秋葉区の小麦を日本全国に展開し、新潟の新ブランドに「鈴木農園」。
先日夕方のローカル番組で、田んぼを小麦の畑に変え生産している秋葉区の農家「鈴木農園」さんが紹介されていました。「こんな取り組みをしている方がいるのだな」と関心を持っていたところ、偶然「橋元養蜂園」さんのお知り合いだというので、さっそく取材をお願いすることに。「鈴木農園」の鈴木さんに就農した頃の思い出や今後の取り組みについて、いろいろと伺ってきました。
鈴木農園
鈴木 恵一 Suzuki Keiichi
1966年新潟市生まれ。高校卒業後、五泉市の繊維会社に就職し、28年間勤務。2012年に就農。新潟県指導農業士会の事務局長を務める。「Akiha Agri Support Activity」メンバーの一員。
直売所ブームに乗り「バズった」、地元の美味しくてリーズナブルな野菜。
——鈴木さんが就農されたのは、いつですか?
鈴木さん:東日本大震災の翌年なので、2012年です。「鈴木農園」の3代目か4代目だと思います。以前は、繊維の卸会社で営業として働いていました。
——就農を決めたきっかけはなんでしょう?
鈴木さん:両親の高齢化ですかね。いずれは実家の農業を継がなきゃならないとは思っていたんですよ。私が農業をはじめた頃っていうのは、直売所ブームだったんです。近所にJAさんの直売所ができたし、スーパーの「インショップ」っていう、地元農産物の販売コーナーが人気でね。タイミングよく、その流れに乗ることができたんです。
——作っていらっしゃる農作物はお野菜ですか? それともお米?
鈴木さん:代々お米と野菜を出荷していました。でも、なかなか儲からなくてね(苦笑)。私がいちばんネックだと思ったのは、規格外野菜の扱いでした。形の整った商品しか市場に出荷できないじゃないですか。キャベツだって大きすぎてもダメ、小さすぎてもダメ。廃棄になる分をどうにかできれば、ロスが少なくなると思ったんですよ。
——加工するとか、そういうことですか?
鈴木さん:加工は人の手が要るし、手間がかかるからやっぱり難しいんですよね。そこでまずは、野菜のサイズは関係なしにインショップで販売することを考えました。形のよいもの、規格外のものすべて納品する。作ったものを100%消化したかったんです。
——それができたら出荷できる割合が増えますもんね。
鈴木さん:形が整っていない野菜は、単価をちょっと変えて売り場に出したんです。多少サイズが大きかったり小さかったりしても、安くて美味しい野菜だったら、みなさん買ってくれるでしょう。
——家庭で使う分には、大きさなんて気にならないです。インショップは、鈴木さんたちにとって追い風でしたね。
鈴木さん:そうそう、本当に大きかったですよ。しかも地元のスーパーは県内でも売り上げトップの人気店ですから。今では当たり前になりつつある循環型農業の先駆けみたいな取り組みもしていてね。魚のアラとかの食品残渣を業者が回収して肥料にする。その肥料を私たちが仕入れて、畑に撒いて野菜を育てるっていう流れです。土がふかふかになって、いい野菜が採れるんですよ。
——いろんな人にメリットがある取り組みですね。
鈴木さん:サラリーマン時代に取引先から「循環型農業に参加する農家を募集しているみたいだから、お前やってみないか」と言われましてね。ちょうど会社を辞めるつもりでいたし「これは将来的に注目を集めるんじゃないか」って期待はありました。時代に合っているんじゃないかってね。実際「バズったな」って感じがしています(笑)
安定した収益を上げる難しさ。3年がむしゃらに力を尽くした結果は……。
——鈴木さんが鈴木農園に加わってから、変わったことはありますか?
鈴木さん:規模は拡大しましたね。2ヘクタールだった畑が、倍以上になりました。私が農業をはじめた頃は家族経営だったんですよ。親父とお袋、私の3人だけでした。今は従業員を2人雇用しています。
——品種数はどうですか?
鈴木さん:以前は野菜を60品目くらい作っていましたけど、今は30品目くらいですかね。米の生産量はずいぶん減らしました。米から野菜に注力するようにしたんです。それから米を作っていた田んぼで、今は小麦を作っています。
——就農された当時は、どんな展開を考えていらしたんでしょう?
