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水の生まれるところ、南阿蘇村

ココロココ

気候や地形、人の暮らしや風習を見つめ直すと、その土地ならではの風土が見えてきます。土地の個性、魅力はどこにあって、何が宝物なのか。ライターの甲斐かおりさんが、地域で出会った人びとの言葉や営みから、土地の良さをひもときます。過去から受け継がれるもの、新しく更新されるもの。風土って何だ?を一緒に考える旅に出てみませんか。
今回は、甲斐さんご自身も暮らす熊本県南阿蘇村の「水」のお話です。

水の生まれるところ、を初めて見た。
こぽこぽと小さな気泡が上がり、澄んだ水が湧き出ている。
それは見たことのない“澄みよう”で、手を入れるとやわらかく、ひんやりしていて気持ちがいい。
長く固まっていた心の底が、みしりと動いた気がした。

数年前に、旅行で熊本県南阿蘇村の白川水源を訪れた時の話だ。
当時はまだ、この村に住むことになるとは思ってもみなかった。
だがのちに考えてみれば、無意識がこの地を選ぶ後押しをしたのかもしれないと思う。いま、うちから歩いて数百メートル下の水源には、こんこんと水が湧いている。

最近、近くに移住してきた若い家族がいて、理由を尋ねたら「土地の力だ」と言った。そのときは大仰なと笑ったけれど、私たちも芯の部分では、似たようなことを感じてここにいるのかもしれない。澄んだ水が近くに豊富に湧いている。生き物としてこれ以上、安心感を得られるものはないように思うからだ。

毎分、何トンもの水が湧き出る水源が11ヶ所

熊本県南阿蘇村は、阿蘇五岳をぐるりと囲む谷の南部分に位置する。谷の平らな面には一面に田畑が広がっていて、季節ごとに稲の緑や黄金色、蕎麦の真っ白な花など美しい色に染まる。この田畑を潤すのが、阿蘇の伏流水だ。

村には、11の水源があり、毎分5〜120トンもの水が湧き出ている。村にはりめぐらされた水路には、いつもごうごうと水が流れて田んぼを潤している。どれほど流れても尽きないこの水を見て、毎回えもいわれぬ安心感を感じる。

村内でもっとも湧き出る水の量が多い、竹崎水源近くの水路

都会では、蛇口をひねれば水が出る。だがその水がどこからくるのか、またどこへ行くのか、見えない。それが、南阿蘇では水の生まれるところから流れつく先までを目にすることができる。

目の前にそびえる山が伏流水をつくり、その水が地上に湧き出て、水路を通って田畑を潤しながら川になる。熊本では水道水も9割以上は地下水によってまかなわれている。生活に使った水は各家の浄化槽で浄化され、再び水路に戻る。

そうした水の循環を、これほど視覚的に感じられる土地は、なかなか他にないのではないかと思う。そのためか村の人たちは水をとても大事にしていて、地域の共同作業で水源の清掃や草刈りが行われ管理されている。

水とともに生きてきた人たち

毎分120トンと村内でもっとも湧き出る水の量が多いのは「竹崎水源」である。ここから水を引き、家の前まで流れてくるのが久石地区の井出口集落。各家には、水路に向かって細い石段と小さな洗い場がついており、水路が生活に使われていた痕跡を残している。

久石で生まれ育った田所則起さん、幸男さん兄弟が、以前、取材で話を聞かせてくれた。

水の豊かな地域の人はみなこうなのかと思うほど、何でも愉快そうに話す穏やかな好々爺兄弟だった。

「昔はこの辺りの家にはみんなこげんして、洗い場がついとりました。顔を洗ったり、煮炊きに使う水は、なるべく朝のはやか時間に運んで、瓶(かめ)にためて使うんです」

兄の則起さんが説明してくれる。

今は生活排水を浄化槽できれいにして川に戻すが、昔は水路に流れる水の大半が水源の生まれたての水だった。飲んでも大丈夫な美味しい水だったそうだ。

川で洗い物をしても、新しい水がどんどん流れてくるため自然と浄化されていく感覚だった。人のし尿は田畑の肥料になり、川に流すことはなかったという。

1965年に水路がコンクリート化されるまでは、石垣に囲まれた土水路だった。草もあちこちに生えていて、水の流れは今よりずっとゆるやかだった。つまり子どもたちの恰好の遊び場でもあったのだ。

