幻の古代魚<シーラカンス>発見と展示の歴史 捕獲に尽力した魚類学者と映画監督
シーラカンスが<生きた化石>と言われ、珍しい魚であるということはよく知られていると思います。
一方で、「シーラカンスの何がすごいのか」を詳しく知る人はあまりいないのではないでしょうか。
魚類学者・末広恭雄氏らが挑んだシーラカンスの現地調査に、その秘密は隠されています。
もしティラノサウルスが現代に生きていたら?
「2025年3月、アメリカの砂漠にティラノサウルスが現れました!ティラノは生き残っていたのです!」
そんなニュースがある日テレビで流れていたら、皆さんはどう思いますか?
「一体どうやって生き残っていたのか」と、驚く人が続出すると思います。「シーラカンスが見つかった」というのは当時、それと同じくらいの衝撃だったといいます。
1938年に漁船で見つかった奇妙な魚
1938年、南アフリカ共和国のイーストロンドン博物館に派遣されたM・コートネー・ラティマーは、「漁船から奇妙な魚がかかった」と連絡を受けました。
魚のスケッチをとり、J・L・B・スミス博士へ送ると、そのスケッチと「背骨がない」という情報を聞き、スミス博士はびっくり仰天。魚はかつて絶滅したと考えられていたシーラカンスだったのです。
シーラカンスには脊椎骨がなく、脊柱には中空の管があります。この形態と「背骨がない」という情報はシーラカンスである動かぬ証拠だったのです。
後に、このシーラカンスはチャルムナ川沖で見つかったことから、Latimeria chalumnae という学名が与えられました。
1997年にはインドネシアで別のシーラカンスが発見
その後、1997年にはインドネシアのスラウェシ島でまた別のシーラカンスが発見されました。そのシーラカンスは、Latimeria menadoensis と名づけられました。
本記事で紹介するのは、アフリカで見つかったLatimeria chalumnae(以後シーラカンス)のため、本記事では割愛しますが、興味のある方は「インドネシア・シーラカンス」で調べてみてください。
魚類学者と映画監督との出会い シーラカンスの捕獲調査へ
東京都稲城市と神奈川県川崎市にまたがる遊園地「よみうりランド」には、かつて「マリンドーム海水水族館」がありました。1967年、同館にフランスからシーラカンス標本が送られてきたといいます。
マリンドーム海水水族館は、当時の読売新聞社・社主だった正力松太郎氏と魚類学者・末広恭雄氏が構想を練った水族館で、末広氏が正力氏に、貴重なシーラカンス標本が展示できたら素晴らしい水族館になると助言していたそうです。
余談ですが、よみうりランドに隣接するジャイアンツ・タウンには2027年、新たな水族館がオープン予定であることが発表されています。
映画製作に悩む映画監督とシーラカンスとの出会い
一方、同時期に篠ノ井公平という映画製作の助監督がいました。日本の経済成長に伴い映画業界は衰退、その中で篠ノ井は質の高い海洋モノの映画を撮ろうとしますが、中々進められずにいたといいます。
篠ノ井が読んでいたお気に入りの本の著者が魚類学者の末広氏だったことから、篠ノ井は映画の相談をしに末広氏に会いに行きましたが、話していくうちに海の生き物を悪役に仕立てた海洋映画を撮ろうという気はなくなってしまったようです。
その後、篠ノ井は末広氏からシーラカンスの話を聞かされます。
よみうりランドのシーラカンスは防腐剤に漬けたものであり、また世界にも数えるほどしかシーラカンス標本はないこと、思うようにシーラカンス研究が捗っていないこと、そんなシーラカンスの映像が撮れたらどれだけすごいかということ───。
話を聞くうちに篠ノ井は徐々にシーラカンスへ興味が湧き、後に高齢の末広氏に代わってシーラカンスを捕獲するためにコモロ諸島へ赴くことになったのです。
苦労の末やってきたシーラカンス
コモロ諸島におけるシーラカンス捕獲に至るノンフィクションは非常に面白いです。詳細は『ゴンベッサよ永遠に』(末広陽子・著、小学館出版)という本に詳しく書かれています。
シーラカンスの捕獲は一筋縄ではいきません。そもそも、捕獲のための調査隊に資金提供するスポンサーが見つかりませんでした。
また、当時のコモロ諸島では政変が起きており、情勢は不安定。篠ノ井率いる調査隊がコモロ諸島へ旅立ったのは、シーラカンス調査隊結成から9年5カ月も後のことでした。
コモロ諸島へ着いてからも、調査は難航。ありとあらゆる現地漁師にシーラカンス捕獲を依頼しましたが、中々かかりません。
あらゆる障壁を乗り越えシーラカンスを捕獲
しかし、先ほど記した政変にも携わっていたフランス人のクリスチャン・オラガレイ氏の協力もあり、日本へ帰国する直前、ついにシーラカンスの捕獲に成功。金銭的な問題や政治的な問題、現地におけるトラブルなど様々な障壁を乗り越え、ようやくシーラカンスは捕獲されました。
この最初の調査がなければ、今日に至るまで日本のシーラカンス調査・標本の保存は上手くいっていなかったでしょう。
今、日本の水族館や博物館でシーラカンスが見られるのは、末広氏や篠ノ井氏による冒険があったからなのです。
シーラカンスは当たり前に見られる魚ではない
シーラカンスは今でも捕獲が禁止されており、大規模な調査隊が組まれてようやく撮影ができるなど貴重な魚であることが分かります。そして、末広氏らが展開した捕獲作戦を深く知ると、その貴重さがより一層感じることができます。
様々な苦労の末に日本の水族館でシーラカンス標本が見られるということは、決して当たり前のことではないのでしょう。
現在日本でシーラカンスの標本を見られるのは3館のみ
また今日、福島県いわき市にある水族館「アクアマリンふくしま」、静岡県沼津市にある「沼津港深海水族館」、山口県下関市にある「海響館」(2025年3月現在はリニューアル工事中)の3つの水族館でシーラカンス標本を見ることができます。
特にアクアマリンふくしまでは、今回登場したアフリカ・シーラカンス(Latimeria chalumnae)だけではなく、インドネシア・シーラカンス(Latimeria menadoensis)も見ることができます。
今日の日本においてシーラカンスが見られることは当たり前のことではありません。
シーラカンス標本を見る機会があった際は、ぜひ様々な歴史や苦労などに想いを馳せながら観察してみてください。より一層、シーラカンスの貴重さやありがたみを感じ取れると思います。
(サカナトライター:みのり)