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我孫子高校での甲子園“親子“出場やプロ野球選手を経て、子どもたちの夢への一歩をサポートする

チイコミ!

我孫子高校での甲子園“親子“出場やプロ野球選手を経て、子どもたちの夢への一歩をサポートする

1991年に我孫子高校野球部でキャプテンとして甲子園に出場し、早稲田大学を卒業後、ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団、現在は球団職員としてファーム球場のある鎌ケ谷事業部で業務をしている荒井修光(のぶあき)さん。事業関連の業務と合わせ、地域小学校の職業人講話などの活動もし、子どもたちに夢を持つことの大切さを伝えています。我孫子で過ごした少年時代や、監督である父や仲間と歩んだ甲子園への道、荒井さん流・夢を叶える方法などを伺いました。

少年野球チームには入らず、我孫子の自然の中で遊んでいた

幼稚園での相撲大会の模様。手前のオレンジのズボンの子が荒井さん

幼少期から我孫子に住んでいた荒井さん。

「幼稚園では園庭を駆け回り、小学生の時は家に帰ったら、玄関にランドセルを放り投げてすぐ遊びに出かけました。友達と校庭で駆けずり回ったり、田んぼでザリガニを取ったり、稲刈りの済んだ足場の悪い田んぼで野球したりもして、足腰が鍛えられました」

お父さんの荒井致徳さんが我孫子高校の野球部監督だったこともあり、家で野球遊びをよくしていて、幼稚園の卒園文集にも「プロ野球選手になりたい」と書きましたが、少年野球チームには入りませんでした。

「当時の少年野球チームは5年生からの入団で、父から『4年生の2、3学期の通知表で、国算理社体で全部5を取ったら入ってもいい』という条件がありました。それで頑張って4教科は5を取れたのですが、1教科だけが4で、約束が果たせず野球チームに入ることができなかったんです」

小学校の運動会で、綱引きにいそしむ。子どもの頃から運動神経抜群

この厳しい条件について、大人になってからお父さんに聞いたところ、2つの理由を教えてくれました。

「1つは、野球は臨機応変に相手の動きを予測して動いたり、サインを覚えたり出したりする必要があり、頭を鍛えておくため。もう一つは高校、大学に進む際『ここで野球をやりたい』と思える学校に行くには合格を勝ち取る必要があるため。その背景には、父が大学で志望校に行けなかった悔しさと『息子には好きなところで思い切り野球をさせたい』という親心があったと思います」

その後、中学で硬式野球チームに入りましたが、練習が週一回で、途中から陸上部にも入部。この経験がなかったら、その後の野球での活躍につながる体力は得られなかった、と荒井さんは振り返ります。

400m走、幅跳び、砲丸投げの「三種B」で全国大会へ

「陸上部では中3の時に全国大会にも出て、高校進学前にはある高校からスカウトもいただきました。でもやはり我孫子高校で野球をしたい気持ちがあり、願書を出したんです。父が監督で厳しい毎日になるとわかっていながらも、心の底にそうしたいという思いがあったんですね」

監督の父とは親子の縁を切って、我孫子高校野球部へ

我孫子高校に進み、晴れて野球部に入部した荒井さん。なんとお父さんとは一時的に親子の縁を切ることになりました。

「合格がわかった段階で、父は野球部の父母会長の人に家に来ていただき『息子が野球部に入りますが、今から親子の縁を切って、他の子と平等に接することを表明します」と言いました。そして僕にりんごをむいてくれて目の前に置き『これが親としてやってあげる最後のことだから、ここからはもう親子ではない」と言ったんです』

その日からは学校でも家でもお父さんを「監督」と呼び、お父さんからは「荒井」呼ばれる毎日。練習から家に帰ると、父のいる居間に入って「ただいま帰りました」と挨拶し、ご飯も別に食べていました。野球部の練習はハードで、毎日帰宅は22時、23時のことも当たり前。

「辛い練習後のお楽しみは、グラウンド近くの釣り堀の自販機。みんなでファンタやマックスコーヒーを飲みながら『今日の練習もしんどかったねー』『また明日ね』と解散していました」

目の前の試合に無我夢中で取り組んだ末、甲子園への道が俯瞰できた

甲子園出場への士気が高まったきっかけは2年生の時。3年生が引退した秋から、荒井さんはキャプテンになりました。

「その秋の県予選で負け、練習試合でも負け続けたことで、監督から喝を入れられたんです。『あんなふうに負けてよく帰ってこられたな』『甲子園に行きたいなら千葉では負けられない』など、グラウンドだけではなく、家でも厳しいことを言われて、スイッチが入りました」

