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北海道で初開催から25年、「伝説や奇跡が起きなくても、日常と地続きで続くフェス」にーー新たな価値観が生まれた『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』を振り返る

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『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』

『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』2024.8.16(FRI)・17(SAT)北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ

北海道の石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージで、8月16日(金)・17日(土)に『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』(以下、『RSR』)が開催された。2019年・2022年とライブレポートを担当しているが、去年と同じ5ステージとはいえ、5年ぶりにBOHEMIAN GARDENが復活したことで、会場全体の広さも5年ぶりに完全復活したように感じた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

朝11時00分に到着して、まずは全体を歩いてみることに。北海道石狩市と石川県輪島市が友好都市であることから被災地応援特設ブースが設けられていた。ほかにも、今でも東北ライブハウス大作戦のブースも設けられているように、街と街の繋がりを大切にしていることが伝わってくる。そして、野外ロックフェスの基本的な考えである「Do It Yourself ~自分のことは自分で~」というメッセージも大切にしている。1999年に初年度を迎えた『RSR』だが、2000年に設立されたNPO法人ezorockを中心にごみの13分別などを実施。食用に適さなくなったお米を含んだバイオマスプラスチックで出来たオリジナルごみ袋が入場ゲートで配布され、実際に昨年の『RSR』で出た生ごみの一部を堆肥にリサイクルして育てられたじゃがいもが入場ゲートで配られたり、フードブースでは調理されて販売されている。

また、石狩市浜益区の果樹園では担い手不足により収穫しきれないさくらんぼをezorockボランティアスタッフが収穫を行ない、完熟状態のさくらんぼをすぐに冷凍して、「雪どけのさくらんぼ」として同じくフードブースで販売されていた。入場ゲートでは、石狩近郊の未活用木材を利用した薪割り体験コーナーもあり、夜は焚火体験ブースも展開される。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

入場ゲート付近だけでも、これだけ書くことがあるが、いざ中に入ってもジンギスカン、石狩鍋、石狩ラーメン、スープカレー、サッポロビールなどの北海道名物はもちろんのこと、アイヌの伝統紋様を使うワークショップやアイヌ工芸品の販売など北海道の文化をたくさん体感することができる。ただライブを観るだけではなくて、開催地特有のコンセプトが存在しているのは見応えがある。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

それで言うと北海道と言えば雪であるが、どれだけ涼しいとはいえ流石に夏の北海道では雪をみることができないと思っていた。しかし、今年は北海道沼田町協力のもとPROVOエリアに巨大な雪の滑り台が出現。色々な取り組みがあるが、何よりも来場者を驚かせたい楽しませたいという遊び心は『RSR』ならではのもの。他にもアスレチック体験ブースやクレーンによる高所体験ブースなどがメインステージとなるSUN STAGEと同じエリアにあったりする。クレーンのブースに関しては夜にはイルミネーションで綺麗にライトアップされて、まるで遊園地の夜の観覧車みたいにランドマークとしてもひときわ目立っていた。まだまだ見落としている点はあるかもしれないが、あくまで私の目で見て気になった点をピックアップさせてもらった訳であり、そろそろ肝心のライブについて書いていきたい。こちらも、あくまで私のピックアップ紹介であり、過去2回のSPICEでのレポートもそうであったように、全出演者を同じ文字数で書くのは物理的に不可能に近いので、このライブレポートもある種の総括・総論的な”鈴木が覗いた『RSR』”的な文章になってしまうことを予めご了承下さい。

Hwyl (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下聡一朗

13時00分・def gargeにて、公募で選ばれた、いわゆる若手・新人アーティストが登場する「RISING★STAR」枠としてHwylが登場。海外の有名ロックバンドたちも初ライブはガレージからスタートということで名付けられたステージだが、このステージからSUN STAGEへと巣立っていったバンドも多い。

怒髪天 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

いよいよSUN STAGEも始まるが、13時55分には袖から野太い男達の気合い入れの掛け声が聴こえてくる。主催・WESSスタッフの「札幌の兄貴」という紹介により、北海道の大御所である北島三郎「まつり」を登場SEにして、ふんどし姿の屈強な男20人が担ぐ神輿に乗り、怒髪天の増子直純が「よく来た~!」と雄たけびをあげながら登場。この光景は5年前にも観ているが、今年は結成40周年を記念して「仲間(ひと)のふんどし祭り」と題されている。それにしても多くのフェス現場をライブレポートしてきたが、ふんどし姿の男達を観られるのは『RSR』の怒髪天でしかありえない。そうかと思えば、ゲストの御年64歳のLOUDNESS・二位原実による男というか漢の叫びが聴けたり、GLAY「Winteragain」カバーなど、スペシャル企画とはいえ初っ端から盛りだくさん過ぎる。今年から怒髪天はメンバーが3人となり、この日もベースをサポートメンバーの御年64歳のアナーキー・寺岡信芳が鳴らしまくっていたが、バンドが止まることなく、それもよりパワーアップして進み続けている姿は堪らない。やはり40年の重みを感じる。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

続くゲストの御年67歳のスターダスト☆レビュー・根本要は「あんまりロックぽくなくてゴメンね」などと自虐気味に話すも、代表曲「夢伝説」を歌うと一気に雰囲気が変わる。40年前の楽曲だが、その大衆性はとてつもないし、何よりもギターを弾き歌う根本の姿は、どこからどう見てもロックでしかない……。唯一の紅一点ゲストの渡辺美里は「My Revolution」を歌うが、緩やかに後方で聴いていた人たちも思わずテントから飛び出して一緒に口ずさんでいる。こちらも38年前の楽曲だが、大ヒット曲の威力をまざまざと見せつけられた。私のような40代半ばの大人が興奮するだけでなく、流行・旬の人気ミュージシャンを観に来たヤングキッズたちにも新鮮かつ刺激的であったはずだ。現在の音楽シーンの流行も当たり前の如く大切ではあるが、音楽シーンの先人たちの歴史も知ることができるというのは、『RSR』というフェスの特質でもあり、大事な役割でもあるということをライブレポート3回目にして改めて感じた。ラストはSLANG・KOHEYをドラムに迎え、スピッツのサポートキーボディストとしてもお馴染みのクージーも加わり、二位原、根本、渡辺、ふんどし隊と全員集合で「オトナノススメ」。

