【山内惠介インタビュー】歌の練習、酒場からのインスパイア……九品仏で気ままにウォーク、惠ちゃんショー開演
演歌界の貴公子、惠ちゃん。本日の舞台は、毎月のように訪れるという九品仏(くほんぶつ)。老舗の洋菓子店などを巡りながら聞く、街と酒場を愛するわけとは……。取材終了後に、みずから行きつけのお店へのご案内も。気ままにウォーク、惠ちゃんショーの開演です。
山内惠介(やまうちけいすけ)
1983年、福岡県糸島市生まれ。キャッチコピー「ぼくはエンカな高校生」でデビュー。『NHK紅白歌合戦』には2015年から10年間、連続出場中。デビュー25周年記念曲『北の断崖(きりぎし)』。2025年7月配信の新曲は、椎名林檎作詞作編曲『闇にご用心』。趣味はワインと散歩。
どこか故郷と似た匂い。大井町線ってノスタルジー
「九品仏といえば、『ローレル』さんよ」と、行きつけの料理店の女将さんに教わったという惠ちゃん。
「本当に素敵なお店ですね。1980年創業ということは、僕より3歳お兄さんだ。ピスタチオのケーキを食べてみたかったんですよ」と、さっそく老舗パーラーで名物を味わいながらインタビュー、スタート。
——九品仏にはよく来られるとか?
惠介 5〜6年ほど前、お知り合いの方に連れてきていただいて、それから毎月のように来てますね。最初は、きゅう、しな、ほとけ? って駅名も読めなくて。
大井町線のローカル的な雰囲気が故郷糸島とどこか似てるんです。特に九品仏は、各駅電車しか停まらない駅でホームが短いから、1両のドアが開かずの扉でしょう。そんな電車ある!?って(笑)。電車にはよく乗ります。ウォーキングも日課で、歩きながら歌の練習をするんです。血流が巡るし、腹筋が鍛えられて声に良いんですよ。あとお芝居も。最近は、『瞼(まぶた)の母』のセリフを、「女将(おかみ)さん今、何と言いなすった。笑わせちゃいけないぜ。はっはっは〜」なんてセリフを歩きながら言っていたら、すれ違った人がぎょっとしてました。
これからせっかくなので、九品仏のお寺まで歩いて行きましょうよ。
というわけで、惠ちゃんとともに徒歩で九品仏のお寺に移動します。
惠介 『窓ぎわのトットちゃん』を読み、黒柳徹子さんが通っていたトモエ学園の子供たちが肝試しをするお寺と知ったんです。実際に徹子さんにお会いしたとき、九品仏によく行くという話したら、「あなた、あんなところまで行ってるの!」と驚かれました。緑豊かで、お墓もあるんですね。
お墓と言えば、新曲の「闇にご用心」のMVは、夜中の墓地で撮影したんですよ。(作詞作編曲の)椎名林檎さんがもし九品仏に来られたら、何か目には見えないものをキャッチされるんじゃないかな。
——椎名林檎さんは、高校の先輩だそうですね。
惠介 僕が高校2年のとき、「うちの先輩が、歌いよっちゃね!」って学校中の話題でしたから。学校の先輩って業界の先輩よりも強いでしょ?(笑)。お優しい方だけど、大前提として従順でいることが心地良くてね。デビューから約四半世紀、えらぶったり、おごったり、いやでも変な垢(あか)がついてしまいますから。己のツノを折ってもらえるような出会いでした。
月夜の公園から大井町線の夜の街へ
——25年前(2000年)、17歳で福岡から上京を?
惠介 一番最初に住んだのは、江東区、次は練馬春日町の家賃7万円の半地下のアパートです。寝てると、窓から自転車置き場にいる人の顔が見えて、うわあ〜ってカーテン閉めるようなお部屋。6年間は、作曲家の水森英夫先生との約束で、実家と音信不通の生活を送っていましたから、帰りたくても帰れない。仕事もないし、友達もいない。昼夜逆転で外食は『華屋与兵衛』か『魚屋路』。でも毎年、新曲はいただいていたので、お部屋で歌うんです。すると、隣の方に怒られてね。
——半地下で、壁も薄い……。
惠介 そう。夜、光が丘公園に行き、歌の練習をしながらいつも月を見てました。月は糸島からも見えますから、故郷とつながってる気がして。いつか誰かが月のように自分を照らしてくれると言い聞かせてましたね。
——デビュー15年目に、「スポットライト」で紅白初出場を。
惠介 曲をいただいた時、光が丘公園が見えたよね。「あの頃、月が僕のスポットライトだった」というキャッチコピーも生まれました。これからは、自分が誰かを照らす歌い手になろうとがんばるうち、だんだん自分のキャパシティを超えてくる。疲れても、家で眠るだけでは解消できないものがあって、そんな時にバーやお料理屋さんに行くことが、自分にとって羽を休める小旅行になったんです。
——思い出のお店はありますか?
