なぜこんなにも愛されるのか?創業55周年の『ドムドムハンバーガー』藤﨑忍社長が語る“共感と共存”。「街の人に求められる、そういう店でありたい」
1970年に創業した日本最古のハンバーガーチェーン『ドムドムハンバーガー』。ここ数年はインパクトの強い限定バーガーや他企業とのコラボレーション、かわいらしいグッズなどさまざまな挑戦で注目を集め、55周年を迎えた今もなお勢いは増すばかりだ。多くの人々の心をがっちりつかむその秘訣を、『ドムドムハンバーガー』を運営するドムドムフードサービス社長の藤﨑忍さんに聞いた。
一時期は約400店舗を展開するも、徐々に数を減らし「絶滅危惧種」に
私事だが、僕の地元である千葉県松戸市の新松戸駅にはかつてダイエーがあって、そこにはスケートリンクがあった。小学生の頃、仲の良い友人と家族ぐるみで出かけたことがあるのだが、絶望的に運動神経が鈍かった僕は氷上に立つことも叶わず、ベソかきながら友人が華麗に滑っている様を見つめていた。そんな僕を見かねた母が「ハンバーガーを食べよう」と言い出す。
前置きが長くなったが、その時に食べたのが、ダイエーの2階にあった『ドムドムハンバーガー』のハンバーガーだった。
なにしろ外食をしない家だったので、ハンバーガーを口にしたのは初めてだ。「おいしい」と感じた以上に、漫画とかアニメとかで見ていた食べ物を口にできたことへの高揚感の方が上回った。パンとパンの間に、野菜も肉もチーズも、全部が詰まっている。なんて魅力的な食べ物なんだろう。
とはいえ、その後は『ドムドムハンバーガー』で食べる機会に恵まれなかった。どうにも店舗を見かけないのだ。今となってみれば、その頃はもう減少傾向にあったのだろう。高校生に上がる頃には『ドムドムハンバーガー』は遠き日の思い出となっていた。
そのまま時を経て40歳を過ぎた今。まさか再び『ドムドムハンバーガー』に夢中になろうとは、当時の僕は思ってもみなかっただろう。
「『初めて食べたハンバーガーはドムドム』というお客さま、たくさんいらっしゃいますよ」。そう目を細めるのは、ドムドムフードサービスの藤﨑忍社長だ。
『ドムドムハンバーガー』は1970年にダイエーフードサービスが創業し、2025年に55周年を迎えた。『マクドナルド』が日本で展開を始めたのが1971年、『モスバーガー』が創業したのが1972年。それら競合よりも一足早く創業した、日本初のハンバーガーチェーンなのである。
当時は大型スーパーマーケットの躍進が目覚ましい時代だったため、ダイエー店舗内での出店が主だった『ドムドムハンバーガー』が一気に店舗数が増加。最盛期の1990年代には約400店舗にまで膨れ上がったという。まさに僕のハンバーガー原体験もその頃だった。
しかし、時の流れは無常である。2000年代以降にはダイエーの閉店が相次ぎ、『ドムドムハンバーガー』も減少。創業期と比べて競合のハンバーガーチェーンが増えたことも向かい風だったのかもしれない。
2017年には経営的にも下向き、事業再生を手掛けるレンブラントホールディングスにドムドムハンバーガー事業を事業承継。
ドムドムフードサービスが設立され、リスタートを切ることになる。この頃の店舗数は実に36軒で、「絶滅危惧種」と揶揄されていた。
ドムドム再興を託されたのは“居酒屋の女将” 。入社9カ月後に社長就任を果たす
ここで登場するのが藤﨑社長である。この頃は新橋の「ニュー新橋ビル」内で小料理屋『そらき』を営んでいたが、何を隠そう常連客のひとりが当時のレンブラントホールディングスの専務取締役だった。
「『ドムドムバーガーを引き継ぐことになるので、新メニュー開発をお願いしたい』と頼まれたんです」
レンブラントホールディングスはホテル事業も営んでいる。当然、ホテルにはレストランがあり、料理の含蓄もあったはずだ。そんな企業から“居酒屋の女将”に商品開発のオファーが来るというのも、なかなか痺れる話ではないか。
「普通の家庭料理を出していたんですが、常連さんたちからは『家で食べられそうだけど、食べられない味だ』なんて言われてて。レストランのお料理とは違った感覚で開発するハンバーガーが面白そうだと思われたのかもしれませんね」
そんな藤﨑社長が開発に携わった最初の品が2017年に販売を開始した「手作り厚焼きたまごバーガー」だ。厚焼き玉子のインパクト。じんわりしみる出汁の風味。見た目も味わいも度肝を抜いたこの品は、たちまち人気商品となった。
“居酒屋の女将”の商品開発は、間違いなくユーザーの胃袋をつかんだのだ。