<オトナはサイコー!>

まさしく歌詞の通り大人讃歌な楽曲だが、我々が『RSR』初年度はヤングキッズだった様に、現在のヤングキッズたちも大人になっても『RSR』に来続けて欲しいし、常にキッズからオトナまでが同じ場所で一緒に楽しめる祭であって欲しいと心から思えた。

「ライジングサンは北海道の大晦日なんで良い年を!」

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

この増子の〆の言葉には高揚するしかなかった。だからこそ2日目のオールナイトから迎える朝の日の出の時に「明けましておめでとうございます!」という『RSR』独特の最高にハッピーな言葉が飛び交うのだ。地元・北海道のことを歌った「いいんでないかい音頭(北海Ver)」が流れる中、大団円を迎えるが、最後の増子のロックフェス三大要素名言も記しておきたい。

「水分! 塩分! 兄貴分!」

まずは兄貴分を摂取できたわけだが、水分塩分と言えば、去年の『RSR』が珍しく猛暑だっただけに今年も……と心配はした。しかし今年はライブ中に小雨も降るくらいの天候だったので涼しめの暑さで凌げた。

PROVO (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

北海道のフェスだからこそ、地元・北海道出身者のライブを観たいので、15時00分には雪の滑り台があるPROVOへと向かう。『RSR』はオールナイトフェスであるからこそ、まったりくつろいで落ち着ける、いわゆるチルアウトができる場所も重要になってくる。色鮮やかなデコレーション、アートが楽しめ、夜になるとライトアップが美しいチルアウトスペースがあるのも『RSR』の良いところ。その象徴ともいえるのが、札幌で音楽・アート・スパイス料理などを発信するショップ「PROVO」オーナーの吉田龍太プロデュースによるエリア。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

ライブペイントからDJ、そしてフェス服・雑貨・飲食の販売まで古き良きヒッピー文化が感じられる。前述の雪の滑り台から雪だるまや大きな大きなシャボン玉の実演など子供たちも楽しめるエリアであり、子供たちの休憩スペースや子供たちが切り盛りするキッズカフェ「らいじんぐーちょきぱー」まで出店されていた。いわゆる元気いっぱいでヤングなフェスキッズは思う存分メインステージを最前でエンジョイできるし、ゆっくりじっくりフェスを味わいたい私みたいな大人世代は、こういったスペース、ステージでものんびりエンジョイできる。メインステージからコンパクトなステージまで、全ての世代の要望に応えられるのは、やはり広大な北海道の土地で展開される『RSR』だからこそ。

NOT WONK (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大谷康介

そんなPROVOで15時30分からライブ始めとなるのは地元・北海道のNOT WONK。DJブースもあるピラミッド型のステージは前方にバンドセットが組まれるが、高さは観客の目線とほぼ同じであり、特に前方には柵もないため、ライブの一体感がまるでコンパクトなライブハウスであり、その上に野外なのは最高すぎる。

「ギュッとやってワチャッとやって一瞬で終わろうかなと」

NOT WONKの加藤修平はそう言っていたが、まさにその通りで気持ち良い轟音を浴びていたら一瞬で終わった。5年前の初体験時にも感じたが、何よりも音が良すぎる。「PROVO」からの持ち込みの音響機材がほとんどらしいが、いつか札幌の店自体にも伺いたいと本気で思うくらいに設営が素晴らしすぎる。

BAND-MAID (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

羊文学 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

離婚伝説 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下恭子

5年前の初参加時と大きく違うのは、コロナ禍もひと段落したことにより、日本国内からの観客だけではなくて、中国や韓国、台湾などアジア圏のほか、アメリカやヨーロッパなど海外からの観客も増えていることであった。RED STAR FIELDでの15時00分におけるAwichを皮切りに、同じステージの羊文学、BOHEMIAN GARDEN での離婚伝説、EARTH TENTでのBAND-MAIDなど夕方にかけて、海外でも人気があり注目される出演者たちが続いていた。

Awich (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

特にAwichは海外からの観客が多く見受けられたし、HIPHOPの強さも感じた。ソリッドであったりメロウであったり、それぞれ音楽ジャンルは違えども型にとらわれない音楽を鳴らしていることは共通であり、そこが海外の観客にも響いているのだろう。学生時代に洋楽に憧れた世代としては、自分の国である日本の音楽が逆に憧れられるカルチャーへと進化を遂げているのは喜ばしいことであり、誇らしいことでもある。

