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保存食として知られる<イカ>の歴史 古くから日本人に愛されていたワケとは?

サカナト

スルメイカ(提供:PhotoAC)

古来より日本人の食卓を彩ってきたイカは、その多彩な加工技術や調理法を通じて、時代とともに姿を変えながら愛され続けてきました。

古代の食文化から近現代の流通・消費まで、イカが歩んだ歴史的な軌跡。その物語を見ていきましょう。

古代~中世のイカ食文化

イカは日本の海に多く生息しているということもあり、古来より日本人に食べられてきました。

縄文時代の貝塚出土品からも、スルメイカやヤリイカのものとみられる骨片(カラストンビ)が発見されていることから、人々の漁労・食材として利用されていたと考えられます。

ヤリイカ(提供:PhotoAC)

733年完成の『出雲国風土記』には、鮑(アワビ)や鯖(サバ)と並び海産物として「烏賊(イカ)」の名が列挙され、地方の特産物として認知されていたことも伺えます。

平安~鎌倉期には、法令で定められた献上制度を背景に、朝廷への調進品としてイカが組み込まれました​。

また10~13世紀の日宋貿易では、硫黄や刀剣と並び、干物を含む海産物の輸出品としてイカが扱われ、日本食文化の海外流通に寄与したと考えられます。

近世江戸の加工技術とスルメ文化

塩辛 昔は塩分過多で激辛だったらしい(提供:PhotoAC)

江戸時代に入ると、イカの食べ方にバリエーションが生まれました。ひとつは塩辛の定着です。

塩辛自体の歴史は古く、平安末期の『今昔物語』に「塩辛」の文字が見えるほどですが、現代的加工法として「塩辛」が名称として庶民に定着したのは江戸中期後半以降とされています。

とりわけ塩辛の中でもイカの塩辛は庶民の間で絶大な人気を誇っており、日々の食事で幅広く食べられています。しかし当時は冷蔵庫のような便利なものがなかったということもあり、保存のため塩分濃度は現在のそれよりも遥かに高かったようです。

スルメイカ(提供:PhotoAC)

また、スルメも天日干し技術の発展により保存性を向上させ、江戸のおつまみとして広く愛されるようになりました​。

スルメは縁起物としても広く親しまれており、結納品や贈答品として、長寿や繁栄を願う縁起物「寿留女(するめ)」の名で親しまれるようになったのです。

一方、江戸時代の中期頃から、スルメの名前自体は「スルメの『スル』というところが「お金をする(全部使ってしまう)という語感を持つため縁起が悪い」と考える動きがあり、スルメを「アタリメ」と言い換えて使われることも増えてきました。

現代の漁獲量拡大と全国消費の多様化

イカを取り巻く状況は、現代に入ると大きく変わっていきました。ひとつ目は世界漁獲シェアの拡大です。

日本のイカの世界漁獲シェアは1980年には134万トン中51万トンを占め、世界の半数超を漁獲するようになりました​。

2つ目は冷凍保存技術の確立です。1950年以降、石川県などで一尾凍結法が普及し、釣りたての鮮度を保持した「船凍イカ」が登場。イカは元々水分量が少ないということもあって冷凍による劣化は少なく、この技術の発展により家庭でも使いやすくなり、さらなる消費拡大に寄与しました​。

イカ釣り漁船

以上のように、イカは古代から現代に至るまで、時代ごとの技術革新と社会制度の変化を背景に、献上品・貿易品・庶民の保存食へと姿を変えつつ、日本人の食文化を支えてきたのです。

近年ではスルメイカの資源量が枯渇して急速に漁獲できなくなり、例えばいかめしなどは原材料の確保にも難儀しているそう。

海洋との付き合い方がどれだけの勢いで変化しているのかについても考えるひとつのきっかけになりそうです。

(サカナトライター:華盛頼)

参考文献

QUID SUPPLY, DEMAND, AND MARKET OF JAPAN-National Oceanic and Atmospheric Administration

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