その後もソフトシェルを使ったまるごと‼カニバーガーや「雪国まいたけ」とコラボしたまいたけバーガーなど、数々のヒット商品を開発。今では毎月限定バーガーを発表しているというのだから恐れ入る。
「商品開発は少人数でやっています。人数が多いと皆の意見を取り入れることで角のとれた商品になってしまうことが多いので。『おいしい』ということは当たり前で、その上でどうしたら『食べたい』と思ってもらえるかを考えるのが大事なんです」
さて、当初は商品開発に励んでいた藤﨑社長だったが、経営陣から「接客面を伸ばしてほしい」と打診を受け、2017年11月に正社員として入社。翌12月には厚木店の店長となり、店舗を切り盛りすることになる。
しかし、もともと自身で店舗を営んでいた藤﨑社長。視点と視座は経営者のそれであった。
「2018年の3月期の決算が芳しくなかったんです。なんとかしなければと思って、役員に『もっと意見を言える立場にしてください』と電話をしました」
自身も役員となり、経営に参画することを望んだ藤﨑社長。当初、経営陣はなかなか首を縦に振らなかったが、何度も談判を繰り返した末、意外な形で役員就任が決まる。
「会議室で『藤﨑さん、役員になってください』と告げられたんです。『よかった』と思いつつ役職を尋ねたら『代表取締役です』って言われて(笑)」
時は2018年8月。入社からわずか9カ月でのドムドムフードサービス社長である。さすがの藤﨑社長も、これには仰天したという。
そして、ここから「絶滅危惧種」と呼ばれた『ドムドムハンバーガー』の再興が始まるのである。
スタッフやファンとの交流で受け取った「思い出」と「愛」をブランドに昇華
早々に着手したのは社内風土の改革と独自性の模索だ。
「実は私が社長に就任した時『ドムドムハンバーガー』の歴史を語る資料が残っていなかったんです。まさに“失われた40年”でした」
創業の経緯や当時のメニュー、マスコットキャラクターの由縁、ブランド盛衰の歴史など、ほぼ全てがブラックボックス。過去の歩みも、今後の指針も不明瞭。自分たちがどこを目指すべきなのか。「ドムドムらしさ」とは何なのか。
それを知るため最初に取った手段は「コミュニケーション」だった。
「私とスタッフの皆さんとの信頼関係を築くという目的はありました。でも、それ以上に皆さんがどのようにドムドムを支えてきてくれたのかを知りたかった。
お店がどんどん減って、皆さんも苦しい思いをされて。それでも『何としてもドムドムを守るんだ』と強い気持ちで支えてきてくれた。その原動力は『やっぱりドムドムが大好きだ』という思いだったんです」
そして、それほどまでに愛される理由は、他ならぬファンの声で明らかになる。
「例えば、毎月新作バーガーを開発して常設店舗で販売しても、限られたお客さまの反応しか見ることができません。もっとたくさんのお客さまの声を聞く必要がある。それこそ、今までコンタクトを取れなかったようなお客さまの声まで聞きたかった」
そんな折、転機となる出来事が舞い込んできた。2018年10月に幕張メッセで行われた声優・田村ゆかり主催の「ゆかりっく Fes’18 in Japan」へのイベント出店である。
「田村さんが子供の頃に『ドムドムハンバーガー』を食べた思い出が強く残っていたそうで。キッチンカーで出店してくれないかとオファーをいただいたんです」
1日8000人が集まるイベントで2日間にわたる出店。しかも、未経験のキッチンカーである。社内では後ろ向きな意見も多かったが、藤﨑社長は出店を決意した。
「まさに『今までコンタクトを取れなかった客との接点を作る』ための絶好の機会だと思ったんです。どうしても出したくて」
この時、限定バーガーの「ゆかりチキンバーガー」を販売した。今となっては数多の企業とコラボしていることで有名だが、これこそ『ドムドムハンバーガー』にとっての初のコラボバーガーなのである。
当初は2日間で1000食を想定していたが、SNSによる拡散もあり2日間で1900食を販売し、完売。他の店舗よりも大幅に早い時間での店じまいを余儀なくされるが、それを行列の客に告げた瞬間、驚くべき光景を目の当たりにする。
「お客さまから拍手が沸き上がったんです。私たちは『まだ並んでいただいているのに申し訳ない』という気持ちだったのに『完売したんだ!』、『よかったね!』と温かい言葉をいただいて。本当に愛されているブランドなのだと感じました」
その後も2019年にファッションブランド「FRAPBOIS(フラボア)」との異業種コラボレーションを皮切りに、他企業とのコラボバーガー・コラボグッズを展開。さまざまなイベントやポップアップストアへ出店することになるが、こうした企画を持ってくる各社の担当者自身が『ドムドムハンバーガー』のファンであることが非常に多いという