惠介 自由が丘にあるバー『ゾネ』かな。「自由が丘デパート」という昔ながらの建物の中にあって、その風情にホッとしたんですよね。30代で飲みに出かけるようになったのは、そこが始まり。隣り合わせた人の話を聞いたり、世の中のことや人の心、演歌にこめられた意味を感じる場でもありましたね。バーの方から、当時の僕の衣装や雰囲気とダブったのか、「デヴィッド・ボウイを聴いてみたら?」とアドバイスをもらい、その後、自分が歌うようになるなんて思いもしなかった。すべての出来事に意味があるんですね。
——飲みに行くときはお友達と?
惠介 だいたい一人です。最近はカウンターがある料理屋さんで親方や女将さんと話すのが好きですね。一枚の板の向こう側が舞台。僕はいつも向こう側にいるから、客席からはこんなふうに見えるんだなって。
僕の祖母は、調理師免許を持っていたんです。叔父兄弟も鳥栖(とす)で食堂と焼き鳥屋さん、うどん屋さんをそれぞれ経営していたんで、子供の頃から赤提灯(ちょうちん)に行き、ごはん食べたりカラオケを歌ったり。歌手を目指すようになったのもその頃からだから、酒場や料理屋さんに、自然となじむのかもしれません。
迷いながら通う“迷店”。磨かれる面白トーク
——酒場でインスパイアされることはありますか?
惠介 料理屋さんならお食事、コンサートなら歌を聴いてもらうことが基本だけど、それプラス、何を持って帰ってもらうかを考えますよね。
コンサートの最後、幕があと少しで閉まるという時、僕が顔をぴょこんと出してお客さんに「長生きしてね〜」って言うの。お客さんは「お前もな」って言い返したいけど、幕は下りちゃう。「あのラストがいい!」と、よく言われます。こういう喜ばれるトークやノリは、お店で学びました。
歌手も飲食店も同じお客さん商売。常に満席というわけにはいかない。僕も、客席が埋まらない時期は逆に自分を鍛えるチャンス。この時間がいつか力になると思うようにしていますし、どんな仕事でも、そう思えた人が残っていくんじゃないかな。
——お店では「歌手の山内惠介」と気づかれますか?
惠介 ぜんぜん。自分からは言いませんが、お店の方が歌手だと口走って、「じゃあ何か歌ってよ」とリクエストされたら、歌います〜。だいたい店には大好きな井上陽水さんのLPはありますから。あ、でも肝心の僕のレコードがなかったりする!(笑)
ここで取材終了の時間に。すると、なぜか一行を引率し歩き出す惠ちゃん。到着したのは、ほど近い料理店『魚こばやし』さん。どうやらトークを磨くお店のようで……?
女将さん あら〜、惠ちゃん!
親方 九品仏で撮影? あすこは紅葉がいいんだよ。ビール飲む?(笑)。
女将さん ちょうど待ってたのよ、誕生日プレゼント渡そうと思って。
惠介 ありがとう。こちらが、僕の行きつけです。お魚が本当においしいし、いつも家族のように迎えてくれてね。良いことも、そうじゃないことも全部報告してます。
親方 そうね。惠ちゃんは酔うとこのテンションが、パワーアップして面白いよ。店でファンの方と居合わせたこともあったねえ。
惠介 ご本人がファンなんじゃなくて、「私の友達がファンなんです」って、よくあるパターンですっ!(一同笑)。こんな感じで僕の話を、いつも面白がってくれる名店です。
親方 迷うほうのメイテンです。
惠介 ワハハ〜。僕も迷うからね。行きつけとか言いながら、駅から一本道なのに、よく迷子になってます!
闇じゃなくてもご用心!?
九品仏で愛され続ける名パーラー『パーラーローレル』
1980年創業。名物の、ピスタチオとフランボワーズを使った三日月型の「シチリア」は810円(イートイン825円)。フランスやベルギーで修業を積んだ2代目が作る繊細な飾りのバターケーキも評判。喫茶スペースが心地よい。
パーラーローレル
住所:東京都世田谷区奥沢7-24-3/営業時間:9:30~18:30/定休日:木・第1・3水/アクセス:東急電鉄大井町線九品仏駅から徒歩3分、自由が丘駅から徒歩7分
惠ちゃんの家族のような親方と女将さん『魚こばやし』
1994年創業の知る人ぞ知る居酒屋。白板にびっしり書かれた旬の魚料理の品書き。粋な暖簾(のれん)の文字は、ご主人と親交があった石原慎太郎さんの書。惠ちゃんがこちらで注文するのは、魚の刺し身と大好物のカキ。一杯目は冷えたビールでしょうか。
17:30~21:00LO、水・第3火休。
住所非公開
☎03-3703-1501
境内には三途(さんず)の川も!?『九品仏』
延宝6年(1678)に創建。正式名称は「九品山 唯在念佛院 淨眞寺」。九躰(九品)の阿弥陀佛をご安置している事から九品仏と呼ばれている。広々とした寺域全体は、極楽浄土にちなみ形作られていて閻魔(えんま)堂もある。秋には紅葉が見ごろとなる。
九品仏 浄真寺(くほんぶつ じょうしんじ)
住所:東京都世田谷区奥沢7-41-3 /営業時間:6:00〜16:30(開門)/定休日:無/アクセス:東急電鉄大井町線九品仏駅から徒歩4分
取材・文=くればやしよしえ 撮影=三浦孝明
『散歩の達人』2025年10月号より