ちなみに海外の観客が自国のフェスとの違いで感激していたのはフードの種類の多さ。確かにカレーライス、ラーメン、ピザに肉まん、魯肉飯、小籠包など何だってあるし、ドリンクだって多くの種類がそろう。ホスピタリティーすなわち“もてなし”という意味では完璧ではないか。西洋から知ったフェスという文化だが、日本が独自の変化を遂げ、発祥の地である西洋からも注目されるようになったことは本当に特筆すべき点である。

a flood of circle (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=千葉薫

気付くと日は暮れて、def gargeにて19時10分のa flood of circleを迎えようとしていた。フラッドは8月12日に日比谷野外音楽堂でデビュー15周年記念ライブを終えたばかりだが、ずっと1年中を全国各地のライブハウスやフェスを周り続けるライブバンドからすると今日も通常のライブなわけで、1曲目から真っ直ぐなロックンロールをぶちかます。佐々木亮介はアルコールを片手にステージから観客フロアへと降りて、ど真ん中の道を歌いながら進み続ける。どんな手を使ってでもストレートに伝えようとするライブバンドの矜持を見せつけられた。

syrup16g (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=タマイシンゴ

すっかりロックバンドの口というか耳になっているので、EARTH TENTのsyrup16gへと急ぐ。1996年結成の彼らだが、『RSR』には2004年以来の20年ぶりとなる出場。バンドと『RSR』共に歴史を感じるが、とにかく音の歪みが凄すぎて、20年前という当時の楽曲たちも強烈に響きまくる。寡黙なイメージがあるボーカルの五十嵐隆が「20年も歳を取ったから20年の疲れが出ていますけど、まだ元気があった天才だった頃……」と話してから歌われた「天才」は特に強烈に響きまくった。過去のデータを調べると2004年の『RSR』でも歌われたらしい。1999年初年度から丸25年の『RSR』だからこその歴史を再度感じられた。

Vaundy 撮影=日吉"JP"純平

25年も日本のフェスシーンにおいて独自の路線を持ちつつも王道として先頭を歩み続けられているのは、先程から散々ヤングキッズと書いてきたが、今現在の若者に大人気のミュージシャンたちもしっかりとブッキングされてきたからである。幅広い層の音楽ファンの期待に応えられていることに関しては目を見張るしかない。この日のSUN STAGE・21時00分のVaundyはまさに象徴的なライブであった。どの楽曲も歌う度に大きな歓声が起きて、あっという間に入場規制がかかる。私も遠く後方から聴いていたが、身振り手振りひとつをとっても、その圧倒的な存在感が伝わってくるし、若者たちから絶大なる人気を得ていることが理解できる。きっちりと重低音が効いているので、ステージから遠い後方で聴いている若者たちも体を揺らし嬉しそうに楽しんでいた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

よくよく考えたら、5年前のライブレポートでも、メインステージからコンパクトなステージまで全ての世代の要望に応えられるという点に、私としてもこだわって注目して記していた。それを今年もっとも大きく感じられたのは、この21時台である。def gargeには、地元・北海道の札幌を拠点に活動するTHA BLUE HERBが立っていた。ILL-BOSSTINOことMCのBOSSは、私がステージに辿り着いた時に、こんなリリックを投げかけていた。

<鹿児島 知覧に行けよ そこで俺らを待ってる 賛成か反対かじゃありません やるせない思いと共にただ泣ける 俺は不満です 同じだけ不安です 1人のHIPHOPファンです ただのエンターテイナー以上に何を語れるか 俺なりに それなりに考えてんだ>

THA BLUE HERB (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=千葉薫

5年前の終戦記念日に公開された「REQUIEM」のMV。戦後79年の終戦記念日の翌日に、この曲が日本のフェスで鳴らされる意義は絶対にあった。それこそ賛成か反対ではなくて、そこには歴史を知る意味があり、音楽から歴史を感じ取れるのは有意義でしかない。これ以上、書くと安っぽくなるので止めるが、是非とも何かしらの方法で、この曲を聴いていただきたい。

ロックンローラー、パンクス、そしてヒップホッパーなど各ジャンルの音楽に「何か言えよ」と問いかけてからの「未来は俺等の手の中」。観客フロアの柵ギリギリまでBOSSは近づき訴えかける。もうとっくにタイムテーブルの時間を過ぎているなと思っていたら、「俺、最初にWESSに話を通しているから、このままいこうぜ」とBOSSが言う。真正面から我々にぶつかり音と言葉を通して必死に伝えようとしてくれている。音が楽しいと書いて音楽なので馬鹿騒ぎを何も否定しないが、胸が騒がしくなるような音と言葉に掴まれた夜だった。

「勇気出して60分頼んで良かった。誰もいなかったら格好つかないから。明日もまた来るんでね。チバ君のところ来るんでね」

そう言い残してBOSSは、最後に帽子を取って頭を深く下げて去っていった。

フジファブリック (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

23時00分以降は通し券を購入した人のみが観られる「for CAMPERS」という特別ライブが行われる。RED STAR FIELDのフジファブリックはデビュー20周年なので、ボーカルの山内総一郎は「今日は特別なステージなので、僕らにゆかりのある方々をゲストでお呼びします!」と言って、まずは同じ事務所所属でもある斎藤宏介(UNISON SQUARE GARDEN/XIIX)を呼び込み、「Green Bird」を歌う。

フジファブリック x 斎藤宏介(UNISON SQUARE GARDEN/XIIX) (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

フジファブリック x 斉藤和義 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

そして、フジファブリックが活動できなかった約15年前の時期にサポートギタリストとしてツアーを回っていたというバンドにとっての恩人である斉藤和義とは「ブルー」を歌った。2025年2月での活動休止を発表しているだけに、休止前最後の『RSR』。フジファブリックとしてライジングに帰って来れる日を夢見てという山内の祈願が届いたライブだった。

WurtS (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=タマイシンゴ

同じ時間帯、EARTH TENTでは『RSR』初出場のWurtSがステージに上がっていた。夜中なのにテントからは人が溢れ返っていて、とにかく凄い歓声がずっと起きていて、テント外のスクリーン前にも何とかWurtSのライブを目に焼き付けたい若者たちで溢れ返っていた。DJやダンスを担当するうさぎも大活躍する大人気曲「分かってないよ」では、若者たちが飛び跳ねている。ロックナンバーでありダンスナンバーでもあるWurtSが鳴らす音楽が鳴り響きまくっていた。若者たちは、WurtSから音で踊るという感覚を浴びせられていたように感じる。踊り疲れながらも爽快な表情でEARTH TENTから出てくる若者たちはキラキラしていた。

台風の影響による交通機関の運休・欠航で平井大が出演キャンセルという不測の事態は起きたが、計30組による約12時間に及ぶ初日は終わった。かつては前夜祭とも呼ばれたという初日。約3万3000人の老若男女たちが音楽に鼓舞された。かつては本祭とも呼ばれたという約3万5000人が集った2日目へと物語は続いていく。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

次のページでは、2日目をレポート!


