中村鶴松インタビュー「今でもあの台詞を思い出します」~シネマ歌舞伎『野田版 鼠小僧』の思い出と現在の思い
高性能カメラで撮影した歌舞伎の舞台公演を、美しい映像とこだわり抜いた音響で。「シネマ歌舞伎」は、歌舞伎と映画の双方に豊かな知見とリソースをもつ松竹だからこその試みとして、2005年に始まった。
その第一作目となったのが、演出家・野田秀樹と十八世中村勘三郎による新作歌舞伎『野田版 鼠小僧』(2003年8月歌舞伎座)だった。そして本作で重要な役を勤め注目されたのが、当時8歳の子役・清水大希、現・中村鶴松だ。
シネマ歌舞伎20周年を迎える今シーズン、《月イチ歌舞伎》のオープニングを飾る『野田版 鼠小僧』の全国34館上映(4月4日~)に先駆けて、鶴松にインタビューした。二代目として中村鶴松を名のり20年。当時の思い出、今、大切にしたい「恐怖感」とは。
■変身の魅力と、あの景色の気持ち良さに惹かれて
ーー勘三郎さんは、劇中劇の鼠小僧こと稲葉幸蔵と、金にしか興味のない棺桶屋の三太を演じました。そして鶴松さんは、三太が偶然出会う少年、孫さん太役で登場します。2003年当時、鶴松さんは一般の子役としてオーディションを受け、出演されたそうですね。
断片的ですが、なんとなく当時のことを覚えています。建て替え前の歌舞伎座の、地下の手前の稽古場だったこととか。孫さん太の最初の登場場面は、花道で勘三郎さんを蹴るところから始まるんですよね。オーディションでは、そのシーンだけをやって見せた気がします。思い切りできるか、みたいなところを見ていたのかもしれません。他のシーンもやったのかもしれませんが、どうだったのかな。
ーー鶴松さんは3歳で児童劇団に入り、5歳で市川團十郎(当時新之助)さんの『源氏物語』に出演、竹麿役を勤めました。これが初めての歌舞伎です。翌月には片岡仁左衛門さんの『源平布引滝』「義賢最期」で九郎助孫太郎吉を。その後も様々な役で出演し、2001年4月には中村吉右衛門さんの『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」で安徳帝を勤めました。この安徳帝役で、中村勘三郎(当時勘九郎)さんが出演する2001年11月の平成中村座にも出演されます。
『野田版 鼠小僧』のオーディションを受ける頃には歌舞伎にも結構出ていて、勘三郎さんにかわいがってもらっていました。勘三郎さんは、野田秀樹さんに「君が子役のオーディションで合格させる子は、僕と一緒だと思うよ」と話していたそうです。オーディションの場に勘三郎さんはいませんでしたし、勘三郎さんはその子役が誰のことか、野田さんに名前までは伝えていなかったそうです。でも結果的に、野田さんに選んでいただき出演が決まりました。
ーーその頃には、歌舞伎がお好きだったのでしょうか?
子役として、初めの頃は歌舞伎以外の演劇やオペラ、テレビCMなどにも出ており、どれも全力でやっていました。その中でも、歌舞伎は異質でしたよね。当時、仮面ライダーやウルトラマンのような変身するものが好きだったので、そこに惹かれたのかもしれません。歌舞伎ほど変身する演劇はありませんし、自分とは全くかけ離れた、時には人間でさえないものになれる異様さに。
あとは、歌舞伎座は2000人を収容する大劇場ですよね。勘三郎さんが出る舞台は、歌舞伎座でもどこでも常に満員のお客さんが入っていました。あの景色の中で芝居をする気持ち良さも、子どもながらに感じていたように思います。
■人生のモットーになっています
ーー『野田版 鼠小僧』で特に印象に残っている場面をお聞かせください。
やはり最後のシーンです。勘三郎さんの三太が、屋根の上で言う台詞がありますよね。
“ちびのさん太、屋根の上からいつも誰か見てると思いな。忘れちゃいけねえんだ、きっと誰かが見てる。”
“おめえのやってることは、きっと誰かが見てるんだよ。”
僕の人生のモットーになっています。屋根の上からさん太に向けて「いつも誰かが見てると思ってがんばるんだ」と言うように、空の上から勘三郎さんが、僕にそう言ってくれてるような気がして。勘三郎さんがいなくなり、大変なこともたくさんあります。悔しいことがあった時とか、今でもあの台詞を思い出します。
ーーそして舞台は、鶴松さんのさん太の台詞とともに幕が引かれます。
ラストシーンが終わると、僕は母親が控えている舞台袖へ行くのですが、勘三郎さんは毎日「こっちおいで」と呼んでくれて、後ろから抱っこするように僕を抱えて、カーテンコールに僕を連れ出してくれました。一般の子役が、歌舞伎座のカーテンコールで舞台のど真ん中に立つなんて、思えばありえないことでした。
■鶴松を名乗り20年
ーー2005年、鶴松さんは10歳で中村屋の部屋子になりました。子役ではなく部屋子になったことで、変化はありましたか?
