“保育園落第!?”で多摩テック&サマーランド三昧~アジャコングさん(立川市出身)見参!
東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方もそれ以外の方にも多摩で盛り上がって欲しいという番組。
MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。
今週のゲストは、現役生活38年のレジェンド女子プロレスラー、アジャコングさん(立川市出身)。現在大ブームのアジャさんが女子プロレスの道に進む時代が描かれたドラマ「極悪女王」の話題から、アジャコングさんが生まれ育った「立川」の話、保育園を落第(?)して「多摩テック」や「サマーランド」に行っていた話など盛りだくさん!
“保育園落第!?”で多摩テック&サマーランド三昧~アジャコングさん(立川市出身)見参!
アジャコングさん、話題の女子プロレスのドラマ「極悪女王」を語る
土屋:さっそく今週のゲストのご紹介です、プロレスラーのアジャコングさんです!
アジャコングさん:どうも! よろしくお願いします!
つる子:うわ、カッコいいです!
土屋:テレビが見てた人が! 昔は怖かったよ~!
アジャコングさん:私はそんなでもないですよ、大したことはないです。
つる子:(笑)。
土屋:現在も現役で!
アジャコングさん:もちろん! しつこく現役を続けております(笑)。
土屋:今年で現役生活38年!
アジャコングさん:もうね、何年か前に辞めどきを失ったので。どうせ、一生アジャコングで見られるんだから、生涯現役で行こう!と。そういう感じでいければなと思っております。
土屋:今はいろんなリングに上がられて。
アジャコングさん:そうですね、フリーランスなので日本国内もそうですし、海外もアメリカやイギリス、メキシコに行ったりと。あとはアジアに方にも。今、、世界中でプロレスが活性化されているので、いろんなところに行きながら楽しくやらせていただいてます。
土屋:ここにいる、つる子さんがちょうどドラマ「極悪女王」を見たばかりで。
つる子:そうなんですよ!
アジャコングさん:あれは私が女子プロレスの世界に入る直前のお話で。あのドラマのおかげで女子プロレスが見直されて、注目されてありがたいなと思って。見ていただいてありがとうございます。
つる子:一気見させて頂きまして! 止まらなくて!
土屋:“ダンプ松本”さんや“ブル中野”さんがいて、その流れで当時アジャコングさんは次世代を担っていて。
アジャコングさん:あの世界線を見て、“プロレスラーになりたい!”と思ったので。“クラッシュギャルズ”、“ダンプ松本”さんの戦いやあの世界線を見て“私もやりたい!”と思った、(ドラマの中で描かれていた)親衛隊の中の一人だったので。
つる子:そうなんですね。“ダンプ松本”さんも最初は親衛隊から始まったんですよね。
土屋:女子プロレスラーの方から見て、あのドラマは再現性はいかがですか?