撮影=SPICE編集部(大西健斗)

2日目。PROVO・12時00分のROTH BART BARON・三船雅也から始まったが、初日最後はBOHEMIAN GARDEN・23時40分ROTH BART BARON。つまりは物語が本当に続いていて、1日ずつのブツ切りでは決してなく、2日間開催の意味合いがいきわたっている。同じく12時00分にはdef gargeにて、初日同様に公募で選ばれたいわゆる若手・新人アーティストが登場する「RISING★STAR」枠としてArataが登場。特に彼らは地元・北海道札幌拠点のバンドだけあって、アメリカンドリームではないが北海道ドリームを感じた。

Arata (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下聡一朗

14時00分。PROVOにてエレキコミック・やついいちろうがDJを。「とにかく、どこにも載ってないからつぶやいて!」と本人もステージでずっと言っていたが、本当にどこにも出演情報が載っていない。私も普段から取材でお世話になっている関係性から前日に本人から直接教えてもらっていた。小さな小さなコミュニティフェスならまだしも、『RSR』みたいな大きな大きなフェスで前日に急に出演出番が決まるなんて絶対に他ではありえない。DJとして全国様々なフェスに出演しているが、『RSR』だけはシンプルに大好きなので毎年自腹で来ているという。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

RED STAR FIELDの『RSR』オフィシャルカフェ「Red Star Cafe」における深夜営業スナック「レッドスター」のモリマン&まちゃまちゃ(ちなみにマスターは怒髪天・坂詰克彦)もそうだが、芸人がフェスに出演するのは今や普通になってきている。が、『RSR』のやつい・モリマン・まちゃまちゃたちは、音楽とお笑いの融合といった簡単なものではなくて、先程も書いたが『RSR』をシンプルに大好きで心から愛しているから来ている……、その心意気がビシバシと伝わってくる。DJ中にマイクも持たず、観客フロアに飛び込んで、観客とPROVOエリアを歌いながら走る……、そんなDJどこにもいませんよ。観客50人限定で深夜にスナックやるとか、どこにもいませんよ。そんな気持ちに芸人たちを揺り動かしてしまうのが、『RSR』である。

LiSA (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=タマイシンゴ

初日に海外からの観客が増えていることを書いたが、2日目でいうとSUN STAGEのLiSAを一目見ようと海外からの観客も多く集まっていた。5年ぶりの出場ということもあって、本人の気合いも普段より桁違いで、誰よりも激しく歌い踊っていた。「ライジングサンで、また「Rising Hope」を」という5年前の宣言を有言実行するように、「5年前の約束を果たしに来ました!」と「Rising Hope」も歌う。海外からの観客皆様も、このようなフェスの物語性にも味わいを感じて、毎年観に来てくれたら嬉しい。

My Hair is Bad (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

SUN STAGE・12時30分のトップバッター・My Hair is Badの椎木知仁が「この街に台風が来なくて良かった!」と言っていて、初日の台風の影響による交通機関の運休・欠航という余波を受けなくて良かったなと、心から安堵しきっていた。ピースフルな2日目を過ごせるとMy Hairを聴いていたわけだが、初日とは違う理由で、そうとはいないことになってしまう。

2日目の朝に新千歳空港で保安検査のトラブルが発生して、発着便の遅れや欠航が発生……。当日入りを予定していた出演者たちに、その余波が襲い掛かる。到着が大幅に遅れ、タイムテーブルの調整・変更が度々行われる慌ただしい状況に陥るが、『RSR』の迅速な対応で感心してしまったのは、『RSR』アプリ内のタイムテーブルがその都度都度で修正訂正されていくこと。このスピード感には驚いた。もちろん現場は悠長なことを言ってられず、むちゃくちゃ大変だったわけで……

スガ シカオ with FUYU (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=原田直樹

BOHEMIAN GARDEN・14時30分のスガ シカオ with FUYUでは、スガは5分前に楽屋に到着して、衣装に着替えることもなくて着の身着のまま飛び出していったという。EARTH TENT・15時10分のTHE BACK HORNも30分前に到着して、そんな中でもスタッフは完璧にバンドセット準備をして、何事も無かったかのような衝動的なライブをぶちかましてくれた。バンド初出場フェスが23年前の『RSR』ということもあり、そこに賭ける思いもひとしおだった。

THE BACK HORN (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

賭ける思いもひとしおという意味では、結成20周年での記念すべき『RSR』出場と意気込んでいた9mm Parabellum Bulletは無念の出演キャンセルに……。ボーカルの菅原卓郎は何とか会場には辿り着き、仲間のミュージシャンのステージに飛び入り参加したり、何かしら会場内でゲリラ的に弾き語りライブなども考えたという。だが、結成20周年での『RSR』はバンドでライブをすることに意味があると全てを諦めた。この無念な思いは彼のSNSでも長文で綴られているし、普段から取材でお世話になっている関係性から私も直接思いを聞くことができたが、本当に無念な気持ちが嫌ってくらいに伝わってきた。しかし、次がいつになるかはわからないが、この無念な思いを『RSR』でバンドとして大爆発させる前向きな気持ちへと切り替えてもいたので、その時は必ず見届けたい。

