アカデミー賞有力作『ブルータリスト』AI使用で物議 ─ 発音の修正に使用、「授賞にふさわしくない」と批判も
アカデミー賞の有力候補と目される話題作『ブルータリスト』をめぐり、とある議論が勃発している。映画の制作過程で、演技やデザインにAIが使用されていたことが明らかになったのだ。
本作は第二次世界大戦下にホロコーストを生き延びてアメリカへ渡った、ハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トートの半生を描く壮大な人間ドラマ。第82回ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)・監督賞・主演男優賞(ドラマ部門)の3冠に輝き、トート役のエイドリアン・ブロディ、妻エルジェーベト役のフェリシティ・ジョーンズによる演技には高い評価が寄せられている。
物議の発端は、本作の編集を担当したダーヴィド・ヤンチョーが、米Red Shark Newsにて、ブロディ&ジョーンズによるハンガリー語のセリフにはAIが使用されていると明かしたことだった。採用されたのは、ウクライナ発の音声生成・合成ソフトウェア「Respeecher」。過去には(2019-)で若いころのマーク・ハミルの声を再現するなど、すでに複数のプロジェクトで実用化されている。
自身がハンガリー語話者であるヤンチョーは、「ハンガリー語は発音が最も難しい言語のひとつ。ハンガリー系のエイドリアン・ブロディにも簡単ではない、非常に独特な言語です」と説明する。ブロディ&ジョーンズは発音の特訓に取り組んだが、製作陣は「地元の人にも違いがわからないほど完璧なものにしたかった」という。
© DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. © Universal Pictures
当初、製作陣はブロディ&ジョーンズのアフレコでハンガリー語を完全に再現しようとしたが、これは実現できず、別人による吹替もうまくいかなかった。そこで採用されたのがRespeecherで、ブロディ&ジョーンズは自らの声をソフトウェアに入力する録音作業にも参加。ハンガリー語のニュアンスをより正確に再現するため、ヤンチョーも自分の声を吹き込んだという。
「ハンガリー語のセリフには、私がしゃべっている部分もたくさん含まれています。2人の演技を維持することを強く心がけました。(作業は)文字単位の置き換えが中心です。Pro Toolsを使って自力でやることもできましたが、ハンガリー語のセリフが非常に多かったので、作業をスピードアップする必要がありました。そうしなければ、今でもポストプロダクションが続いていたと思います。」
もっとも、俳優のセリフにAIを使用したことは主にSNSで大きな物議を醸した。「AIによって編集・合成された演技や、AIが使用された映画に賞を与えるべきではない」という主張や、映画製作におけるAIの導入を無条件に否定する声がとりわけ目立っている。2023年の全米映画俳優組合のストライキで、AIの使用が争点になったことも影響を及ぼしているようだ。
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この騒動を受け、監督のブラディ・コーベットはし、「エイドリアンとフェリシティの演技は完全に彼ら自身のもの」だと明言。2人が専門家のレッスンを受けていたことに加え、「Respeecherはハンガリー語のセリフを編集する際、特定の音を正確にするため使用されました。他言語の演技でリアリティを保つことが目的で、英語に変更は施しておらず、言葉を置き換えたり、変更したりもしていません。最大限の敬意を払って作業は行われました」と説明した。
Red Shark Newsは映画のラストシーンにも言及し、主人公のトートが設計した建物や建築図面にも生成AIが使用されていると記したが、コルベアは「建物の創造やレンダリングにAIは使用していません。すべてはアーティストによる手描きです」と否定。「正確に言えば、背景に映っているビデオの映像では、1980年ごろのような稚拙なデジタルレンダリングを編集チームが意図的にデザインしました」と説明した。
映画製作におけるAIの導入は試行錯誤が繰り返されており、2023年のストライキでは、AIによって俳優の仕事が奪われかねないという労働の問題が争点となった。しかし本作の場合、ブロディとジョーンズはAIによる合成を前提として作業にも参加しているほか、別の俳優で吹き替えるという選択肢も模索されている。
演技の面でいえば、SNS上の議論でも指摘されているように、“セリフの発音の修正は、演技全体の質にそれほど大きな影響を与えているのか?”という論点がある。その一方、映画賞のレベルでは、AIを一切使用しない演技と同じ条件で比較するのはアンフェアだという見方もあるだろう。しかし、“演技に編集が加わっているのだから……”という見方なら、そもそも映像作品において編集が一切加わっていない演技などありえない。
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同じインタビューのなかで、編集のヤンチョーは「映画業界でAIについて語ると物議を醸しますが、そうあるべきではありません。AIで何ができるのかをオープンに議論すべきです」と強調。「かつてないものをAIで実現した箇所はありません。作業を高速化したり、予算や時間の都合で撮影できなかった細部を作ったりするためにAIを使用しただけです」と付け加えた。
AI技術が分野や業界を問わずに取り入れられているなか、映画界だけがその流れに乗らないことは難しい。今後の技術的革新とそのメリットを考慮するならば、AIをアレルギー的に忌避するのではなく、むしろ現実的な落としどころを探るべきだろう。労働の問題を別にすれば、これは“AIによって生み出された芸術性や創造性をいかに評価するか”という、きわめてシンプルだが難しい問いなのだ。
監督のコルベアは、「『ブルータリスト』は人間の複雑さを描いた映画であり、どの側面も人間の努力と創造性、共同作業によって生み出されました。我々のチームと、私たちの一同がこの作品で成し遂げたことを心から誇りに思っています」と記している。
映画『ブルータリスト』は、2025年2月21日(金)公開。まずは自分の目と耳で触れてみては。
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