算数苦手で理系進学断念…。ASDの私「脅威」だった世界を変えてくれた「科学」への執着
監修:鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
科学への憧れ
身も心もボロボロになるほど受験勉強に明け暮れた私ですが、受験のための勉強以外で、大好きだったものがあります。それが理系の分野の学びです。
思い返せば、小学生の頃から科学の本が好きでした。母が毎月とってくれていた学習雑誌の科学編を3学年上の兄のぶんまで奪って読むほど、科学に夢中。科学分野かどうか明記のない学習雑誌でも、より熱心に読んだのは物語よりも科学の分野のものだったように思います。
身の回りのちょっとした自然現象にも強い興味を持ち、いつも「なぜだろう」と考えていました。中学校の理科で湿度について学んだ時、「なぜ冷たい飲み物を入れたグラスの表面に水滴がつくのか」「なぜ冬の寒い日、窓に結露が浮かぶのか」について初めて納得のいく答えを得て、ものすごく興奮したことを今でも覚えています。
鼻血が出るほど科学が好き
科学は、一見バラバラに見える世界が、整然とした、そして途方もなく大きな時間的空間的スパンの法則のもとに動いていることを教えてくれます。
ASD(自閉スペクトラム症)の少女だった私にとって世界は、いろいろなことがランダムな脅威に感じられる、怖いところでした。自分のことも、まるで「世界からぽっかり浮いた正体不明の宇宙人※」のようで、とても怖かった。
※宇宙人という感覚はASD(自閉スペクトラム症)の人がよく抱くといわれていますが、「世界からぽっかり浮いた」というのは、私の二次障害である解離の傾向と関わっていたのかもしれません。
その恐怖から逃れたくて、理解可能な規則に基づく安心や納得感、見通し、コントロール感を強く求めていました。そんな私にとって、科学は救いに近いものだったのです。
中学に入って最初の理科の授業で先生がしてくれた、位置エネルギーについての話は今でも強烈に心身に残っていて、思い出すと身体中がゾクゾクします。
先生が語ってくれたのは、こんな感じの話でした。
(私に物理の専門知識はないですし、細かいところは忘れているので、誤った内容が含まれるかもしれません)
今、あなたたちはそこに存在して座っているだけで、大きなエネルギーを抱えているのよ。たとえば、私達は今2階の教室にいるけれど、ここの床が急に抜けたらどうなると思う?あなたたちは1階の床に落ちるわね。床に落ちた瞬間、ドーンと大きな音もするかもしれない。落ちた衝撃で1階の床に傷がつくかもしれない。
あなたたちがもし、何トンもある重たい物体だったらどうかしら。クレーターができるかもしれない。衝撃波が出て周りのものが吹っ飛ぶかもしれない。落ちたときの強い摩擦で煙や火が出るかもしれない。
これが位置エネルギー。あなたたちがそこに静止していられるのは、床があなたたちの体重を支え続けているからにすぎないのよ。
私は、周りからぽっかり浮いた存在だと思っていた自分が、宇宙を貫く大きな大きな物理法則に「縛られて」ここに存在しているのであり、まったくもって「世界と無関係」などではなかったのだ、と思い、たいへんに感激しました。
そして、「あなたたちはそこに存在して座っているだけで大きなエネルギーを抱えている」という表現は、単に物理的な話としてだけではなく、比喩的な、詩的な話としても響きました。「私は存在しているだけで大きなエネルギーを抱えているんだ、良くも悪くも世の中に影響しているんだ」と思うと、自己否定感の強かった私は、何か強烈に鼓舞されるような感覚を覚えるのでした。
マッドサイエンティストになりたかった
学校では理科の実験用にお揃いで白衣を買うことになっていたのですが、私はこの白衣が大好きでした。高校の頃、用もないのにそれを羽織ってノシノシと校内を練り歩き、何をするともなく理科室に入り浸っていました。クラスメートが「異常に似合う!」とか言ってくれて、それで気をよくしていた思い出があります。
