【予定外の旅】伊勢のタクシー運転手に教わった「プロ野球史上最高の投手」の足跡が良すぎた / 沢村栄治をめぐる旅
つい先日、休みを利用して伊勢市を訪れた。目的はもちろん伊勢神宮……のはずだったが、思いがけず後半から “野球の旅” になることに。きっかけはタクシー運転手との何気ない会話だった。
「大谷翔平はすごいね」「大活躍ですね」「野球といえば、伊勢市は沢村栄治の出身地なんですよ」「え、知らなかった」「それなら駅前の銅像も案内しますね」と運転手さん。車窓から宇治山田駅前の銅像をチラッと眺め、そのまま伊勢神宮(外宮)へ向かった。
参拝を終えてふたたび駅に戻ってくると……今度は「沢村栄治 生誕の街」と書かれた看板を発見。そして吸い込まれるように商店街へ。ここから伝説の投手をめぐる街歩きが始まったのだった。
・宇治山田駅前
近鉄・宇治山田駅前に立っていたのは、力強く足を振り上げる沢村栄治のブロンズ像。言わずと知れた、日本プロ野球史に名を刻む伝説の投手であり、今も「沢村賞」の名で語り継がれている存在だ。
日米野球大会ではベーブ・ルースをはじめとする大リーグの強打者を圧倒。その後、巨人の初代エースとなり、球団初の優勝(1936年)に貢献したことで知られている。
野球ファンとしては、タクシーでチラ見するだけではもったいないことがお分かりいただけるのではないだろうか。
・生誕の街
さて、銅像をしばらく眺めてから振り向くと「沢村栄治 生誕の街」なる文字が目に飛び込んできた。明倫商店街の入口から呼ばれている……こうなると足を踏み入れないわけにはいかないだろう。
気づけば私の伊勢旅は、沢村栄治の足跡をたどる旅に切り替わっていた。
・明倫商店街
時刻は17時過ぎ。人通りはほとんどなく、シャッター街の静けさに足音だけがコツコツと響く。普段はもう少し賑わっているのだろうか、と不安を覚えつつも歩みを進めると……
路地の奥で待ち構えていたのは、壁一面に掲げられた写真や新聞記事の数々。
そこには伊勢が生んだ大投手・沢村栄治の思い出がズラリと並んでいた。名前だけ知っていた伝説の投手がいきなり目の前に……まさか旅先で沢村栄治と一対一で向き合えるとは。
展示の中央に鎮座していたのは「全力石」だ。沢村栄治が残した言葉「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし堂々とだ」が刻まれていた。熱い。
そのすぐ脇には「ふれてさわって気力パワー満タン!! スポーツの技力向上! 仕事のスキルもアップ!」と軽いノリの文言。マジかよ。
厳かなる石を前にして「ふれてさわってパワー満タン!」のテンションにはなれなかったが、一応「ふれてさわって」させていただくことに。沢村栄治投手パワー、たしかにいただきました。ってか……
パネルのキャッチャーが顔ハメ仕様になっていることに今気づいた。エース2人が偉大すぎてキャッチャーの存在すら気づかなかったぞ。
・生家跡
さて、そのまま商店街を抜けた先、住宅街の一角にぽつんと建っていたのが「沢村栄治 生家跡」の石碑だ。
周りはごく普通の民家や駐車場。観光地らしい派手さは皆無だが、静かにこの場所が “大エースの原点” だと告げている。案内板には……
「大正6(1917)年2月1日 父賢二 母みち江の長男としてこの地に生まれ育つ」昭和19(1944)12月2日 27歳の若さで台湾沖にて戦死を遂げる
──と書いてあった。そして石碑の上には沢村栄治の背番号「14」と刻まれたボール。戦時中で軍隊に3度招集され、手りゅう弾の投げすぎで肩を壊した沢村栄治。戦後の1947年に功績が称えられ、巨人の背番号14は初の永久欠番に指定された。
さっきまで「全力石」に手をかざしていた私も、ここでは自然と背筋が伸びた。沢村栄治はたしかにこの街から巣立っていったのだ。
・予定外の寄り道だからこそ
伊勢を訪れた目的は伊勢神宮だったが、思いがけず “野球の旅” も満喫してしまった。伝説の投手・沢村栄治の存在を肌で感じられたのは、野球ファンとしてとても貴重な体験だったと言える。
予定外の寄り道だからこそ、より心に残る時間になった。旅はこういう思いがけない出会いがあるから面白い。興味があれば伊勢観光と併せて楽しんでみてはどうだろうか。
参考リンク:澤村榮治生家跡地
執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.