「年間通して水温は一定で15度くらい。夏は冷たく、冬は温かいんです。だから夏はぼくらのプール代わりです。水の冷たかけん、すぐ唇が真っ青になって。上がってはまた入って」と兄の則起さんが言えば、「そうそう、まるちんで泳いでな」と弟の幸男さんが笑う。

必死で泳がずとも流れのある水路では自然と前に進むので、高校生になって初めてプールで泳いだ時にさっぱり前へ進まなかったという笑い話もあった。

「魚もようけおってねぇ。わたしら兄弟みんなで川に捕りに行って。アブラメ(アイナメのこと)は唐揚げにしたらうまかとですよ」

「この辺りは水が豊富やからね、人も穏やかです。水の少ない地域では親兄弟でも水争いするって聞きますから」

水源の水は誰がどれだけ汲んでもよいので、よそから水を汲みにくる人も多い。だが田畑へ引くとなると、水利権によって細かい取り決めがある。同じ村内でも水の十分に行き届かない地域はあって、そこではシビアな水の配分調整や時には”水ゲンカ”が今もあると聞く。南阿蘇に限らず、各地の歴史をみれば、水はいつでも争いの元だった。

水が潤沢な土地だから心穏やかに暮らせるのだとしたら、田所さんたち兄弟はその生き証人のようだった。

田所則起さん、幸男さん兄弟(写真:koichiro fujimoto)

久石地区の「井出口」という集落。田所さんの家の前の水路。

“みんなのもの”という感覚

田畑は個人の所有物で、境界線も明確にある。だが人々は「目の前のこの山があるから水が湧き、水が田畑を潤して作物が実り、それを食べて我々が生きている」という感覚を、みなが共通の体感としてもっている。

この環境は「誰のものでもなく、みんなのもの」という感覚が、自ずと養われる風土があるのだ。

比べて都会は、私有物の集合体である。公園や図書館などパブリックな場所もあるが、それ以外はすべて、ここからここまでは誰々の土地であり建物だと線引きされている。「みんなのもの」と思える風景が少ないから「まち全体のことをみんなで考えよう」という発想がもちにくい。

この違いは案外、自然に対してだけでなく、さまざまな面にも影響するのではないかと思う。たとえば南阿蘇にいる時と都市部にいる時で大きく違うのは、子供への接し方だ。都会ではよその子に話しかけてはいけないのが常識。

子どもの側も「見ず知らずの人に声をかけられたら逃げなさい」と教わっているから、低い塀の上などを歩いている子どもに、ふと「危ないよ」などと声をかけようものなら、ぴゅーっと走って逃げられてしまう。話しかける方が悪いのだ。

かたや南阿蘇では、知らない子でも、子どもの側からびっくりするほど大きな声で「こんにちは〜!!」と声をかけられる。もちろん、こちらから声をかけても許される。

「子どもは村みんなで育てるもの」という感覚が、昔から無意識の域で共有されており、それがいまだ変わっていないのではないかと思う。

かつて日本には「自然」という言葉はなかったという。「山」や「里」「川」「水」といった言葉は使われたが、これらを総称する「自然」は、あまりに日常と一体化していて、別ものとして名前をつける必要がなかったからだ。

そうした日常と一体化した自然を「みんなのもの」と捉える感覚が、南阿蘇にはまだ残っている。

これから先、自然との共生などを考える時、自分たちから切り離された「自然」を語るより、「みんなのもの」ひいては自分の一部でもあるといった感覚を体感としてもてるかどうかは、大きな鍵になるような気がしてならない。

南阿蘇村の風景

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