アジャコングさん:プロレスの本質を上手くつきながらドラマとしてもすごく上手くまとまっていました。何より役者さんたちの頑張りがほんとに凄くて! 今までのプロレスドラマや映画もあって、普通はプロレスラー役は出来ないので吹き替えを使うんですけど、9割9分、吹き替え無しでやられているので。すごいなと思って。プロレスって受け身を取れないと出来ないじゃないですか。そのために時間をかけて練習されて、体重も増やして。あの頑張りがすべてリングに集まって。
つる子:はい。
アジャコングさん:ゆりあんさんの“ダンプさん”はメイクをするので、どんどんほんとにダンプさんに見えてくるのはそうなんですけど、剛力彩芽さんと唐田えりかさんの“クラッシュギャルズ”がほんとに“クラッシュギャルズ”に見えてて。私も見ながら<あ、“長与千種”さんだ! “ライオネス飛鳥”さんだ!>って。
つる子:すごい。
土屋:プロなんですね。
アジャコングさん:もちろん他の方も“ジャガー横田”さん役がジャガーさんに見えるし。私が一番思ったのは、“大森ゆかり”さん役の方は、“あれ、大森さんがそのまま出ているんじゃないの!?”と思ったほど
土屋:じゃあ、あのドラマを見て女子プロレスを見に行こう!という人もいて。
アジャコングさん:もちろドラマの中でも描かれていましたけど、全国の中高生の女の子のファンが9割9分だったんで、男性のプロレスファンが入って来れなかったんで。
土屋:なるほど。
アジャコングさん:<あの当時、“ダンプ松本”さんも“クラッシュギャルズ”も知ってるけど、オレ、見てなかったんだよ>という、私と同じくらいの年齢の40代、50代、60代のお父さまはプロレスが好きな人が多いじゃないですか。でも、女子プロレスは見てなかったという人があのドラマ「極悪女王」を見て、<見ておけば良かったし、今の女子プロレスも興味で始めた>って知り合いも言ってくれるので。ほんとにありがたいなと思って。
土屋:僕も最近プロレスを見に行って、すごい面白くて。また昔とは違って。
アジャコングさん:今はキラキラした、アイドル顔負けのかわいいコがたくさんいますから! でも彼女たちはアザを作りながら痛い思いをしながら。じゃないと、プロレスは出来ないので。どんなにかわいいコであろうが顔面をぶん殴られて蹴られて。それでもやっているコたちがたくさんいます、今は。だから、今の女子プロレスも見て頂きたいなと思いますね。
つる子:ドラマ「極悪女王」をネットフリックスで見させていただいて、流血試合でこんなに血が出るのかなと思うくらい出ていたんですよ。
アジャコングさん:頭って血が出やすいんで。ちょっと引っかかったりするとすぐ血が出てきちゃうので。プロペってる方は<あ、また出てる>って。しかも、年間250試合から300試合やっているので、傷が塞がりきらないので。前の日にやられても縫うわけにいかないのでテーピングを止めているんですけど、次の日、同じ箇所をやられるとすぐ割れるんですよ。
つる子:ドラマを見てから過去の女子プロレスの映像を見たんですけど、同じような状況だったので。
アジャコングさん:再現度が高かったですよね。見にきているお客さまたちの服装から何まで全部。80年代ファッションで(笑)。
アジャコングさん「思い出は、昭和記念公園よりは立川基地」
土屋:その女子プロレスの一端を担ったアジャコングさんが生まれたのが、多摩の「立川市」!
アジャコングさん:東京都「立川市」出身でございます! 「立川市」出身ですけど、立川のど真ん中ではなくて、「西立川」だったんですね。「富士見町」の方だったので。
つる子:私、「富士見町」に住んでおりました! 「昭和記念公園」の近くですよね。
アジャコングさん:そう、「昭和記念公園」の入り口の近くなんですけど、私が生まれ育った頃はまだ「昭和記念公園」が出来てなかったので、「立川基地」だったので。
土屋:「西立川駅」も無かったんでしたっけ?
アジャコングさん:「西立川駅」はありました。何年か前に行ったら子綺麗になってましたけど、当時は人はいるんですけど無人駅に近いような(笑)。私の父親がアメリカの米兵だったので「立川基地」の中に住んでたんですよね。なので、「昭和記念公園」は、私がプロレスラーになった年くらいに出来ているので。その時は私も多摩地域を出て、都内の方に“移籍”してしまったんですけど(笑)。
土屋:まあまあプロレスの稽古もありますから(笑)。
アジャコングさん:だから私はあそこは、「昭和記念公園」よりは「立川基地」としての思い出の方がありますね。
土屋:そうなると、今は子供の頃だと「昭和記念公園」で遊びますけど、アジャコングさんはどこで遊ばれていたんですか? 「立川基地」に入れないですよね?
アジャコングさん:父親の家が「立川基地」の中にもありましたので、父親と一緒に行けば入れましたし、年に1回、アメリカの独立記念日の時に周りに住んでいる人たちは「立川基地」の中に入ることができたんですよ、花火大会の時など。だから、独立記念日と花火大会の時は「立川基地」に行っていろんなお祭りがあって。日本ではない非日常。子供の頃からサーティワンのアイスを食べていたので。
つる子:うわー!