鈴木さん:米より野菜のウエイトを増やして、野菜農家として確立していこうと思っていました。従業員を雇用して、福利厚生を充実させている先輩方の姿を見てきたので、私も法人化を目指したくて。自分の儲けよりもスタッフの働く環境をしっかり用意できないと、これからの農業はやっていけませんよ。
——確かにそうかもしれません。
鈴木さん:そんなにいっぱいはやれないけど、うちは夏も冬も絶対にボーナスを出します。そのためにもちゃんと収益を上げないといけません。野菜の品種を絞ったのは、生産効率を上げるためでもあるんです。品目を絞る代わりに、生産量を増やしています。
——就農されたばかりの頃、前職との違いに驚かれませんでした?
鈴木さん:私は営業をしていましたけどね、営業も農業も同じですよ。就農したのは45歳のときだから、周りには私より若い一人前農家がたくさんいました。45歳で1年生だから、早く追いつかなくちゃって焦りがあってね。最初の3年は、人が寝ている暗いうちから働いて、趣味の時間もぜんぶ仕事に費やしました。
——本気の証拠ですね。
鈴木さん:CHANELの時計を買うことを目標にして、3年がむしゃらに働いたんです。なのに確定申告したら赤字ですよ。もうぜんぜんダメ。ふてくされて遊びほうけて、お袋にものすごく怒られましたよ(笑)
——それだけ農業で収益を上げるっていうのは難しいんですね。
鈴木さん:いくら無駄を排除して効率良くしても、天候に左右されますしね。最近は農業技術が向上していますし、いろいろな資材がありますから、天気のせいにはしたくないと思っているんです。天候の影響なく収穫できる技術をなんとか自力で生み出したいものです。
農業に携わる後進の育成と、新たなブランドとなる可能性を秘めた新潟産小麦の生産。
——鈴木農園さんでは、就農体験だとかさまざまな活動をされているそうですね。
鈴木さん:秋葉区の野菜ソムリエさんや飲食店さんなどと一緒に「Akiha Agri Support Activity」というチームを組んで活動しています。その一環で、季節の野菜を収穫するイベントなどを開催しています。
——農業を担う人材の育成もされているとか。
鈴木さん:うちには3年前に異業種から就農したスタッフがいます。この度独立するんですけど、いきなり独立したって設備を整えるのに資金が要りますから、うちの畑の一部をのれん分けする予定です。私自身、「新潟県指導農業士」でもありますので、新潟県の農業の発展と後進の育成に全力を注いでいます。新潟県指導農業士の集まりでは、凄腕の農家さんがいっぱいいるんですよ。そこでの刺激がスキルアップにつながってきました。
——小麦の生産をはじめられたと聞いています。
鈴木さん:就農して数年経った頃、地元のラーメン店から「小麦を生産してくれ」と頼まれたことがあったんですよ。でも専用の機械が必要ということもあり、そのときは挫折したんです。ただ、コロナ禍やウクライナ情勢の影響で、日本に小麦が入ってこなくなっているし、米が余剰している時代なんだから、思い切って小麦を作ってみようと思ったんです。
——そういうことだったんですね。
鈴木さん:私たちの田んぼは河川敷にあるんですよ。水はけがすごくいいから、水量管理をするために24時間機械を回しっぱなしにしていたんだけど、それにもううんざりしちゃって。1日に何度も給油に行かなくちゃいけないし、水を入れてもどんどん吸収されるんだから。小麦は水が嫌いだから、川の近くでも生産できます。機械を1日中稼働させ続けなくてもよいという利点もありました。
——非常に理にかなっているように思いました。
鈴木さん:食生活が多様化しているのに、小麦はまだまだ輸入に頼るところが大きいですからね。私たちは秋葉区全体で小麦の生産者を増やしていきたいと思っているんです。高品質、高収量の「秋葉モデル」ですよね。自分たちだけのものにするつもりはまったくなくて、他の区の農家さんにも情報をお伝えしたいし、「オール新潟」っていうんですか。みんなでチームになって新潟県産小麦というブランドを作り上げたいと思っています。
鈴木農園
※写真の一部は新潟市役所提供