元祖御三家! デビューの決め手は呉服屋育ち~橋幸夫さん
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。
橋幸夫さん
1943年、東京荒川区生まれ。1960年に「潮来笠」で日本ビクターからデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』として一時代を築きあげました。一度は舞台を退いたものの、2024年から歌手活動を再開しています。
JK:ようこそ、ご無沙汰してます! うれしい! 何十年ぶりかわからないけど、話題のこともあったりするので、ぜひと思って。
橋:わざわざご指名いただき、ありがとうございます。
JK:私、青森のねぶたが大好きでよく行ってたら、橋さんがねぶたの歌を歌うっていうんで「ねぶた見たことありますか?」って訊いたら、「見たことない」って言うから、「絶対見た方がいいですよ!」って。
橋:わっかりました!って行ったんですよ。そのあと青森のねぶた大使に任命されて。それから毎年です。
出水:2002年に106枚目のシングル「北回帰線」がリリースされて、そのカップリングが「ねぶた節」。
橋:盛り上がったんですよ、レコード会社もものすごく力入れて。僕はお祭り大好きですから! 先生もそうですよね?
JK:岸和田で生まれましたから(^^) 五所川原って23mのねぶたがあるんですよ! あれをあの後ブラジルまで持ってったんですよ。
橋:へぇ~! すごいなあ! お祭り女といわれるゆえんですね!
JK:まだまだ続きますよ~!
出水:橋さんはジュンコさんのブティックで着物を作ったこともあるそうですね?
JK:作らせていただきました! だいぶ前だけど、手描きみたいな着物。うれしかったですね。橋さんのご実家が呉服屋さんなんでしょう?
橋:そうなんですよ。親父は染め物の男で、おふくろがカウンターで、夫婦でぼんぼん売ってました。そんないい時代だったんですよ。
JK:呉服屋のおうちだから着る物には目がないのね。おしゃれだったですもの! でも歌の道に入ったのはご両親の?
橋:おふくろの。おふくろは歌が大好きな人で。9人兄弟なんですけど、全員集まると男女あわせて13人! 僕は末っ子ですから。それで日曜日になるとおふくろが「うちで歌合戦やったらどう?」って。「忙しいからそんなことできないよ!」って言ってるんだけど、何週ごとかにやりましたよ(笑)
JK:家族だけですごい数になるからね(^^)それぞれの家族を合わせるとものすごいんじゃない? 100人ぐらい?
橋:いやいや、そんなにいませんけど(^^;)
出水:じゃあ橋さんもご自身の好きな歌をみんなの前で披露したり?
橋:そういうためにやったわけじゃないんだけど、きょうだいみんな好きだし、僕末っ子だから、何か言うと「お前もやったらいいじゃないか」とすぐ参加させられるんですよね。「俺はプロだから、あんたたちみたいな素人じゃないんだよ」って言うと、「お前そんな生意気になっちゃだめだ!」とか(笑) 一番下だから、でかいこと言えない(^^;)
出水:プロになってからも歌合戦やってらしたんですね。
JK:お店はどこにあったんですか?
橋:中野です。駅からずっと商店街を突き抜けたナントカ通りってところの右から3番目。今はないですね、もう。
JK:あの辺行くと懐かしいでしょう。橋幸夫通りにしちゃえばいいのに(^^)
橋:コシノ・ジュンコ先生がなんとか言ってください。命名者です、って(笑)
JK:17歳からのスタートでしょう? 遠藤実さんってすっごい人に最初に習って。これ以上ない人ですよね! 出会ったことが全ての始まりですね。
橋:僕には遠藤・吉田っていう大巨頭が2人いらっしゃって。遠藤先生は新潟県の生まれで、おふくろが「今度誰かに先生してもらって、曲を作ってもらって」ってプロデューサーみたいなことを言うんですよ。それで先生の自宅まで行って「うちの息子なんですけど、先生にご師事いただけますか」って。「おふくろ、勝手にそういうこと言わないでくれよ」「いいじゃないよ、この先生だったら大丈夫よ」って。
JK:お母さまの勘ね! ふだん商売してらっしゃるから堂々としてるんですね。
橋:そうですね、何でも商談やるのが大好きだから。
出水:もちろん遠藤先生とはお母様も初対面?
橋:会ったことはないです。でも遠藤実歌謡教室をやってるのは知ってたから。遠藤先生はコロンビアの専属ですから、「うちの会社でやるか」って感じになったんですよ。「第1スタジオに行ってディレクターに言っておくから」って。これでこのままデビューになったらいいなと思って行ったら、ディレクターが「ああ、あんたが遠藤先生のか。でもここではデビュー前はできないんだよ。うちはうるさいから、何歳まで超えないとデビューはさせられない」って。
JK:その時16歳でしょ。何歳からいいんですか?