泉谷しげる (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=原田直樹

BOHEMIAN GARDEN・17時00分と予定より50分遅れて、ステージに立ったのは今回最高齢であり初出場でもある御年76歳の泉谷しげる。テレビなどでは暴れん坊キャラだが、紳士的に遅れたことを申し訳ないと詫びて、大好きな北海道に『RSR』初出場として来れた喜びと緊張すらも打ち明ける。「良くなかったら怒っていいし、良かったら「もういいよ!」と言って欲しい!」と謙虚な姿勢を示しつつ、いざライブが始まると楽器スタッフや音響スタッフに毒づきながらギターをかき鳴らして叫び歌う。本人いわく弾き語りではなくて弾き叫び! 北海道の涼しい夏とはいえ、その年齢で立ちながら弾き叫びはしんどいはずだが、全力で手を一切抜かず歌を届ける。盆踊りのリズムで楽しむ曲では、孫に近い年齢のヤングガールたちが可愛らしく盆踊りの振りで楽しんでいる姿は、兎にも角にも嬉しかった。「来年来れるかどうかわかんない年齢」と言い切り、観客の手拍子を「悪いけど手拍子止めよう! お前たちにあげた歌だ!」と大名曲「春夏秋冬」を歌った時には、ここでしか観れない生のライブだからこその良さに感動してしまった。悪状況の中、ライブは決して止まらないという生き様を見せつけられた。

スピッツ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

SUN STAGE・18時00分スピッツ。老若男女問わず会場中の観客全員が集まったとしか思えない国民的バンドの人気の実態をまざまざと見せつけられる。1曲目のイントロが鳴った瞬間、とてつもない歓声が起きる。30年前の楽曲ながら未だ全く色褪せないメロディーの素晴らしき力……。

5曲目にはカバー曲も披露。イントロが鳴った瞬間、それまでの楽曲とはちょっと違う異様な大興奮に包まれ、尋常ないくらいに老若男女全てが、特に若者たちにウケまくっていた……。当の本人たちは楽曲終わりに「ジェネリック版!」や「ここがピークだと思うんですけど!」と自虐ジョークを飛ばしていたが、ラインナップの流れを考えて、観客を驚かせ楽しませる……それも35年以上のキャリアを持つベテランが今の若者たちに大人気のミュージシャンのカバーをやってのけるとは……。既に何度も書いてきている『RSR』の全ての世代の要望に応えるという理念を体現していた。天晴れとしか言い様が無い、横綱の貫禄を感じた……。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)

素晴らしきライブで打ちのめされた中、PROVOで90分遅れながらも始まったライブへと向かう。Rei+中村達也のライブはアンコールの時間帯に差し掛かっていて、The Birthdayのヒライハルキを迎えて鳴らされたのは、まだ小文字でthee michelle gun elephantと表記されていた頃の27年前の素晴らしきロックンロールナンバー「ゲット・アップ・ルーシー」。3人が出演する24時00分からのライブまで、その流れは来ないと勝手に思っていたこともあり、嬉しい不意打ちが見事に決まり、ただただ泣いてしまった……。

同じ状態の人たちは山ほどいたし、狂喜乱舞状態で押し寄せる観客に対して、スタッフが慌ててステージ前に立ち、手で制するジェスチャーを見た時、90年代後半から何度も観てきたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのフェスのワンシーンが思わずフラッシュバックしてしまった……。その後も28年前の素晴らしき渋きロックンロールナンバー「シャンデリヤ」まで聴けてしまい、たった2曲で、こんな感情になってしまうのに、果たして24時からは、どんな感情になってしまうのかと不安というより期待というより何とも言えない感情にさせてもらえた。その後もイマイアキノブ、M.J.Q(山本久土+クハラカズユキ)と24時にもまた逢える素晴らしすぎる面子が続いていく。

ズーカラデル (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下恭子

def garge・19時20分ズーカラデル、greentope・19時30分のNOT WONK 加藤によるSADFRANK Multi Channel Soundscape Design and Session 「the gel(reprise)」と地元・北海道の若手たちが続く。初日のPROVOに引き続き加藤が登場するgreentopeは、北海道の自然の匂いに包まれたチルアウト空間。フード・お酒・コーヒーから雑貨やワークショップ・ライブペインティング・ライブ・DJなどが楽しめる。大人は椅子に座りお酒を呑みながら楽しみ、子供たちはブランコといった遊具で遊んでいる。PROVOと同じ雰囲気を持ちながらも、また違う自由な場所。ここまで大型ロックフェスで自由な落ち着いた空間が点在しているのは『RSR』だけである。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=堤瑛史

SUN STAGE・21時00分の東京スカパラダイスオーケストラを待っていると、空に打ち上げ花火が上がる。色々なフェスで打ち上げ花火を観ているが、北海道という広大な土地だからなのか、どこのフェスで観る打ち上げ花火よりも壮大なスケールを感じる。どこの空よりも広いからだからなのか。いざライブが始まり、特に「DOWN BEAT STOMP」を聴くと、フェスにスカパラがやって来た!というハイな気分になれる。そして、feat.チバユウスケ名義な「iDale Dale! ~ダレ・ダレ!~」が特に何の説明もなく自然に鳴らされる。私たち世代からすれば、すぐに何かを感じるし、何にも詳しくない若者世代が聴いて、気になったら調べてみたらよい、どんな曲かを。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=堤瑛史

