三角おむすびが川崎宿発祥って知ってた? おむすびで街と人を縁むすび
おむすびのザ・定番型といえば、三角おむすび。実はこの形、ひょんなことから江戸期の川崎宿で生まれ、上様のお褒(ほ)めにあずかった葵の御紋むすび伝説をもつ。そして今や、食べて、歌って踊って、街を活気づけていた。
お話を聞いたのは……池田ハルミさん
葵の御紋むすび伝説を発掘。紙芝居も制作し、読み聞かせも行う。
江戸時代の伝説を基におむすびを川崎宿名物に
おむすびかおにぎりか。俵型か三角か。地域で名称や形は異なれど、川崎では誰がなんと言おうと“三角”の“おむすび”だ。なんてったって発祥の地なんだから。
埋もれていたこの事実に着目したのが川崎っ子の池田ハルミさんだ。約25年前、東海道川崎宿を生かしたまちづくり組織『東海道川崎宿2023』委員となった池田さんは、みんなでアイデアを出す中で出た“御紋むすび”の名が気になった。稲毛神社の名誉宮司さんに勧められて古文書を見たものの「昔の書体で読めなくて(笑)。県立歴史博物館の館長さんに解読してもらいました」。そこに伝説が記されていたのだ。
時は江戸時代。八代将軍に就任した吉宗公は一行を引き連れ、紀州から江戸を目指して川崎宿に宿泊。だが、本陣の米が足らなくなる事態に。そこで“炊いた米を1升持ち込めば3升分支払う”という御触れでごはんを集め、おむすびにして難局を乗り切った。そのとき上様に供したのが、丸盆に乗せた三角おむすび。すると「葵の御紋のようだ」といたく喜ばれ「葵の御紋むすび」と称されたとか。
池田さんはこの伝説を基におむすびを川崎宿名物にすべく、レシピコンテストを企画。2015年から催すと、高校生、主婦、料理クラブなど、毎年130ほどのレシピが集まり、おむすびの名が市民に浸透していくのを実感。第4回から審査員に名を連ねた『飯田屋』2代目店主の飯田学さんも「それまでおにぎりって言ってましたが“おむすび”って呼ぶようになりました」と話す。
和菓子とおむすびの飯田屋
住所:神奈川県川崎市川崎区小田4-8-11/営業時間:9:30~18:00/定休日:水/アクセス:JR南武線小田栄駅から徒歩7分
2024年にはグランドチャンピオンをファン投票で選ぶファイナルも催され「かわさき餃子みそチーズおむすび」が栄誉に輝く盛り上がりを見せた。コンテストはひと区切りついたが「また何か違う形でしたい」と、池田さん。次なる手を思案中だ。
一度見たら忘れられない歌って踊るおむすびーZU
池田さんの活動はそれだけじゃない。有志で“おむすびーZU”を結成し、仲間がネットで見つけたおむすびの被りものを装着。「手足が自由で、着ぐるみよりはるかに動きやすかったんです。白のトップスをごはん、黒のパンツを海苔に見立てれば、誰もがおむすびになれますし」と、微笑む。
刮目(かつもく)モノが「川崎おむすび音ダンス頭」だ。川崎を舞台にした映画の音楽を手掛けた作曲家の妻や、日本舞踊の先生がメンバーにいると分かり、ここぞとミラクル人脈をフル活用。民謡とまさかのモータウンサウンドが融合し、一度聞いたら誰もがノリノリ、ウキウキ。
おむすびの手順を踏まえた踊り、覚えやすい歌と相まって2021年から市内の祭りやイベントで踊りの輪が大きくなるばかり。しかも昨年(2024年)、高津高校の生徒たちがおむすびーZUを密着取材したラジオ番組が関東地区高校放送コンクールで最優秀賞を受賞。関東圏の高校生にも葵の御紋むすびが知られるまでに。
また、「子供たちに伝えるには本より紙芝居!」と、コロナ禍に知り合った紙芝居師の望月晶子さんとともに、伝説を21枚の絵で描いた紙芝居を制作。図書館に寄贈し、池田さん自身が読み聞かせに出かけたり、木製おむすびストラップ300円を作ってイベントで販売したりと、アイデアが次々と形になっている。
そして、おむすびーZUは当初5人だったが、今やサブメンバーを含めると約40人! 2025年3月22日に高津区の円筒分水スプリングフェスタ2025、4月6日に稲毛神社のさくらまつりなど、春は各所でにぎやかに歌って踊りまくる。「フランスでもおむすびが人気みたいで、2025年3月、フランス領のタヒチで川崎おむすび音頭が披露されるんですよ」と、なんと音頭の世界進出まで決まった。おむすびがつなぐ縁は宿場を飛び出し、全国、そして世界へと結ばれていくのだった。
取材・文=林さゆり 撮影=丸毛 透
『散歩の達人』2025年4月号より