そして、いざ出店の際には現地やSNSで、「生まれて初めてのハンバーガーはドムドムでした」「あの駅前の店によく行っていたんですよ」「昔食べた、あのバーガーが忘れられない」と、数え切れないほどのファンの声が届く。
「『ドムドムらしさ』は皆さんの思い出の中にある。私たちは皆さんの思い出の中にいる。だから喪失したものへの愛着とか、今後残していくことへの期待とか、そういったことをすごく感じます。それこそが『愛』なんだと思うんです」
スタッフやファンとのコミュニケーションを経た2020年。「お客さま・スタッフの人生に寄り添い、共感・共存することでブランドを構築する」「美味(おい)しいはお客さまとの最低限のお約束。その上で付加価値のある商品を提供」この2つのコアコンセプトを決め、『ドムドムハンバーガー』はさらに歩みを進めていく。
「皆さんに共感して、共存することを大事にしていこうと思っているんです。例えば、お客さまとのやり取りで『どむぞうくんがかわいい』と言われたらバリエーションを増やしたり、『この商品が面白い』と言われたら商品開発に生かして一生懸命作ったり。
でもやっぱり『おいしいこと』は外せません。どんなに見た目が面白くても、おいしくなかったらお客さまに楽しんでもらえません。そこは最低限の約束として、当たり前に守っていく。大袈裟かもしれないですけど、皆さんの人生に並走しながらブランドを作っていくような、そういう姿勢でやっていこうと決めました」
自分たちのブランドはこう、と主張するのではなく、スタッフやファンと共にブランドを作っていく。『ドムドムハンバーガー』に親近感を覚えるのは、このコアコンセプトがあるからなのだろう。
コロナ禍での出店やグッズ展開。顧客のニーズに応え、前向きに突き進む!
2018年以降、さまざまな改革を行ったことが実を結び、『ドムドムハンバーガー』の業績は徐々に上向き、スタッフのモチベーションも向上しつつあった。
50周年を迎える2020年にはコラボイベントや新規出店など、新たな展開を計画していたが、ここで新型コロナウイルスが流行する。
「ゴールデンウイークに『浅草花やしき』で50周年記念のイベントをやる予定だったんです」
日本最古の遊園地と日本最古のバーガーチェーンのコラボというユニークなイベントだったが、これもコロナ禍により立ち消えとなる。しかし、その後すぐに「店舗が空いているので、常設店として出店してくれないか」と声がかかった。
「その頃、テレビで毎日雷門が映されていて、『浅草はこんなに人がいません』と報じられていました。それを見て、『元気を出していかなきゃ』と思ったんです。観光地である浅草が元気になることで、東京や日本に活気が戻ることにつながると思って」
また、スタッフに対する思いもあった。
「皆さんはずっとドムドムの“冬の時代”を過ごしてきたので、コロナ禍はひと際不安だったと思います。だからこそ『コロナ禍でも出店する』ということで勇気づけたいなと思って。会社の基盤はできていたし、コロナ禍でも既存店舗は頑張れていた。今は厳しくても乗り越えられると思っていました」
こうして2020年9月、『ドムドムハンバーガー 浅草花やしき店』がオープンした。
個人的な感想になるが、多くの飲食店が自粛や撤退をしていた当時、このニュースには大きな衝撃を受けた。思い出の中にあった『ドムドムハンバーガー』が、コロナ禍に負けず元気に新店舗を出店している。ぶるっと心が震えて、勇気をもらえたことは今でも忘れない。
また、この年に話題となった商品が「洗えるオリジナルマスク」だ。
これもグッズ展開を考えて始めたものではなく、当時品薄だったマスクをスタッフに渡すため作ったものだった。
「スタッフに行き渡った後、きっとお客さまもお困りだと思ってレジの横で1枚350円で販売していたんです。社会貢献のつもりだったのでホームページにもSNSにも載せないようにして」
ところが、マスクを購入したお客さんのSNSが反響を呼び、マスクは一気に世に知れ渡ることとなった。店舗ではマスクを求める人が殺到し、長蛇の列を形成。商品としては図らずもヒットしたわけだが、これに対して藤﨑代表は「待った」をかけた。
「当時は『密』を避けなければならなかったので、行列ができてしまっては本末転倒です。お客さまやスタッフのことを考えたら『もっと作ってたくさん売ろう』なんて考えられない。すぐさま販売を中止しました」
