色づく紅葉 ランナー後押し かまいし仙人峠マラソン キツさ楽しみ、坂道ひた走る
第16回かまいし仙人峠マラソン大会(同実行委主催)は10月26日、釜石市甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所を発着地点に開かれた。平坦な道がほとんどない2つの難コースに293人がエントリーし、うち250人が出走。あいにくの雨模様となったが、色づいた紅葉を背景に挑戦者たちが健脚を競った。
昨年の16.9キロから従来の形に戻した17.2キロの峠コースと、家族で参加し走ることを楽しんでもらおうと復活させた10キロコースで実施。国道283号仙人トンネルまでを往復する峠コースに156人、甲子町大松で折り返す10キロコースには94人が挑んだ。
開会式で実行委の小泉嘉明会長、開催市を代表し小野共市長があいさつに立ち、16回と歴史を刻む大会に全国各地から集ったランナーを歓迎した。最も遠方から参加した愛知県名古屋市の菊池竹美さん(76)は、走者仲間に気合を入れる役目を担い登壇。幼少期を過ごした古里や、東日本大震災から立ち上がり復興を進めた人々への思いを込め「フレーフレー釜石。ファイトー仙人峠マラソン」とエールを送った。
午前10時に峠コース、10分遅れで10キロコースのランナーがスタート。5キロの折り返し地点まで勢いよく駆け下りた。標高差約400メートル、平均斜度5%の坂上がりでは、沿道の声援を受けながら一歩一歩力強く前進。序盤は控えめだった紅葉も、上るにつれ彩りが増し、ランナーたちの背を押した。
「年に1回の再会を楽しみに」。地元釜石から参加を重ねる介護士の上村健さん(58)は東京や新潟の知人ランナーと峠コースに飛び出した。時に歩きも入れながら無事完走。「苦しいけど、走るのに夢中になる。紅葉もきれいだった。地元の大会だから参加し続け盛り上げたい」と話した。帰り際、知人に向けガッツポーズを掲げ、「会うぞ!」とひと言。早くも来年を見据えていた。
3回目の挑戦となった松田美紀さん(49)は今回、10キロコース女子40歳以上59歳以下の部で1位を獲得。地元の力を見せた結果に「びっくり。でも、やっぱりうれしい」と笑顔を見せた。峠コースほどではないが、標高差は約160メートルあり「ラスト1キロがきつい」と苦笑。子育てをしながら大好きな走ることを継続中で、「いつか峠コースに挑戦してみたい」と思い描いた。
6カ所に設けられた給水ポイントのうち、5カ所でバナナや菓子など食品も提供された。立ち寄ったランナーがエネルギーを補給した一品には、手土産として人気の「東京ラスク」も。釜石に製造工場があることから、製造販売のグランバー(本社・千葉県)はチームで参加した。
その一人、神尾拓真さん(23)は社内のマラソンクラブに所属し、ゆかりのある地域の大会に出場しているランナー。アップダウンが激しいコースは初挑戦だった。「想像以上に大変だったけど、高いところから見下ろす景色はすごかった」と笑い話にした。沿道の応援があたたかく、「ラスク、おいしい」との声にはうれしくなった。地域に根差し、支えられている会社だと改めて感じたようで、「来てよかった」と満足げにうなずいた。
釜石工場で働くファジャル アラムシャーさん(26)は10キロを走り終え、「めっちゃ楽しい」と満喫した。インドネシアから来日し、釜石生活2年目で初参加。「みんなと走れてよかった。今度は峠コースを。夢は大きい方がいい」と明るい笑い顔を残した。
大会運営には例年、多くの市民ボランティアが協力する。地元甲子中の生徒有志の協力もその一つ。今年は1~3年生の男女12人が活動を希望し、仙人大橋付近の給水ポイント2カ所で選手のサポート、応援にあたった。1年の奥寺叶愛さんは大会を見るのも初めての経験。急坂を駆け上がる選手たちに大きな声で声援を送り、「あきらめずに一生懸命走っているのがすごい。自分も力をもらった」と目を輝かせた。学校では特設ラグビー部で活動。「走るのは好き。将来、仙人マラソンにも挑戦してみたい」と刺激を受けていた。
第1回大会が行われたのは2010年で、当時は岩手県主体だった。他にはない特徴的なコースを発案したのが県職員の村上正さん(63)=紫波町。16回目の今大会に出走した。「こんな(大変な)コース考えなければよかった」と自嘲気味な笑みを浮かべつつ、「ゴール後の爽快感はやっぱり格別」と余韻に浸った。
村上さんいわく、復興支援道路・釜石道の開通により交通量が減った国道283号仙人峠道路の活用と地域のにぎわい創出をもくろむイベントは時期もポイント。紅葉という景色を楽しみながら険しい道のりに挑む大会の継続を願う。