今年35周年を迎えて、バンドとして『RSR』最多出場記録を持つ彼らはスペシャルゲストとして、菅田将暉を呼び込む。「“NO BORDER”3部作」として、第1弾imase・第2弾SUPER EIGHTとコラボレーションしていたスカパラ。昨年、菅田将暉 x 東京スカパラダイスオーケストラ名義で「るろうの形代」をリリースもした、菅田と再びタッグを組む。まだライブでお披露目していなかったので、初御披露目となった。ゲスト出演は既に発表されていたとはいえ、観客は大盛り上がりとなり菅田がステージを去る。そして、ドラムの茂木欣一がスカパラというバンドについて端的に核心を突いた表現をする。前日に「ミュージックステーション」(テレビ朝日)に生出演をして、サンボマスターが「できっこないをやらなくちゃ」を歌っていたという話から、こう繰り出された。

「スカパラの歴史は、できっこないをやらなくちゃの連続だと思います。(スカパラにとっても僕にとっても)最初のできっこないをやらなくちゃを歌います!」

2003年に茂木が初ボーカルを担当した「銀河と迷路」へ。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=堤瑛史

終盤は、これまたスカパラと同じスーツを着たSaucy Dog・石原慎也がチューバを持って登場して「紋白蝶」を披露し、ラストナンバーは石原と共に「Paradise Has No Boader」へ。スカパラは35年間できっこないをやらなくちゃをNo Boaderでやり続けてきた。だから、未だに若手とボーダーレスで、本来ならばできっこなさそうなコラボレーションをやり続けている。その上で、さり気なく自然にチバの様な同世代の仲間たちとの絆も持ち続けている。重要なルーツは守り続けながらも、新たな若い表現と共に変化や進化を恐れずに歩み続けてきた。それは『RSR』の歩みとも重なるものがある。だからこそ、最多出場しているのだろう。まさに、ここから今年の『RSR』はルーツを守りながらも進化・変化していくラストスパートへとなっていく。

the pillows (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

怒髪天と共に『RSR』に出場し続けてくれるだけで安心感があり、かつ毎年『RSR』を焚きつけてくれる地元・北海道のthe pillows。RED STAR FIELD・22時00分。この日も「LITTLE BUSTERS」という見事にアガる1曲目から入り、テンションをアゲてくれた後、ボーカルの山中さわおは、こう言い放った。

「ロックフェスティバルだからね! どんどんロックやるよ!」

THA BLUE HERBでも感じたことだが、単なるジャンル的なことを言っているのではなく、自分たちの音楽への自尊心を確かに持って真剣に音楽を鳴らしてくれている気概が届いた。フェスティバルだから祭り騒ぎをしたって構わないのだが、明らかに我々聴く側の胸を騒がしに来てくれている。だから、ピロウズが大好きなのだ。

奥田民生 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=原田直樹

本来はBOHEMIAN GARDEN・22時30分出番であった奥田民生の弾き語り。例の騒ぎによって、22時50分出番に。民生独特の緩やかな喋り口で例の騒ぎを笑いに変え、穏やかな雰囲気を崩さないが、誰にも真似できない歌の力で「野ばら」を歌う。天気模様と恋模様が絶妙なバランスで歌われる27年前のナンバー。そのメロディーに、その言葉に、酔いしれた若者たちが牧草ロールの上に座って聴いている。街頭テレビに吸い寄せられるように集まり、プロレス中継などに夢中になっていた戦後の人々は、こんな感じだったのかなどと思ってしまった。カルチャーという言葉を我々は気軽に使うが、本当に文化として民生の歌が我々に沁みこんでいるのを実感した時間……。

特別企画という枠としては、或る意味メインイベントとも言える「WEEKEND LOVERS 2024 “with You”」。RED STAR FIELD24時。チバユウスケと中村達也が主宰として、2002年にROSSO & LOSALIOS presentsとして始まったジョイントライブ 「WEEKEND LOVERS」が、『RSR』では22年ぶり2度目の開催を迎えることに。LOSALIOSとThe Birthday (クハラカズユキ・ヒライハルキ・フジイケンジ)を中心にゲストミュージシャンを迎え、“with You”をテーマにチバユウスケが残してきた楽曲を繋いでいく……と冷静ぶって書いたものの、既にPROVOでのRei+中村達也+ヒライハルキで涙腺崩壊しているだけに、どんな気持ちになるのか全く予想つかなかった。そんな気持ちの人は多かっただろうし、良い意味での緊張感が場に漂っていた。

「WEEKEND LOVERS 2024 “with You”」 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

トップバッターは、Drop'sの中野ミホ。チバと同じ事務所の後輩であり、可愛がられていた若手。

「私の中で響く、大切な歌を歌います」

そう言って歌われたのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT「ドロップ」。

<ぶらぶらと夜になる ぶらぶらと夜をゆく じりじりと夜になる じりじりと夜をゆく>

ゆったりとしたテンポで弾き語られると、もうそれだけで胸いっぱいになる…。あぁ始まるんだなと魅入っていたら、曲終わり、中野が「WEEKEND LOVERS“with You”始まります」と語りかける。まるで開会宣言……。「WEEKEND LOVERS“with You”」始まりを告げた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

クハラと達也が登場して、ツインドラム乱れ打ち。凄すぎる……。そこにクハラとM.J.Qとして活動する山本久土が加わり、ザ・スターリン「365」へ。M.J.Qは遠藤ミチロウが始動したバンドであり、スターリンと言えば、言わずもがな遠藤ミチロウなわけで。まるで日本のロックの歴史を観ているような気分になる。そこにイマイアキノブが加わり、チバのソロプロジェクト。SNAKE ON THE BEACH「Teddy Boy」へ。歌い終わりイマイは「ありがとう! チバユウスケ!」と叫ぶ。その言葉がチバの存在をより肯定してくれて、ずっとチバが存在していると思わせてくれる。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