すると今度は、マスクを購入できなかった客から電話やメールの問い合わせが殺到し、改めてニーズの多さを知ることとなる。
ファンから求められるならば叶えてあげたい。けれど、密は避けなければならない。そこで、『ドムドムハンバーガー』史上初のECサイト立ち上げに踏み切る。
「お客さまの声に少しでも早く応えるために、サイト立ち上げや配送ルート確保なども含めて10日ほどで販売を始めました」
いざ販売を始めれば即座に完売。在庫切れの問題のみならず、アクセス過多によるサーバーダウンなどさまざまなトラブルがあったが、その都度エラーを改善し、最終的には17万枚もの販売数を記録。さらにその間も顧客の声に耳を傾け、カラーバリエーションやシーズン別のアイテムの開発も行っている。このフレキシブルな行動力、天晴れと言う他あるまい。
「そう考えると、ドムドムはSNSの使い方も特殊だと思います。新メニューやイベント出店などの告知はしますが、あくまでお客さまの声を受け取ることが目的です。発信ではなく受信のために使っていますね」
藤﨑社長が言うように、『ドムドムハンバーガー』のSNSでは、ファンから寄せられるコメントが非常に多く、なんだか微笑ましい。
「例えばどむぞうくんっていろいろなカラーバリエーションがあるんですけど、SNSでお客さまから『名前がほしい』という声をいただいたので、カラーごとに名前を付けたんです。その時ちょっとした遊び心で性格も設定してSNSで投稿したら、すごく盛り上がって」
以来、コラボなどで新たなどむぞうくんが登場した際には、名前と性格をSNSで発表することがお約束となった。「最近では、皆さんからの期待値が高くなりすぎちゃって」と、藤﨑社長は困ったように笑う。
ファンとコミュニケーションを取り、求められているものを捉え、楽しさに昇華する。まさに「共感と共存」の体現と言えよう。
「地域住民の普段使いできる店」という在り方を守り、今後もワクワクを創造する
店舗での取材中、藤﨑社長は何度か席を外した。ファンから記念撮影を求められたからだ。現場へ顔を出すと、しばしばこういったことがあるらしい。
写真を撮り、少しばかり談笑してから戻ってきた藤﨑社長は「今のご家族、山梨からいらっしゃったそうですよ。ありがたいですね」と、目を細めた。
「この『イオンスタイル赤羽店』は、イオンの建て替えのために2020年に一度閉店しているんです。ありがたいことにリニューアル後も再出店できたのですが、地元住民の皆さまのお声が多かったと耳にしています」
偶然にも取材時、これを裏付けるエピソードと出会うことができた。
買い物でイオンを訪れていた近隣住民の女性が藤﨑社長と記念写真を撮ったのだが、「建て替えの時、夫と一緒に『ドムドムをなくさないで』って要望書を送ろうかと考えていたんです」と、熱を込めて語っていたのだ。
「やっぱりスーパーマーケットに併設している店舗というのが『ドムドムハンバーガー』のルーツですから、地域の方々の普段使いのお店であるということは大事にしていきたいんですよね。そこでバーガーを食べたことが、また誰かの思い出になったりするわけじゃないですか。街の方々から求められる、そういう店でありたいんです」
ふと、初めて『ドムドムハンバーガー』を訪れた日のことを思い出した。今の『ドムドムハンバーガー』は、あの頃と店構えが違う。メニューも違う。当時はコラボグッズなんてなかった。
けれども不思議なことに、「懐かしい」という気持ちがあふれ出てくる。
初めてハンバーガーを食べた時の感動がよみがえる。
同時に、今この瞬間も新しい思い出が刻み込まれていく。
それはきっとファンの心に寄り添って「ドムドム」を作ってくれているからだ。だから僕たちも「次は何が出てくるんだろう?」と期待してしまうのだろう。きっとこの先も、『ドムドムハンバーガー』は僕たちにワクワクを届け続けるに違いない。
どうやらこの推し活は、一生モノになりそうだ。
ドムドムハンバーガー イオンスタイル赤羽店
住所:東京都北区神谷3-12-1 イオンスタイル赤羽1F/営業時間:9:00~22:00(21:00LO)※9:00~10:00はドリンク・グッズ販売のみ/アクセス:地下鉄南北線志茂駅から徒歩7分、JR赤羽駅から徒歩17分
取材・文・撮影=どてらい堂
どてらい堂
熱血物書き
インタビュー記事を得意とするが、街頭調査やルポルタージュなど、体当たりな企画はより嬉々として勤しむ1984年生まれのB型男。主に『散歩の達人』で執筆。漫画・アニメ・格闘技オタクで、少年漫画脳な気質が文章にちらほら。たこ焼きの腕だけはプロ以上。