一糸乱れぬユニゾンで世界のエンタメ界をも魅了した双子の歌手の完成度が極まった「パヤ、パヤパヤ」が印象的なダイナミックな一曲 ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」
昭和の歌謡界を一世風靡した姉・伊藤エミと妹・伊藤ユミの双子のデュオ、ザ・ピーナッツ。メロディをユミが、ハーモニーをエミが担当していた。ピーナッツの歌声の魅力は、何と言っても一糸乱れぬ完璧なユニゾンが最大の特徴で、まるで、一人で歌っているかのようだった。二人の声が重なると、小枝が大きな幹になった。
1959年2月11日の日劇コーラス・パレードで歌手デビューし、同年4月に洋楽のカバー曲「可愛い花」でキングレコードからレコード・デビューした。渡辺プロダクションの専属タレント第1号で、75年に引退するまで一貫して渡辺プロダクションの所属だった。その後も「キサス・キサス」「情熱の花」「悲しき16才」「月影のナポリ」「ペピト」など当初は洋楽カバーの曲を歌っていた。編曲のほとんどを「宇宙戦艦ヤマト」「銀色の道」などの作曲で知られる宮川泰(ひろし)が担当している。同年のNHK紅白歌合戦に「情熱の花」で早くも初出場を果たした。「情熱の花」の原曲は、ベートーベンの「エリーゼのために」。ちなみに、59年の初出場組には、水原弘、和田弘とマヒナ・スターズ、映画『めし』『若い人』『七人の侍』などで知られる女優の島崎雪子、「哀愁の街に霧が降る」のヒット曲がある俳優の山田真二、森繁久彌らがいた。61年には同じく双子の歌手こまどり姉妹が紅白歌合戦に初出場を果たし、洋のピーナッツ、和のこまどり、と共に人気者になっていった。
59年6月17日にスタートしたフジテレビ系の音楽番組「ザ・ヒットパレード」ではレギュラーに抜擢され司会も務めており、70年の3月31日まで番組は続いた。また、61年6月4日放送開始の日本テレビ系バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」でもメインとして司会を務め、テーマソングも歌い、ゲストとのトークなどに加えて、レギュラー出演のハナ肇とクレージーキャッツの面々とコントにも参加し、これがまた番組の人気コーナーになっていた。台本を書いていたのは、前田武彦、青島幸男、野坂昭如らだった。番組は72年10月1日まで続いた。まさに昭和のテレビの売れっ子であった。東宝の特撮映画『モスラ』(1961年公開)では、インファント島の妖精のような双子の「小美人」役で出演し、ピーナッツが歌う「モスラーやっ、モスラー……」(作曲は古関裕而)というフレーズは子どもたちの間で大人気だった。
その人気は国内にとどまることなく、世界的に知られていたアメリカCBSテレビの人気バラエティ番組「エド・サリヴァン・ショー」への出演は大いに話題になった。コメディアンからクラシック演奏家、バレエダンサー、オペラ、ポピュラー、ロックのミュージシャンなどが毎回ゲストとして出演しており、エルヴィス・プレスリー、ジェームズ・ブラウン、ビーチ・ボーイズ、ジャニス・ジョプリン、マイケル・ジャクソン、ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズといったミュージシャンにザ・ピーナッツも名を連ねているのだ。そのほかにも、やはりアメリカの人気テレビ・バラエティ「ダニー・ケイ・ショー」、ドイツでの「カテリーナ・バレンテ・ショー」などにも出演し、その歌声は欧米でも高く評価されている。
オリジナル曲としては岩谷時子作詞、宮川泰作・編曲の「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディ東京」(編曲は東海林修)をはじめ、「ローマの雨」(橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲、服部克久編曲)、「恋のオフェリア」(なかにし礼作詞、宮川泰作・編曲)、「恋のロンド」(橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲、宮川泰編曲)、「東京の女」(山上路夫作詞、沢田研二作曲、宮川泰編曲)、「大阪の女」(橋本淳作詞、中村泰士作曲、森岡賢一郎編曲)などのヒット曲を出し、紅白歌合戦にも初出場以来、引退の前年74年まで連続16回出場した。
数あるヒット曲の中でも、僕にとってザ・ピーナッツのこの一曲を挙げるなら67年にリリースされた「恋のフーガ」だ。同年の紅白歌合戦でも歌唱している。作詞をなかにし礼、作曲をすぎやまこういち、編曲を宮川泰が手がけている。編曲を手がけた宮川泰は、ザ・ピーナッツの育ての親とも言われる存在で、編曲のみを手がけた作品も多い。「恋のバカンス」では、日本レコード大賞の編曲賞を、「ウナ・セラ・ディ東京」では同じく作曲賞を受賞している。69年と72年の紅白歌合戦では、ピーナッツの歌唱の指揮を担当した。
「恋のフーガ」はイントロのティンパニの連打の切れの良さと、流麗なストリングスの美しさ、ピーナッツのダイナミックな歌声により、失恋の悲しい歌詞の世界を極限にまで昇華させている。声の伸びといい、ハモリの技術といい、しなやかでパンチがきいた歌声は、ザ・ピーナッツの歌声の完成度極まれりという印象だった。「パヤ、パヤパヤ」の歌詞にメロディがしっかりと勝負し、ダイナミックな編曲により、スケールの大きな楽曲にしあがっている。ピーナッツの振りと衣装も見事にシンクロしていた。
ザ・ピーナッツの活動期間は約16年。引退時にはテレビの歌謡番組でも「サヨナラ」企画として引退記念特集が組まれ、多くの歌手仲間たちが引退を惜しんだ。引退後の75年6月4日に、エミは沢田研二と結婚したが、87年に離婚している。残念ながらエミもユミもすでに泉下に眠っている。ちあきなおみや都はるみ、中森明菜などと共に、今一度歌を聴きたい歌手として名前が挙がるザ・ピーナッツ。ザ・ピーナッツが最後に出場した紅白歌合戦で歌ったのは、41年にアメリカのアンドリュー・シスターズが発表した「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」だった。そのステージを観たとき、ザ・ピーナッツだからできる選曲だったと、ラストソングにふさわしいパフォーマンスだと感じた覚えがある。僕はまだ、ザ・ピーナッツ以上に質の高いデュオに出会っていない。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑 杉夫