輪の男子三段跳・織田幹雄が金1号
世界トップレベルのアスリートが集う4年に1回の祭典は、スポーツファンの胸を高鳴らせる。オリンピックで金メダルを獲得することはアスリートにとって最高の栄誉だが、陸上競技で日本人選手が金メダルを獲得した例は少ない。これまでの歴代金メダリストを振り返る。
全競技を通じて日本人で初めて五輪金メダルに輝いたのが、1928年アムステルダム五輪の陸上男子三段跳に出場した織田幹雄だった。15m21を跳んで優勝したものの表彰式で日本の国旗が用意されていなかったため、織田が持参していた特大の日の丸を掲揚したという逸話が残る。
「織田幹雄記念国際陸上競技大会」(通称織田記念)は織田の出身地・広島で毎年4月に開催されている。2021年に10秒14で優勝した山縣亮太は、同年6月の布勢スプリントで9秒95の日本新記録につなげた。
南部忠平と田島直人が織田に続いて五輪三段跳3連覇
織田に続いたのが1932年ロサンゼルス五輪の南部忠平だった。アムステルダム五輪の三段跳で4位入賞していた南部は、走幅跳で7m98の世界新記録をマークして勇躍ロサンゼルスに乗り込んだ。しかし、銅メダルに終わって落胆していたところ、織田幹雄が膝を痛めたため急遽、三段跳に出場して金メダルに輝いた。
「南部忠平記念陸上競技大会」は南部の出身地・北海道で毎年7月に開催されている。
織田、南部の偉大な系譜を受け継いだのが、1936年ベルリン五輪に出場した田島直人。1932年ロサンゼルス五輪の走幅跳で6位入賞していた田島は、ベルリン五輪では三段跳で16m00の世界新記録を樹立し、金メダルに輝いた。日本人による三段跳五輪3連覇を果たし、走幅跳でも銅メダルを獲得した。
「田島直人記念陸上競技大会」は出身地・山口県で毎年開催されている。
また、ベルリン五輪では日本統治下の朝鮮出身だった孫基禎が男子マラソンに出場し、2時間29分19秒2で優勝。戦後は韓国に戻り、コーチや陸連会長を務めた。
高橋尚子がシドニーで64年ぶり陸上金メダル
その後、雌伏の時を経て日本の陸上界が世界の頂点に立ったのは2000年シドニー五輪。ベルリン五輪から実に64年が経っていた。
1998年のアジア大会で2時間21分47秒のアジア最高記録(当時)をマークして金メダル候補と目されていた高橋尚子は、シドニーでもリディア・シモンとのデッドヒートを制し、2時間23分14秒の五輪最高記録(当時)で優勝。さらに翌2001年のベルリンマラソンでは、2時間19分46秒の世界最高記録(当時)で優勝し、一時代を築いた。
高橋の後を追うように活躍したのが野口みずきだ。2004年のアテネ五輪で2時間26分20秒で金メダルに輝くと、翌2005年のベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本最高記録で優勝した。2024年の大阪国際女子マラソンで前田穂南が更新するまで、このタイムは破られなかった。
室伏広治はアテネで繰り上げ金メダル
アテネではもう一人、男子ハンマー投の室伏広治も金メダルを獲得した。「アジアの鉄人」と呼ばれた室伏重信を父に持ち、早くから日本の第一人者として活躍。アテネ五輪では82m91で2位だったが、1位のハンガリー選手がドーピングで失格となり、繰り上げで室伏が優勝となった。
その後、2012年ロンドン五輪でも銅メダルを獲得。2016年にリオデジャネイロ五輪出場を逃して引退した。
2024年パリ五輪では新たな歴史が作られた。女子やり投の北口榛花が65メートル80をマークし、金メダルを獲得。女子のフィールド種目で日本初のメダリストとなった。
北口は2019年から「やり投大国」のチェコに渡ってトレーニングを積み急成長。2021年東京五輪は12位に終わったものの、同種目57年ぶりの決勝進出だった。さらに2022年のオレゴン世界選手権で3位、2023年のブダペスト世界選手権で優勝。金メダル候補として臨んだパリ五輪で堂々の優勝を果たした。
長い歴史を誇る日本の陸上界で五輪の金メダルを獲得したのは、男女合わせてわずか8人しかいない。改めて北口の快挙に敬意を表したい。
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記事:SPAIA編集部