達也+Rei+ハルキの布陣でデジャヴな感覚に陥る「シャンデリヤ」へ。素晴らしいロックは何度だって聴きたい。ここで達也、TOKIE(Ba)、堀江博久(Key)、加藤隆志(Gt)、會田茂一(Gt)というLOSALIOSの布陣で1曲やり、チバを敬愛していたYONCEと再びイマイが加わり、ROSSO「1000のタンバリン」へ。YONCEの声がいつも以上にしゃがれて聴こえて、チバを思い出す。そう言えば、達也が途中「ここにきてミッシェルよく聴くようになっている元ブランキ―面白いでしょ?」とか「ミッシェルはしんどいです!」といちいちはさむので、その感じがクッションになっていて場が和んでいたのも忘れられない。LOSALIOSで1曲やった後は、ミッシェル「CISCO」へ。それだけでも爆裂なのにThe Birthdayの3人が加わり、より極悪なビートでぶっ飛ばす。格好良いとしか言いようがない……。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

この日初となるThe Birthdayのみになり、今年4月にリリースされたNEW EP「April」から「I SAW THE LIGHT」へ。チバの歌を歌うクハラは新鮮であるが、何の違和感もなくてThe Birthdayメンバーが歌えばThe Birthdayなんだと胸が熱くなる。そして、前日夜にステージで発表されたTHA BLUE HERBのBOSSが現れる。演奏されるのは「ハレルヤ」。3人の演奏にBOSSのフリースタイルなリリックが合わさっていくが、こちらも不思議なくらいになんの違和感もなくて、とんでもないコラボレーションの化学反応を観た……。音に言葉に魂がこもっていれば、それでいいのだ。BOSSはチバが残した歌に新たな息吹をこめてくれた。凄いものを観た……。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

再びYONCEが加わり、The Birthdayと「プレスファクトリー」へ。YONCEが去り、イマイと中野が加わり、チバとイマイが結成したMidnight Bankrobbers「OH! BABY DON'T CRY」を歌うが、やはり歌い終わりはイマイが「ありがとう! チバユウスケ!」と叫ぶ。ここで日本のロックのレジェンドの中のレジェンドであるThe Street Sliders・村越 “HARRY” 弘明が登場。ビートルズもカバーしたシュレルズ「BABY IT'S YOU」から始まり、The BirthdayがトリビュートしたTHE STREET SLIDERS「Let's go down the street」を本家が歌い、最後はまさかのミッシェル「世界の終わり」へ。一気に世界のロックヒストリーが体現された豪華な3曲。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

奥田民生が登場して、チバが元々はPUFFYに提供して、その後、The Birthdayでも歌われた「誰かが」へ。PUFFYを最初にプロデュースした民生が歌うというだけで、もうクラクラしてしまう。先程、緩やかに穏やかに弾き語っていた民生とは思えないくらいの凄い雄叫びが凄い気迫でぶちかまされる。ずっと凄い時間が続いているのだが、この曲に関してはロックの神様が憑いたような驚くべき破壊力だった。そんな凄い状態の中でも少し民生が微笑んだ瞬間があって、あぁ本当にとんでもないものを観ているのだなと踊り狂いながらも涙が浮かんできた……。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

別人かのように穏やかな緩やかな語り口へと戻り、民生「俺が紹介するの?」と斉藤和義を呼び込む。チバと10年くらい前に一緒に作った楽曲「恋のサングラス」を斉藤と民生がふたりきりで歌う。そして民生は去り、達也と堀江が戻ってきて、斉藤と達也によるMANNISH BOYS「猿の惑星」へ。「WEEKEND LOVERS'13」と題して、The BirthdayとMANNISH BOYSが組んだ対バンツアーを行なったのも、もう11年も前のこと。そんな深い中の斉藤とチバだが、斉藤は、この日の昼間、札幌をひとりぶらぶら歩き、何気に服屋に入り、シャツを買ったという。すると、その店は偶然にもチバがよく行っていた服屋だったとのこと……。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

「今日、その辺にいる気がします」

斉藤の言葉は、あの世とかこの世とか難しいことはわからないが、それぞれの心の中にチバは存在し続けていたら、それでいいじゃないかと思わせてくれて、昨年末から喪失感しかなかった気持ちを軽くしてくれた。そんなタイミングでイマイとハルキも加わり、「涙がこぼれそう」へ。こぼれそうどころか、涙はこぼれるしかなかったが、心がとても清められた……。

そして、ラストナンバーは「WEEKEND LOVERS'13」の時に、チバから「テーマ曲作ろうや!」と声を掛けられて一緒に作った楽曲「WEEKEND LOVERS」をReiと共に。斉藤だけでなく、The Birthdayの全員も歌い、Reiも歌う。最後、斎藤とReiが向かい合いギターを弾き合う。時間としては長いはずの本編はあっという間のタイム感で26時31分に終わる。

アンコール。The Birthdayの3人が現れて、クハラが「最後3人で1曲やらせて下さい」とEP「April」に収録された「サイダー」へ。ハルキが歌う。クハラもフジイもハルキもチバの歌に導かれるように、この日歌っていたが、その純粋な歌声は何とも言えなかった……。The Birthdayはずっと存在し続けているのだ。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞

最後はThe Birthday「ローリン」をオールキャストで歌う。歌い終わり、スクリーンに「WEEKEND LOVERS 2024 “with You”」サングラス姿のチバが両手を広げたメインビジュアルが映し出される。チバのソロプロジェクト・SNAKE ON THE BEACH「~Wild Children」が場内に鳴り響く。ふとステージを観ると照明により幾つかの光が本来はチバが立つべきステージのセンターを射している。そして終わりを待っていたかのように、小雨が軽く降り出す……。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

