別府の明礬温泉『岡本屋』女将の感性と直感を武器に、新たな名物づくりにもチャレンジ
日本屈指の湯どころ・大分県別府の北西部の山間に湧く明礬(みょうばん)温泉。ミルキーブルーの温泉、地獄蒸し(R)プリン、湯の花をもつ名物づくしの老舗旅館『岡本屋』が目指すのは、新たな湯治文化の創造。ウェルネスやリトリートを軸に時代に即した温泉旅館への進化に挑む。
今回の“会いに行きたい!”
明礬温泉『岡本屋』女将の岩瀬伸子さん
150年の歴史を積み重ね空間づくりをコツコツと
もくもくと湯けむりをあげる別府温泉郷・明礬温泉の名物といえば、地獄の噴気で蒸し上げる「地獄蒸し(R)プリン」。そのプリンを始めたのが『岡本屋売店』だ。本体は温泉旅館『岡本屋』。明治8年(1875)創業、2025年で150年を迎えた。
シックな鈍色の壁と月日の経過とともに飴色に変色した柱。玄関や廊下には明礬の「湯の花」を使った温泉染めのアート作品や、石川県の伝統工芸品・輪島塗のアート作品が飾られている。
国内はもとより、世界中から女将が探してきたアンティーク家具や絨毯、シャンデリアなどが和の空間にマッチし、エキゾチックな雰囲気を醸し出す。
「嫁に来た頃は風呂場に花柄の壁紙が使われ、壁一面に観光ポスターが貼られているような、むかしながらのザ・温泉旅館でした。雑然とした空間を変えたくて、自身のセンスを信じ、できることから取り組み、理想の宿へと近づけていきました」
結婚前は会社員を経て、福岡で花屋を営んでいた伸子さん。結婚するときには「旅館に嫁ぐこと」に躊躇もした。しかし「いいやん、いまどき離婚なんて珍しくもない。とりあえず行ってみればいいよ」。そんな同級生の言葉に背中を押され、結婚を決めたのは30歳のときだった。
「私の周りは、さばけているお友だちが多いんです」。そう笑う伸子さん自身もあっけらかんとして、竹を割ったような性格に見える。
調度品は女将セレクション惚れた工芸品を特別室に
岩瀬家は硫黄の山を管理していた、山奉行の家柄。豊後森(ぶんごもり)藩の飛び地だった明礬地区は、江戸時代は国内の明礬の8割を生産していたという。
明礬は革のなめしや着物の染色に使用されたもの。江戸時代から変わらぬ製法でつくる、藁と竹を編んだ「湯の花小屋」の中に青粘土を敷き詰め、結晶化させた湯の花は、明礬の製造途中に生まれた半製品。
海外製の明礬が輸入されるようになって明礬の売上が落ちたことから、その成分に目をつけて3代目が「湯の花」と名づけ、入浴剤としてヒットした。現在も「明礬・湯の花」として販売している。
そんな家に嫁いだ伸子さんは子育てをしながら、女将として宿を切り盛りしてきた。インテリアコーディネートには当初、専門家を入れていたものの、2007年頃からカーテン選びなど小さなところから始め、「女将のセンスは抜群」と周囲からの信頼を得て、いまではさまざまな工房を訪ね、感性に合うものを自ら選んでいる。
最近のお気に入りは、特別室「望海」の青色の襖。京都の『唐長(からちょう)』の作品で、桂離宮や二条城といった歴史的建造物に採用される手仕事の品なので、非常に高価なもの。7代目当主である夫は、驚いてすぐには首を縦に振らなかったという。
「このブルーは唐長以外、出せない色。『どうしても唐長の襖でやってみたい』と考え、3~4年かけて、ようやく理解を得ることができました」と伸子さんは語る。
2013年頃からは、宿と地域のPR活動にも力を入れ始める。コロナ禍には大分県内の女将さんたち8人を束ねて「OKM8(おかみ8)」を組織、SNSでの情報発信など地域の旗振り役としても活動してきた。
リトリートの宿づくりで新たにハワイアンカフェも
現在、伸子さんが最も力を入れているテーマは、リトリートな宿づくり。「時代が求める癒やしの宿とは何か?」を日々考えながら、さまざまなアイデアを実践、宿泊プランとして打ち出している。
2022年からは、薬膳の考え方を取り入れた料理を提供する「美活プラン」をスタートした。これは、別府名物の地獄蒸し料理と薬膳をかけ合わせて、温泉と料理の両面からお客さんに元気になってもらおうというものだ。
また年に数回、「岡本屋女子宿」も企画している。美容と癒やしをテーマにした女性限定のプランで、特別ゲストを呼び、宿全体が「女子宿」になるというもの。この日ばかりは、男性用の大きな露天風呂が女性専用となる。
さらに、別府市が推奨する「医療・美容・健康」をテーマにした長期滞在向けの新プランをスタッフとともに開発中だという。
日本一の湧出量と源泉数を誇る別府温泉だから、学術的なデータも豊富。「実証実験では、温泉に入ることによって腸内細菌が変化し、疾病のリスクが改善するというデータもあります。こういった温泉の効果もしっかりアピールしていきたい」
インスタグラムなどSNSの投稿についても人まかせにせず、女将自らおもしろいと思ったネタを投稿して耳目を集めている。
「売店の地獄蒸したまごサンドをSNSにこっそりあげたら、売店スタッフから『毎日、たまごサンドが売れすぎて大変』と言われ、SNSのバズりの威力を実感している」とか。
創業150周年を機に、新たな店舗『チャーリーズラナイ』を2025年10月にオープンした。『岡本屋売店』の姉妹店ともいえる店で、ハワイをイメージした、ドッグラン併設のカフェだ。ハワイ好きな売店責任者の義妹が、数年越しでメニューを開発。
揚げたてパンに砂糖をまぶしたハワイのドーナツ「マラサダ」は、外はサクサクなのに中はもちもち、ふわふわ。「私もハワイが好きでよく行くのですが、自然豊かな明礬は、ハワイに似ているところがあると思うんです。お客さまに、のんびりとリラックスしてもらえる店づくりを考えていきたいですね」
マラサダはプリンに続く、第2の別府名物になりうるか——? 感性と直感力で挑戦し続けてきた女将がつくる、新たなリトリートを体験してほしい。
宿のすぐそば、立ち寄りスポット
『岡本屋売店』元祖「地獄蒸し(R)プリン」がのった贅沢パフェ
100度の蒸気で蒸しあげた名物・地獄蒸し(R)プリンは、苦みがきいたカラメルと濃厚な味わいが特徴。地獄パフェ900円はプリン、アイス、チョコがのった大満足スイーツ。
「明礬地獄」江戸時代から変わらぬ「湯の花」の採取場
『岡本屋売店』から通りを挟んで目の前にある。藁葺きの湯の花小屋の内部を見学できるほか、温泉の足湯を楽しむこともできる。『岡本屋』宿泊者は無料で入場可能。
岡本屋
住所:大分県別府市明礬4組/アクセス:JR日豊本線別府駅から車15分
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2025年11月号より
野添ちかこ
温泉と宿のライター/旅行作家
神奈川県生まれ、千葉県在住。心も体もあったかくなる旅をテーマに執筆。著書に『千葉の湯めぐり』(幹書房)、『旅行ライターになろう!』(青弓社)。最近ハマっているのは手しごと、植物、蕎麦、癒しの音。