荒井さんの代は、3年生が在籍していた頃からレギュラー9人中7人が試合に出ていたこともあり、経験は豊富でした。6月下旬の夏の大会前に、強豪校との練習試合で負けたものの手応えを感じて勢いがつき、本戦では目の前の1戦1戦に無我夢中に取り組みながら、力をつけて勝ち上がり、5回戦では強豪校の市立船橋高校にも6対4で勝つことができました。

「仲間とも『5回戦までは絶対に行こうぜ』と言っていたんです。仮に負けても、夏休みだし海に行って遊ぼうって。でもそこで勝って、準々決勝、準決勝と進んでいくと、新聞に自分たちが掲載される枠が大きくなるんです。決勝の日は『我孫子高校VS銚子商業』とバーンと出て、それを宿舎で朝食の時に見た時に『ここまで来たら負けられないじゃん!』と不思議な高揚感に包まれたのを覚えています」

甲子園出場時。今でも仲間とは毎年末に集まり、登山や飲み会を楽しむそう

目の前の試合に必死だったところから、急に甲子園への道が俯瞰して見え、それまで一様に厳しかった監督も「勝とうと思わなくていい、負けないようにしよう」「これまで頑張ってきたのだし、たとえ負けても胸を張って帰れる。まずは自分たちがやってきたことをきちんとやろう」など、言動が変わっていきました。

「地域の応援もありがたかったですね。我孫子高校にはチアリーダーがいなかったので、女子マネージャーが有志で結成してくれたり、学校の友達も応援しにきてくれました」

そして決勝で、銚子商業高校を相手に荒井さんはピッチャーとして12奪三振、2安打完封に抑え、2回表に取った2点を守り切って勝利。甲子園出場を勝ち取り、親子出場ということでも話題になりました。

「甲子園に旅立つ日は、我孫子駅前に大勢の人が見送りにきてくれました。初めて甲子園に足を踏み入れた時は、アルプススタンドが我孫子高校のユニフォームの水色一色になっているのを見て、自分たちは代表なんだな、とあらためて実感しました。地元の人たちからは『我孫子で盛り上がれて嬉しかった。ありがとう』といまだに言われますが、こちらこそ応援してくださってありがとうございます、という気持ちなんです」

自分が夢を叶えてきた経験を、次の世代に伝える順番が来た

その後荒井さんは早稲田大学に進み、日米大学野球代表としても活躍。ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団し、幼稚園時代の夢を叶えました。野球生活を厳しくも愛情深く支えてくれたお父さんは、7年前に亡くなりました。

早稲田大学時代

「僕は今51歳で、父が監督として甲子園に行った時と同じ年齢になりました。父から言われた厳しい言葉も、大人になるにつれて腑に落ちることがたくさんあります。現役が終わって北海道日本ハムファイターズの職員になり、長く北海道にいて年末年始しか父と接することがなかった。もっといろんな話がしたかったですね」

日本ハムファイターズ時代

今は我孫子を離れ、北海道日本ハムファイターズのファーム球場である鎌ケ谷スタジアムに勤務、事業全般に携わっています。甲子園やプロ野球選手に行き着くまでの経験や、お父さんから教わったことなどを、今度は子どもたちに伝える順番が来ていると感じ、近隣小学校で働くことについての講話もするなど、子どもたちの夢を支える活動もしています。

「自分にとっての我孫子のように、子どもたちが大人になってからふと懐かしんでもらえるような場所を作りたくて、鎌ケ谷スタジアムでは子ども向けの社会見学や職場体験も行っています。子どもたちへの講話ではよく『変態』の話をします。みんな最初は笑いますが(笑)、変態=トランスフォーメーションのこと。僕はプロ野球選手になるという夢を叶えましたが、その間にいくつも変態したんですね。

小学校ではサッカーも水泳もして、中学では陸上部にも入りました。高校野球では9つのポジションを全て経験し、大学野球はピッチャーとして入りましたが、キャッチャーとしてプロになっている。その経験から『夢を叶えるためには食わず嫌いにならず、いろんなことに興味を持って、ピンときたら行動することが大切だよ』と伝えています。大人も同じ。1つの仕事に取り組むにしても、やり方を変えてみたり、新しいことにチャレンジしてみると、自分が本質的にやりたいことが見えてくると思います」

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