アジャコングさん:あとで、サーティワンの店舗が出てきた時に、<あれ、こんなの、とっくに食べていたけどね>とか。それも多摩に住んでない限りは「立川基地」や「横田基地」に入らない限りはそんな体験はできてなかったので。都内の人たちがどんなにお金を出してもサーティワンを食べれないでしょって(笑)。
土屋:「立川」ならではだ!
つる子:うれしい!
アジャコングさん、多摩テック&サマーランド三昧のきっかけは“保育園落第”!?
土屋:じゃあ、子供の頃といえば米軍基地で遊んでいたんですか?
アジャコングさん:今も「横田基地」の周りは米軍の古着屋さんなどがたくさんあったりしますけど、あれが当時は立川にもあったので。米兵や家族の方もいたので、「立川」は外国人が昔から多い町だったなって。だから、外国人慣れしている町だったなって。
土屋:プロレスをやる上で外国人慣れをしているのは良いことはありますか?
アジャコングさん:今は海外にも行ったりしますので。私の場合は特に父親が外国人なので外国人慣れはしていて。だから外国人の方と偏見もなく、分け隔てなくフレンドリーになれるなと。
土屋:アジャコングさんは子供の頃から強かったんですか?
アジャコングさん:体が大きかったんですよ。幼稚園に入る時、母親に連れられて“年少”に入りに行ったんですよ。私なぜか“年中”にいれられたんですね。
つる子:ええ!?
土屋:年齢的につ下だけども?
アジャコングさん:保育士さんたちが私の体の大きさで見て、<あ、年中ね>って言われて、母親も<そうですね>って。しばらくして、私の生年月日を見たら<1つ下の年だった!>って。
つる子:(笑)。
アジャコングさん:でも、今さら変えるわけにもいかないから、今年はこのままやってもらいましょう、と。うちの母親も<それでいいです>と。その年、年中クラスに1年通って。で、次、年中の同級生たちは“年長”になりますよね。私は本当なら年少から年中に移らなければいけない。だからもう1回“年中”をやりますよね。同級生が1つ上の学年になるじゃないですか、<なんで?>って話になって。他の親御さんたちも<落第したの?>って。
つる子:(笑)。
土屋:日本最速の!
アジャコングさん:はい、保育園で落第しましたね(笑)。
つる子:初めて聞きました(笑)。
アジャコングさん:母親もまずいなって負い目を感じて、<保育園、行くの?行かないの?><行かない、、、><行かないでどうするの?><「サマーランド」行く!>。親も<しょうがないな、また「サマーランド」!?>って言いながら週に1回くらいは「サマーランド」に行ってました、週1で「サマーランド」(笑)。
つる子:(笑)。
土屋:なかなかそんなに行かないよ(笑)。
アジャコングさん:母親から<昨日「サマーランド」に行ったから今日は行かないよ!>って言われると、<「多摩テック」!>って(笑)。
土屋:全部、多摩地域(笑)。
アジャコングさん:そうやって保育園の年中をサボりまくって。その当時、多摩地域にあったアミューズメント施設にどんどん連れて行ってもらったので、ほんとにありがたかったなって。
つる子:多摩だからこそ(笑)。
アジャコングさん:そうですよ、何かあったら「サマーランド」に行っておけばいいんですから! 「サマーランド」、最高ですよ!
プロレスのマイクパフォーマンスについて
土屋:アジャコングさんはなんでこんなにおしゃべりが上手なんですか?
アジャコングさん:いやいや(笑)。
土屋:アジャコングさんはプロレスラーですよ! よく喋るのは昔からですか?