勘三郎さんから、「今までは一子役だったけど、これからは一歌舞伎役者。歌舞伎役者として厳しく育てるからね」と言われたことを覚えています。けれども当時、僕自身は何も変わりませんでした。生活も変わりませんでしたし、目の前のことを一生懸命やるのは、子役も部屋子も一緒でした。ただ、さん太が、人生のターニングポイントだったことは間違いありません。
ーー『野田版 鼠小僧』の初演から22年。今、新たに感じることはありますか?
勘三郎さんはもちろん、皆さん個性的で、バケモノみたいな人たちの集まりですね(笑)。獅童さんの幽霊が、芝翫さんに馬乗りになるシーンとか……これは本編でご覧いただきたいのですが、当時も「これも歌舞伎なんだ!」と衝撃的でしたが、今観ても衝撃的です。みんな本当に芝居が大好きで仕方ない、芝居モンスターだったんだなと思います。
ーーその舞台で、鶴松さんは子供ながらに存在感を発揮されたのですね。
子どもだからこそ、怖いものがなかったんですよね。台本に「蹴る」とあれば思い切り蹴れた。僕はまだ、自分の意思で「こんなふうにやろう」みたいなことはなく、稽古では母親や子役の先生に「明日はこうしてみよう」とアドバイスをもらいながら、毎日新しいことにチャレンジしていました。子どもだったから失敗しようが気にしないし、失敗も失敗と思わなかった。勘三郎さんはそこを評価してくれていたんじゃないのかなと思います。
ーー今はいかがですか?
大人になるにつれて、失敗しながら遠回りしながらではなく、「いかに正解に近づくか」のアプローチになっていくんですよね。稽古の時でさえ、皆の前で突拍子もないことをやることが怖くなるし、思い切ったことができなくなっていく。歌舞伎は型をベースに一挙手一投足、先輩のやり方を真似て習うものですが、野田さんの作品をはじめ新作では、台本を理解して、いかに新しいことを考え、実行できるかが求められるわけですから。歌舞伎役者としての引き出しをフルに使えばどうにか……というものではなかったように感じます。『野田版 鼠小僧』には、それができてしまう芝居モンスターが揃っていたんだなと感じます。
ーー今お話された、大人になって知る「怖さ」を克服するために必要なものって何だと思われますか?
やっぱり場数、経験だと思います。お稽古が大切なのはもちろん、本番で大きな役をやることでしか得られないものがありますから。主役の大きさ、空気感は、すぐには、上手い下手やセンスで出せるものではありません。大きな舞台で大きな役の経験を積んで、自然と出てくる役者としての大きさ、オーラみたいなものがあると思うし、 それが歌舞伎の主役をやる上では、何よりも大切なことだと思っています。
■シネマ歌舞伎も20年
ーーシネマ歌舞伎もスタートから20年です。シネマ歌舞伎の中でおすすめの作品はありますか?
名舞台ばかりで選ぶのが難しいのですが、『野田版 鼠小僧』と『野田版 研辰の討たれ』は別格に面白いと思います。
ーーシネマ歌舞伎を映画館で観ることに、どのような魅力を感じますか?