橋:新譜として出すに「20歳ぐらいになってから」と言うんで、それで僕も嫌気がさしたんですよ。そしたら遠藤先生が怒りましてね。「この子は俺がデビューまでレッスンしてるんだよ。道筋つけてくれ」「いや、うちではできないんですよ」「お前何様だ! わかった、もうやめだ。コロンビアデビューなし! 橋幸夫は俺が連れていく」って。それでビクターに連れてってくれたんですよ!!
JK:責任感じてね。
橋:先生も専属のくせに「うちのディレクター、キャンセルしやがって。わかっちゃいねえんだあいつ」って散々言って(^^;)それでビクターの吉田先生のところに行ったんですよ。そしたら吉田先生も喜んで、「あんたのところじゃないの? 俺がやっていいの?」って。作曲家の弟分みたいな方ですから「わかった、俺が預かろう」って言ってくださったんです。すごい先生でした。
JK:ひや~運命的ですね!! そんなストーリーありませんよ!!
橋:その時キャンセルしたディレクターはクビですよ! 左遷からクビだって。「何考えてるんだ!」って怒られたそうです。
出水:17歳、高校2年生の時に「潮来笠」でデビューして、120万枚のヒット!
JK:大損したわね、相手は。
橋:これ、親父の仕込みのおかげなんですよ。「人の家に行ったら、玄関上がる時に必ず下足を脱いで向きを変えておけよ」って。そうやって上がったら、それを見た吉田先生が驚いて「お父さんが商売かなにかやってるの?」「中野で呉服屋をやってます」「呉服屋の息子か!玄関で下足を脱いで、ちゃんと揃えるところまでやる奴はいない」「すみません、親譲りなものですから」って言ったら、一発で「わかった、ビクターの専属にしてやるから」って。そういうストーリーなんですよ。
出水:お母さまがつないだご縁と、お父さまが仕込んだ躾のおかげですね!
橋:まあ商店街のちっちゃな呉服屋だったんですけど、ファンがどんどん集まってきて買いにくる。おふくろが反物をバーッと広げて「どれにします?」って言うと、女性のファンのお客さんが「どれがいいか、お父さん選んでくれます?」って。喜んだね! 必ず一反は買っていってくれるから。親孝行しましたね(^^)
出水:「潮来笠」でデビューして、レコード大賞新人賞の初代受賞者として橋さんの名前が刻まれることになるわけですよね。
JK:17歳で! そのあと紅白ですよね。根っから着物が似合う方ですから、ビシーっと合うんですよ。年齢が若くても浮いてない。
橋:着物は売るほどありましたからね(^^) 子どものころから来てましたから、着物顔です(笑)
出水:歌手としていきなり環境が変わって、ご自身としてどう感じていたんですか?
橋:環境の変化というより、遠藤先生が歌の先生でしょ? その次が吉田先生でしょ? 二大巨頭ですよ。ビクターもものすごい力入れてくれて、ばんばん次が来るわけですよ。アルバムもすぐできちゃうし、おふくろも「あんた良かったわねえ!」って喜んで、「着物も同じものは着せないよ、新しいものを作ってやるから。TVで何週間もおんなじもの着てるのは私いやだからね。うちは売るほどあるんだから」って(笑) そういう母なんです。
出水:いいお母さまですね! 当時は御三家として人気でしたけど、みなさんライバル意識みたいなものはあったんですか?
橋:僕はあんまりないけど、あの2人はあったでしょうね(笑) なんかアイツ意識してんな、って感じがありました(^^)
JK:でもひとつの時代を作りましたよね。
出水:当時の多忙ぶりは?
橋:すごかったですよ! 地方公演に行くついでに営業っていうのもあるし。だから全部僕のワンマンショウになっちゃうんですよ。そういう座組をビクターも組んでるから、営業と実演と一緒になっていくんですよ。橋幸夫ショウで全国回りましたよ! 休みのやの字を言うと「何言ってるんだ橋くん、君まだ新人だよ」って言われる。そういう人ばっかりだから(笑) 1回地方公演に行くと、2~3週間はずーっとそれなんですよ。
JK:日本全国すみずみまで? 大荷物で大変ですね。東京には帰って来るでしょう?
橋:行きません。女の子たち80人ぐらい連れて後ろで踊らせて、北海道までやるんですよ。それは僕も楽しかったですけどね。ホームシックなんかなってる暇なんかない。取材マネージャーが3つ上の姉貴ですから。「ビクターからマネージャーやれって言われたの」「俺は許可してねぇけど」「私は行くわよ!」って(笑) 行くのはいいんだけど、弟だから、身の回りから、立ち居振る舞いから、「あの人に挨拶しといたほうがいいわよ」とかうるさいんですよ!
JK:でも10代だから、お姉さんがいてよかったじゃないですか。今だったら大変ですよ、変なことになっちゃったりして。
出水:ご両親から密命を受けてたんじゃないですか?(^^)
橋:でもきょうだいってその当時は邪魔者なんだよな(笑) 男だから、女のおばさんがいつもついてくると来たくなくなっちゃうじゃないですか(^^) まぁ、そんな時代もありました!
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)