言い伝えられている強烈なキャラクターも合わせて、相対性理論のアインシュタインが憧れの人。理系雑誌を愛読し、実験器具をインテリアとして集め……そんな自分にある種のアイデンティティを感じていて、いつかマッドサイエンティストになりたいと思っていました。
あるとき、愛読していた科学雑誌で「誰でも分かる!特殊相対性理論特集」みたいな記事があり、それを血眼になって読んで特殊相対性理論の概要を理解しました。面白すぎていてもたってもいられなくなって、特に仲がいいわけでもないクラスメートをつかまえて30分間かけて一方的に講義したことがあります。
もうこの特殊相対性理論の一方的な講義については、何度思い返しても本当に、ASD(自閉スペクトラム症)の私らしい言動だったなと思います(笑)。当時は「クラスメートは面白いと言ってくれた!よいことをした!」とご満悦でしたが、よく思い返せば彼女は断りきれずに我慢して聞いてくれたんだと思います……。
泣く泣く文系へ
そんな私でしたが、高2の時の文理選択ではなんと文系に進み、大学も文系を選びました。
だって、絶望的に数学ができなかったんです。物理、化学、生物……誰よりも前のめりで、目をギラギラさせて、鼻血が出そうなほど興奮して授業を聴いているのに、あまりに数学ができないため、テストでは点がとれない。
数学、泣きながら必死で勉強して13点をとったことがあります。こんなことでは、仮になんとか受験では受かっても、その後ついてまわる数学に苦労したり、挫折したりするに違いない。
悩んだ末、国語や英語は成績がよかったため、文系に進むことに決めました。
進んだのは文学作家になるコースでしたが、授業が始まった瞬間、自分には文学に全く興味がない、ということに気づいてしまって愕然としました。
同時に二次障害が悪化したのと、家庭環境の悪化も顕著になったのとで、結局勉強にはほとんど集中できないまま4年間の大学生活を終えてしまいました。
私は「どの有名4年制大学に行くか」みたいな話しか出てこないような進学校にいたので、高等専門学校というものを知らなかったのですが、30代になって自分の発達障害を自覚したあと、初めて知ることになりました。
文系の大学に進まず、理系の高等専門学校に進むなどしていたら、もしかするともっと社会適応できていたかもしれない、と思うことがあります。
それでも、今はこれでいい
けれど、人生は効率ばかりではありません。私は理系に進まずに人生を「遠回り」したことで、人生をより深めることができたのではないかと思っています。
たまたまですが、結果的に今、文章を書くにしろ日本語を教えるにしろ、「言葉を扱う」という人文的なことを仕事にしていることもあり、私の人生はこれでよかったのかもしれないな、と思っています。
理系の世界への憧れは、化学の構造式をモチーフにしたアクセサリーを身に着けてニヤニヤするとか、変わった温度計をしげしげと眺めてしきりに感心する、生成AIの活用に没頭する、化学の知識を家事に活かす、などといったことに残っています。
文/宇樹義子
(監修 鈴木先生より)
一般的にASD(自閉スペクトラム症)の方は理系に進む方が多いのが現状です。
小学校の時は国語が苦手で算数が得意だというのがASD(自閉スペクトラム症)のお子さんにはよく見られる傾向です。例外は限局性学習症(算数不全を伴う)の計算障がいです。国語が苦手なお子さんは算数の文章題が苦手になりやすいですが、算数が苦手なお子さんは計算自体が苦手なので算数の成績だけが悪くなります。そういうお子さんがIQテストを受けると、知覚推理のところだけ数値が低く出るかもしれません。
数学が不要な理系もないこともないのですが、科学が好きなら、科学に関した言葉を扱うような文系の仕事が向いているのかもしれません。
大学入試も理系から文転する人も多いですが、その逆は理数系教科の影響のため難しいことが多いです。理系っぽい文系がいても悪くはありません。むしろそういう人だからこそできる仕事もあるのではないでしょうか。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
SLD(限局性学習症)
LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。