たとえば勘三郎さんも坂東三津五郎さんも、早くに亡くなられてしまいました。その世代の舞台を知らない方が、結構増えているんですよね。「生で観たかった」という声を聞くと、僕らからしても「え! 観ていないの!? もったいない!」と思ってしまう。そういう先輩方の舞台を観られるシネマ歌舞伎は、貴重ですよね。
それから、オペラグラスでも見えないくらい細かい芝居を見ていただけるのも、シネマ歌舞伎の魅力です。歌舞伎には、先輩方から口伝で受け継がれている決まり事がたくさんあり、とても細かいところまで決まっていたりするんです。ここでは瞬きをしない。黒目を動かさない。ここではこう動かすとか。そこを追求して何百年も守り抜いてきた積み重ねから、生まれるものがあると思うんです。それこそが歌舞伎が続いてきた所以であり、素晴らしさだと思うんです。
ーー2025年の「月イチ歌舞伎」のラインナップは、親しみやすい演目が並びます。
今年のラインナップでいうと、僕は『野田版 鼠小僧』(4月上映)、宮藤官九郎さんの『大江戸りびんぐでっど』(7月上映)、『歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉』(12月上映)の3本に出演していますが、「月イチ歌舞伎」は新作歌舞伎が多めですよね。個人的な意見ですが、もっと古典歌舞伎も上映していいんじゃないのかな。
■畏れを、不安を、忘れずに
ーー鶴松さんの鼠小僧、棺桶屋三太もいずれぜひ観たいです。
昔は「いつかやりたい」と自分でも言っていたんです。でも大きな役を勉強し経験していく中で、なかなか言えなくなるものですね(苦笑)。それでも、どのような形であれ、いつかできたら嬉しいです。実は僕、野田さんの作品には『野田版 愛陀姫』(2008年08月)以来、出ていないんです。でも4年前『真景累ケ淵-豊志賀の死-』(2021年8月)で、初めて歌舞伎座で大きなお役をやらせていただいた時に、野田さんが花を贈ってくださいました。今でも気にかけてくださっているんだ、と嬉しかったです。(中村勘九郎、中村七之助の)兄たちは「俺たちでも、もらったことない!」なんておっしゃっていました(笑)。
ーー中村鶴松というお名前を名乗られて20年。歌舞伎俳優として、大切にしていきたいことをお聞かせください。
先ほど、大人になると怖くなる、という話をしました。でも、いい意味での恐怖感や不安、芸や舞台への畏れは、持ち続けていたいです。勘三郎さんもそういう方だったと思うんです。世間的には革新的なことをされているイメージが強かったと思いますが、一方では、誰よりも古典を愛し、誰よりも稽古をされていた方です。
たとえば『春興鏡獅子』という踊りの演目を、勘三郎さんは生涯大切にされていました。(中村)扇雀さんは、その稽古量をみて「一生かないません、と思った」とおっしゃっていました。そして歌舞伎座で初めて『春興鏡獅子』を踊られた時の映像を観たところ、舞台袖で座って出番を待ってる間、まだ舞台に出てもいないのに、すでにすごい緊張で、ずっと汗が流れているんです。中村勘三郎という大スターでさえ、ひとつの作品に対し、それほどの姿勢で挑んでたということですよね。
お芝居ですから、役者である自分が楽しんでいなくては、お客様も楽しめません。でも、楽しいだけでいいのか? とも思います。時代が変わり、昔のように怒る先輩もいなくなりました。でも、それによって「怒られたらどうしよう」「もっと突き詰めなくては」という感覚が薄れて、演目そのものへの畏れや、舞台へのいい意味での恐怖感も失われてきたような気もします。それはきっと、勘九郎と七之助の兄たちも持ってる感情なんじゃないかなと思います。
子供の頃、勘三郎さんはスーパースターで天才で、何でもできる人だと思っていました。周りの方々からエピソードを聞く中で、間違いなく天才だったし、人一倍努力し、そして不安も抱えながらやっていたんだと知りました。歌舞伎は400年続いてきた伝統芸能であり、先人たちが守ってきたものだからこそ、僕もその畏れや不安といった感覚を忘れずにいたいです。
取材・文=塚田史香