【コラム】「高額馬券を買ってこそ競馬ガチ勢」って思い始めたら人生が破滅する
「ウマ娘 プリティダービー」の大ヒット、世界最強馬イクイノックスの誕生、女性騎手の活躍などで一気に競馬ファンが増えたこの頃。
血のドラマであり、人馬一体となったスポーツであると同時に、競馬はギャンブルである。こうしたブームを機に実際に応援する馬の馬券を買った人もいるだろう。
そうしたビギナーファン相手に「少額の馬券を買ってもガチの競馬ファンとは言えない」などとマウントを取る古参ファンがいるという……!
なんと愚かな意見だ!
・推し活と競馬の悪魔的相性
推し活って現場に毎回足を運ぶとか、グッズをコンプリートするとか、何枚もCDを買うとか「推しにたくさんお金を使うほうが偉い」みたいな価値観になりがちな側面がある。
それと、応援している馬の馬券を買う競馬っていうのは、悪魔的な相性がある。
しかも、応援していた馬が勝てば勝利の喜びと同時に、高額の払い戻し金が手に入るのである。
勝つか負けるかのスリルもあって、恐ろしいほど脳内からアドレナリンがドバドバ出まくる。
では、負けたらどうなるか。ハズレ馬券1枚……いや、ネットで購入したら馬券さえも手元にないのでマジで「無」どころか「マイナス」になるのである。
他の推し活ならば、かけたお金の分コンサートで推しの姿が拝めるとか、握手ができるとか、グループ内の推しの順位が上がるとかのメリットがある。
しかし、競馬で推し馬に大金を賭けたとて、儲かるのはJRAと農林水産省(もしくはNAR)であり、推しの馬が美味しい人参を食べられるとかはない。
・負けを取り返したくなったらドツボにハマる
かくいう私も、競馬を始めたばかりの頃は馬券を買いまくっていた。
勝ち目が低いにも関わらず応援している馬の応援馬券を「1万円分」など身の丈に合わない金額買って、負ける。
レース中はアドレナリンが出ているが、応援のために買ったんだと思っていても、負けたあとは「大金を失った」という後悔が押し寄せる。
その次にやってくるのは「負けた分を取り返したい」という気持ちだ。一番厄介なのはこの感情だと思う。
「負けた分を取り返す」ために、なんだか分からないレースを買う。買い目が狂ってくると同時に、賭ける金額も大きくなるというドツボにハマっていくのだ。
できれば大穴を当てて取り返したいから、勝ちそうにもない馬券を買ってはずす。あるいは単勝2倍くらいの馬券に大金をかけて取り返そうとする。
「当たれば返せる」と思って家賃や公共料金の支払いなど、手を付けてはいけないお金を使ってしまったら転落の始まり。
こうなると予想もへったくれもなく、もう全然楽しくない。さらに負けがこむと「なんでこんなことしたんだろう」と自己嫌悪に陥る。
今では負けても取り返したくならず「予想してレースを見て楽しかったなあ」と思える金額(自分は1日1000円ちょいくらい)しか使わないようになった。
・SNSの魔力
さらに、SNSで高額馬券をアップしはじめると恐ろしいことになる。
自己顕示欲と馬券の相性も最悪。ネタのつもりや目立ちたくて、高額馬券を買ってアップすると、人生完全にローリング・ストーン。
あるいは他の人が高額馬券の画像や、高額の払い戻しをアップしてるのを見て「よし自分も勝負しよう」なんて、間違っても思わないほうが吉である。
そんなのは粗品に任せておけばいいのだ……!
・破滅と背中合わせ
私が競馬を始めた頃に読んだ競馬ブログに衝撃的な話が載っていた。
その人は競馬に大金をつぎ込み、ついには会社の金に1000万ほど手を付けてしまったという。──つまり横領である。
競馬で人生が少しずつ壊れ、転落する様がブログにはスリリングに描かれていて、ゾッとした。
そのブロガーが書いていた「競馬はギャンブルというにはあまりにもドラマティックすぎる」という言葉が未だに忘れられない。
もちろんこの世には、カイジみたいにヒリヒリしたスリルを楽しめる勝負師もいるだろうが、それを真似する必要はない。
昔からの格言だが「競馬に “絶対” はない」。
単勝1倍台の人気馬が飛んだ有馬記念や宝塚記念のあとに電車が人身事故で止まったのは1度や2度ではない。
競馬は血のドラマ。応援していた馬の兄弟や子どもが走ってレースを勝ったり……と、うまく付き合えば長く楽しめる趣味である。
趣味として長く続けるならば、大金は賭けないほうがいい……というのが私の持論である。
「少額馬券は競馬ファンじゃない」なんて意見は無視して、自分が楽しめる範囲で楽しみましょう……!
参考リンク:JRA(ギャンブル障害とは)
執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.