<HAPPY BIRTHDAY TO YOU>

歌の中でチバが歌う。チバは僕らの心の中で生き続けている。去年末から受け入れられなかった何かがようやく浄化された。その後もチバの歌が2曲ほど流されて、時計を見るとちょうど27時くらいだった。約3時間に渡るチバとの時間が本当に終わった。25年前『RSR』初年度はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとBLANKEY JET CITYが軸になって開催されたと言っても過言ではない。その伝説は永遠に伝え説かれていく。この時点では上手く言語化ができなかったが、どこか良い意味で一区切りがついて、次の歴史へと進んでいく……、そんな思いが漠然とあった。そんな思いは朝が来る頃に言語化されるとは思ってもいなかった。

28時00分・SUN STAGE。クリープハイプと共に夜から朝を迎える。30分前にはリハも終わっていたが、ステージから遠くで尾崎世界観の歌声と演奏を聴いていたものの、大トリに良い意味で捉われない飾らない雰囲気は感じ取れて、こちらの気持ちも落ち着いた状態になれていた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人


「特別な夜も終わりかけてたけど、ギリギリ間に合ったから、とっておきの危ないヤバイ夜遊びをしましょう」

「今日は大トリだから特別に危険日でも遊んであげる」

「キケンナアソビ」から始まったが、自然な感じでクリープの、尾崎の物語に惹きこまれていく。続く長谷川カオナシが歌う「火まつり」が終わる頃には空が白み始めている。尾崎も「最高の景色……。初めて観た、こんなの……」と感激していたが、喜びの感情を落ち着いて噛みしめていた。

「身も蓋もない水槽」「社会の窓」「社会の窓と同じ構成」とソリッドな歌が畳み込まれて、「HE IS MINE」へとなだれ込む。

「今まで朝帰りはひとりかふたりかでするもんだったけど、数万人でするのが楽しみだったし、今すごく楽しいです」

尾崎の顔は穏やかで、穏やかな声で「だいぶ明るくなったけど、まだ夜だからむちゃくちゃデカいのお願いします」と観客に語り掛ける。まぁ、こんなデカい声で聴いたことがない数万人の「セックスしよう!」と北海道の大地に轟く。

クリープハイプ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

飛行機の遅れに尾崎たちも巻き込まれ、4時間も羽田空港で待ち、「やれないかもと思ったら、やりたくなって、ライジングのトリが大事なものと再確認しました」と素直な気持ちを打ち明ける。空港でのトラブルのせいを「バンドの力で何とか夏のせいにしたいと思います」と「ラブホテル」へ。

「オレンジ」では照明のオレンジの光が日の出を想像させ、28時30分を過ぎて、すっかり明るくなった頃に、子供時代からどうして夜が来て朝になるかが不思議だったと語り、いつかその瞬間を観たいと思っていて、今日やっと観れたと話す。その言葉の力も踏まえた上で、より言葉の力を感じる「ナイトオンザプラネット」が歌われて、もう魅了されるしかなかった。「イト」からのラストナンバー「栞」が歌われる前に尾崎は語り出した。そこには「WEEKEND LOVERS 2024 “with You”」で感じた伝説への漠然とした思いの答えが知らず知らずの内に待っていた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

1984年生まれの尾崎は、『RSR』を高校生の時に音楽雑誌で知ったという。北海道に行ったこともなくて、凄い不思議な世界と感じて、自分もバンドを始めたら、そんな奇跡みたいな瞬間が続くと夢見るも、現実は全然上手くいかない。何となく続けてきて嫌なこともあったが、たまに良いこともあるから辞められなくて、遂に音楽雑誌で未知の世界だと思っていた『RSR』にも出られたという。def garge→EARTH TENT→SUN STAGEと順調に進むが、初めてのSUN STAGEが駄目だったと正直に明かす。それでも観客は奇跡が起きたみたいな顔をしてくれる時もあるから救われたものの、だからこそ伝説のライブが出来なくても普段と地続きのライブができたら良いと思えたという。

「ずっと当たり前に続いて、家にもついていくような。ポケットにちょっと入ってるような、洗濯したら出てくるような。そんなライブをしていきたいし、そんなバンドをトリに呼んでくれてありがとうございます」

「音楽雑誌でみたバンドも世代や時代が変わっていて、でも、このフェスは続いていくので……みなさんと一緒に歳を取っていけたら」

尾崎は、伝説のライブはできなくても、普段の生活と地続きのライブができたら良いという新たな価値観を、少年時代から25年かけて探し当てたのだろう。そして、その価値観は今後ニューノーマルとしてスタンダードになっていくはずだ。「WEEKEND LOVERS 2024 “with You”」で漠然と感じた次なる歴史へ進んでいく道のりの輪郭がくっきりと感じられた。

(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人

1999年初年度から今年で丸25年が経ち25周年、来年は25回目を迎える『RSR』にとって、今後の鍵を握る最重要な年度へと導いた尾崎世界観。現体制で15周年を迎えるクリープハイプも年内にはアルバムをリリースして、15周年にちなみ15曲収録されるという。そのニューアルバムを引っ提げて、2025年以降どんな躍進を更に遂げてくれるか楽しみでならない。

音楽シーンの歴史の変わり目もあり、天候や交通のトラブルも起きた今年の『RSR』だったが、一切湿っぽくならず、日常と地続きな上で、いつも以上にロマンチックな2日間を迎えられた。

「家に帰るまでが『ライジングサン』!」

初年度から言われ続けている魔法の言葉を心に秘めて、2025年8月15日(金)・16日(土)に開催される25回目の『RISING SUN ROCK FESTIVAL』を心待ちにしたい。

撮影=SPICE編集部(大西健斗)

取材・文=鈴木淳史 
ライブ写真=オフィシャル提供、一部会場写真=SPICE編集部(大西健斗)撮影

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