矢部太郎 体が弱く“ヒーロー”に憧れなかった子ども時代 「人気漫画家」の才能を育んだ“父のほめ方”とは
芸人・漫画家の矢部太郎氏インタビュー第2回。矢部太郎氏の子ども時代とは? 大好きだった本や絵を書くこと、父親について。全2回。
【画像】子ども時代の矢部さん芸人であり、漫画家としても活躍している矢部太郎さん。シリーズ累計135万部を突破した『大家さんと僕』に、実の父との思い出を描いた家族漫画『ぼくのお父さん』(新潮社)は15万部超と大ベストセラー。矢部さんならではの、ほのぼの視点で描かれる作品は、多くの人に支持されています。
2025年6月には矢部さんの日常の気づきや新しい発見を綴ったエッセイ漫画『ご自愛さん』(PHP研究所)を上梓。唯一無二の才能を開花させている矢部さんはどんな幼少期を過ごしたのでしょうか。子ども時代についてお話を聞きました。
絵を描くのが好きでおしゃべりな子どもだった
──矢部さんの子ども時代について、お話を聞かせてください。振り返って、どんな子どもでしたか?
矢部太郎さん(以下矢部さん):保育園から小学生のころは、すごくおしゃべりだったと思います。絵を描くのはそのころから好きでしたね。父(絵本作家・やべみつのり)が絵を描く仕事をしていたので、家で一緒に絵を描いたり、動物園に連れていってもらって動物の絵を描いたりしていました。
──子ども時代に経験していて、よかったなと思うことはありますか?
矢部:今、絵を描くことが仕事になっているので、幼少期に絵を描いていてよかったと言える部分はあるかなと思っています。父とはものづくりをすることが多く、一緒に遊ぶのはすごく楽しかったですね。
子ども時代の矢部さん。家にいるお父さんとつくし取りに行ったり毎日楽しく遊んで過ごしたという。 写真提供:吉本興業
──矢部さんが子ども時代、親しんでいた本や児童文学というと?
矢部さん:父の仕事柄、絵本や本は家にたくさんあって、父が描いた絵本のほかに、父の持っている本もいろいろと読んでいました。図書館に行くのも好きでしたし、本はわりと買ってもらえていたと思います。ブルーノ・ムナーリの絵本『やになった』はお気に入りで、今も自分の部屋の書棚に置いています。
象が象でいるのがイヤになって、何になりたいかというと鳥になりたいと思っている、というふうに、いろいろな動物が自分でいることがイヤになり、ほかの何かになりたいと考える。お話の最後に出てくるのが牛なのですが、牛は象になりたいと思っている、というふうに循環しているんですよね。
絵本の中にマドがあり、マドを開くとその動物の頭の中がのぞけるという仕掛けもあって、とても楽しい。ブルーノ・ムナーリの本は父も好きで、家にいっぱいありました。デザインが素敵で、読み手が楽しめるように作られているのを感じます。
児童文学では『エルマーのぼうけん』が好きで、よく読んでいました。エルマーが動物島にとらわれている竜の子を助けるため、持ってきたリュックの中に入っているもので困難を乗り越えていきます。
毛がクシャクシャになっているライオンを、リュックにあった櫛(クシ)でとかしてあげるなど、知恵を使って動物とうまくコミュニケーションをとって危機を打開するというところが心に響きました。
矢部さんが子ども時代のエピソードを描いた「宝物」。 引用『ご自愛さん』(PHP研究所)
僕自身、体が弱かったり運動が苦手だったりしたので、どこまでいっても暴力や強さに距離をおいてしまうというところがあり、ヒーローものやバトルものが好きになれずにいます。“エルマー”は冒険譚(ぼうけんたん)ではありますが、知識や考える力で乗り越えて前に進むというのは現代的な姿勢で、好きなところです。
父の言葉に「自分はここにいていいんだ」と思えた
──矢部さんは小さいころから絵を描いていたそうですが、矢部さんの描く絵について、ご家族はどんな反応でしたか?
矢部さん:父は子どものための造形教室などもやっていて、「子どもの描く絵は本当に素晴らしい!」と心から思っています。「自分にはもう描くことができないものを描いている」と。
親として「ほめてあげると、子どもが絵を好きになるかもしれないからほめる」というのではなく、父にとっては僕の絵も本当に素晴らしいものだから、「素晴らしい」と言ってくれていました。
そんなふうに「素晴らしい」と公言してくれると、「自分はここにいていいんだ」と思えて、だから絵を描くことがより好きになったのかもしれないと思います。
矢部さんは「絵から離れていた時期もありましたが、今は漫画を含め、ものづくりをしている時間が楽しいです」と笑顔を見せる。 写真:大靍円
──絵を描くのがイヤになる時期はありましたか?
矢部さん:高校生ぐらいからはまったく絵を描いていなくて、芸人になってから、たまに仕事で必要な絵を描くぐらいだったので、ずっと絵を描いていたわけではないのですが、嫌いになったことはないかもしれません。
ものづくりをしているときが僕はすごく楽しい
──矢部さんは今、漫画家で絵を描くことも仕事のひとつになりましたが、それについてどういう想いがありますか?
矢部さん:自分の中では「描こうと思ったら描けた」という感覚です。それは小さいころに父の仕事を目にしていたということもあるかもしれないですし、それだけでなく、芸人として経験したことや作品を作ってきたこと、作品に演者として出演したこと、いろいろなクリエイターの方々とお話ししたことなど、これまでの経験があったから描けたかなと思っています。
なんにせよ、僕の中では「ものづくりをすることが好き」というのが一番大きいのかなと思っていて。結果や周囲の評価よりも、ものづくりをしているときがすごく楽しいんですよね。
今回はPHP研究所さんからご依頼をいただけたから、こういうもの(エッセイ漫画『ご自愛さん』)を描くことができました。何かを始めるにあたって「これ、やります!」と周りに宣言して取り組む人と、言わずに始める人がいると思うのですが、僕はどちらかというと言わずに始めるタイプ。なので、今後、どういうものをやりたいかというのは……そうですね、そのときに考えていけたらと思います。
──『ご自愛さん』をはじめ矢部さんの作品を手に取った方に、どのような気持ちになってもらえたらうれしいですか?
矢部さん:何か受け取っていただけたら、僕はとてもうれしいです!
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ひとつひとつの質問を真っすぐに受けとめ、丁寧に言葉を選んで答える矢部さん。飾らない誠実な人柄が言葉の端々から感じられ、それが作風にも表れて多くの人の心をつかんでいることが伝わりました。
周囲の評価や期待に振り回されず、我が子をほかの子どもと比べることなく、自分なりのペースと価値観を大切に、日々を過ごしていきたいと改めて教わりました。
取材・文/木下千寿
矢部太郎さんからお疲れ様な人たちへ「ご自愛ください」という思いが込められたエッセイ漫画『ご自愛さん』(PHP研究所)。