アジャコングさん:やっぱりプロレスラーとして年齢を重ねていったり、リング上でマイクパフォーマンスもやりますけど、マイクパフォーマンスって自分を奮い立たせる、相手を奮い立たせる、そしてお客様にわかってもらわなければいけないので。昔は好き勝手にワーッて喋ってて、昔の映像を見るとほんと恥ずかしくなるんですよ、何を喋ってるかわからないですよ、怒鳴っているだけで。
つる子:へえ。
アジャコングさん:それを映像で見返すようになってから、自分がやりたいこと・伝えたいことは何なんだろうと考えた時、試合で伝えるのと同時に言葉で伝えることもプロレスだと思うようになったので。だから言葉できちんと伝えようというふうになってきたら、喋れるようになりましたね、ちょっとだけね。
学生時代のアジャコングさん、吉祥寺、原宿渋谷に足を伸ばすも「やっぱり立川」
土屋:あと、子供の頃、ごはんも「立川」に行ってましたか?
アジャコングさん:子供の頃のごはんはだいたい家で。小学5年生から今度は「昭島」「拝島」の方に移っていたので。「立川」に友達がいるので、友達に遊びに「立川」に行ったり、「昭島」の友達と「立川」に行ったり。今ほどじゃないですけど、「立川駅」の駅ビルが出来てきれいになっていて。
土屋:「WILL」ですよね。
アジャコングさん:そう、「WILL」でした! 出来た当初、いろんなキラキラしたお店が入っていたじゃないですか。
土屋:そう、多摩の人はみんな行ってた! 「立川のWILL」か「吉祥寺のロンロン」、どっちかですよね。
アジャコングさん:そう、中学生の頃は友達と「吉祥寺」にもよく遊びに行ってたんですけど、「吉祥寺」まで遊びに行くのってちょっと時間がかかるし。「立川」の方が断然近くて良いよねって。その後、足を伸ばして都内にも出るようになるんですけど、毎週毎週渋谷だ原宿だって出るわけに行かないんで。そうすると、やっぱり「立川」に出て友達とクレープを食べたり。
アジャコングさん、バレーボールを始める・・・「プロレス」の話に辿り着けず、来週へ!
土屋:学生時代、部活は何をやっていたんですか?
アジャコングさん:バレーボール部でした。
土屋:ええ!? バレーボール部? もともと運動は得意だったんですか?
アジャコングさん:小1から空手をずっと習っていて。空手を習いたくて習ったというか・・・母親が、女の子なので何かあったら困るので護身術のためにって合気道を習わせようと思って「立川の諏訪神社」に道場があったんですよ。合気道をやってる横で、空手をやってたんですね。今は合気道の凄さはわかるんです、気で人を動かすのは。子供の頃はあまり強そうに見えなくて、横でやってる空手の方が組み手で人をバンバンやっていて。やっぱり好戦的な方が良いなって(笑)。それで空手を習わせてもらって。
つる子:はい。
アジャコングさん:で、当時、女子プロレスも家でテレビで見ていて。一番最初に好きなったのが“ビューティペア”の時代の“ビクトリア富士美”さんという方でいて、空手着を着て出てきたんですよ。それがカッコよくて。小学3、4年生の頃に“長与千種”さんが空手着を着て出てきたので、そこから空手繋がりで長与千種さんのファンになって。
つる子:はい。
土屋:バレーボールはいつから?
アジャコングさん:あの当時、1984年くらいにロスオリンピックがあって。その当時、日本の女子バレーボールがすごい強かったじゃないですか。今、中田久美さんと仲良くさせていただいているんですけど、あの天才的セッターのトス回しを見たら凄い!カッコいい!と思って。中学の頃には今と変わらない165センチくらい身長があったので、セッターはできない。でもやるならバレーボールだなって。
土屋:へえ。ただ、アジャコングさんにいっぱい喋っていただいたところで時間がいっぱいいっぱいに・・・まだプロレスの話に辿り着かず(笑)。今のところバレーボーラーのアジャコングさんまでなので、来週はプロレスとまた「立川」の話を伺いたいと思います!
アジャコングさん:すみません(笑)。来週もよろしくお願いします!
(TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』より抜粋)