名作俳句の「比喩表現」――脱凡人へのヒント【NHK俳句】
Eテレで毎週日曜朝に放送の『NHK俳句』、第1週の選者・講師は、俳人の堀田季何(ほった・きか)さんです。
第1週の『NHK俳句』は初心者向け講座として「俳句の凝りをほぐします」をテーマに、「凡人から脱出(脱ボン)」を目指して学んでいきます。うまくいっていない句の「凝り」を見つけてほぐしていけば、不思議とよい作品になっていくはず。
今回は、名作俳句から比喩(ひゆ)表現を学び、脱ボンを目指す鑑賞エッセイを公開します。
毒にも薬にも
今月は、比喩の話です。比喩は、一つの物事を他の物事に喩(たと)えて(「例えて」と同義です)、つまり、関係または類似する事象や概念を借りて表現することです。広義の比喩は、転義と言い、言葉を一般的な使い方とは別の方法で用いることを指し、多くの修辞法を含みますが、今回は、そこまで広げず、直喩(ちょくゆ) 、隠喩(いんゆ) 、換喩(かんゆ) 、提喩(ていゆ) 、諷喩(ふうゆ) 、活喩(かつゆ) についてお話しします。音喩(おんゆ) (声喩・オノマトペ)については、別の回で紹介します。
まずはよく使われる直喩と隠喩から。
「棒の如きもの」
直喩(明喩)は、「ごとく」「ような」「みたいな」という直接的な表現で、物事のある側面をイメージさせる(類似性のある)別の物事とつなげて喩える技法です。俳句では非常に多く使われます。
去年今年(こぞことし) 貫く棒の如(ごと)きもの
高浜虚子(たかはまきょし)
一枚の餅(もち)のごとくに雪残る
川端茅舎(かわばたぼうしゃ)
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
松本たかし
火を投げし如くに雲や朴(ほお)の花
野見山朱鳥(のみやまあすか)
四句とも「ごとく」を使っています。それぞれ、時間を貫く要素を棒みたい、残る雪を餅みたい、金魚(特に、鱗の色)を夕焼空みたい、雲の色と形状が火を投げたみたい、だと作者は思って直喩で表現しています。
「いのちひしめける」
隠喩(暗喩)は、「ごとく」などの直接的な表現を使わずに、物事のある側面をイメージさせる別の物事で置き換える技法です。
水打てば夏蝶そこに生れけり
高浜虚子(たかはまきょし)
ものの種にぎればいのちひしめける
日野草城(ひのそうじょう)
一句目、「生まれたかのように出現した」景ですが、「ように」を使わずに、「現じけり」をそのまま「生れけり」に置き換えています。二句目も、「命が犇(ひし)めいているような感じがする」ことを、そのまま「いのちひしめける」と言っています。なお、俳句の鑑賞でよく言う「見立て」(AがBのように見える)は、直喩や隠喩で表現されることが殆(ほとん)どです。次に、他の比喩にも触れてみましょう。
「終りに近きショパン」
換喩は、その事柄と近接しているもので置き換えることです。
終りに近きショパンや大根さくさく切る
加藤楸邨(かとうしゅうそん)
この句の「ショパン」は人物のことではなく、ショパンの作った楽曲のことを置き換えて表しています。これが換喩です。換喩は、部分(下位概念)で全体(上位概念)、あるいは、全体で部分を表す提喩を含む場合があります。
春雨やものがたりゆく蓑(みの)と傘
蕪村(ぶそん)
露地露地を出る足三月十日朝
川崎展宏(かわさきてんこう)
簑を着る人と傘をさす人を、その人たちの部分である「簑と傘」、露地から歩き出てくる人たちを、同じく部分である「足」で表現した提喩を使っています。
「高熱の鶴」
諷喩は隠喩に似ていますが、読者に本当の意味を間接的に推察させる技法です。直喩が「AはBのようだ」、隠喩が「AはBだ」だとすれば、諷喩では、Aを明示せずに、「Bは何々をしている」と、AのつもりでBだけを示します。「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」や「猿も木から落ちる」という諺(ことわざ)では、読者がAを想像することになります。
高熱の鶴青空に漂へり
日野草城(ひのそうじょう)
箱庭にわたくしがいる杖(つえ)ついて
鳴戸奈菜(なるとなな)
私の想像ですが、「高熱の鶴」は、高熱で臥(ふ)せっている自分の詩魂、「箱庭」は閉塞的な世の中及び(脚の問題で)肉体的に遠出ができない狭い活動範囲を示していると思っています。いずれも、句自体に明示されていません。
なお、俳句鑑賞において、よく使われる象徴は、多義的に使われる用語で定義が困難です。一部の換喩における象徴喩のことであったり、諷喩のことであったり、関係も類似もない二つの物事を繫(つな)げる技法であったり、様々な技法を指しているので、紙幅の都合上、説明を割愛します。
「木枯帰るところなし」
活喩(擬人法)は、非人間に人間的な特性を持たせる技法です。人間以外の主語に人間にしか使わない述語を合わせます。ただし、広義の活喩は、人間的な特性に限らず、無生物に生物的な特性を持たせる技法全般を指します。見立てからアニミズムまで幅広い範囲に及び、比喩の中では、直喩と同じくらい人気の技法です。
なお、活喩は、直喩や隠喩で表現されることが多く、直喩や隠喩と同時に存在できるのが特徴です。
秋雨の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸(マッチ)かな
中村汀女(なかむらていじょ)
海に出て木枯帰るところなし
山口誓子(やなぐちせいし)
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)
通常、ガスが「飛びつく」、木枯が「出て/帰る」、冬菊が「おのが」光を「まとふ」、とは言いませんが、敢(あ)えて言うことで、鮮明なイメージが伝わります。
比喩を使う上で最も大事なのは、比喩は毒にも薬にもなることを知っておかなくてはならないことです。比喩は、簡単に使えますし、成功すれば、非常に印象的な表現につながります。反面、比喩は劇薬のようなもので、使い方を間違えると、比喩は毒になって、何と、句が即死してしまいます。そうです、まずい比喩は、句にとってコリどころか、猛毒なのです。
具体的には、「ああ、そうですか」と言いたくなるような、類想のある、安直な比喩を使ってしまうと、句が即死します。比喩を毒にしないで、薬にするツボは、新鮮でありながらも説得力のある比喩にすることです。左三句、いずれも比喩が陳腐で、毒になっています。
春待つ人キリンのやうに首長し
受験勉強わたしの母はたまに鬼
ひまはりの微笑(ほほえ)んでゐるまほらかな
選者の一句
月光に盈(み)ちてプールや波うてる
季何
講師
堀田季何(ほった・きか)
1975 年生まれ。「楽園」主宰、「短歌」同人。芸術選奨文部科学大臣新人賞、
現代俳句協会賞、高志(こし)の国詩歌賞。詩歌集に『惑亂(わくらん)』『亞剌比亞(アラビア)』『星貌(せいぼう)』『人類の午後』、著書に『俳句ミーツ短歌』他。南日俳壇選者、現代俳句協会常務理事、国際俳句協会理事。
◆『NHK俳句』2024年8月号「俳句の凝りをほぐします」より
◆写真 ©Shutterstock(テキストへの掲載はありません)