モダニズムと日本の美の共通項を見いだした茶室研究の第一人者、建築家・堀口捨己の回顧展が開幕
湯島の「国立近現代建築資料館」で、企画展「建築家・堀口捨己の探求 モダニズム・利休・庭園・和歌」が開幕した。
近代日本を代表する建築家の一人である堀口捨己(ほりぐち・すてみ、1895~1984年)は、日本国内で最初の本格的な近代建築運動「分離派建築会」結成時に中心となり、近代建築を日本へ導入した人物。その一方で、伝統的な数寄屋建築や茶室の研究などでも功績を残し、歌人としても知られた。本展は、数多くのオリジナル図面や初公開の資料群から、堀口の生涯にわたる活動を紹介する初めての回顧展だ。
欧州各国で近代建築を視察、「紫烟荘」など代表作の設計につながる
時系列に沿って4つのテーマで展開する本展の冒頭では、1920年に結成した「分離派建築会」に関する貴重な写真や紙資料、欧州各国で近代建築を視察した旅についてなど、1920年代の出来事を中心に紹介する。
特に、1年近くにわたってオランダ、ベルギー、ドイツ、チェコなどを巡った欧州への旅は、堀口の建築デザインにおいて大きな転機となった。公共施設だけではなく、市民が暮らす一般的な住居や集合住宅にも優れたデザインの建築物が多いことが印象に残ったという。
帰国後の1924年、オランダ表現主義を中心とする近代建築についてまとめた書籍『現代オランダ建築』を出版しているが、本展では、書籍に掲載された貴重な写真などの資料も多数を展示する。また、アムステルダムの博物館「ミュージアム ヘット シップ(Museum Het Schip)」が制作した、堀口の紹介映像なども上映されている。
1930年代の堀口は、建築と庭園のデザインを一体的に融合させた個人住宅の設計を手がけるようになる。さらに1950年代にかけては、近代建築運動の主流となった白い箱型で非装飾・非対称性、機能性を重視する「国際様式(インターナショナル・スタイル)」を実践した建築も数多く実現させた。
残念ながら当時の建築物は、オランダの建築を取り込んだ代表作「紫烟荘(しえんそう)」も含めほとんど現存していないが、本展では、オリジナルの設計図面や当時の写真などを通して知ることができる。
堀口が実測調査した茶室を原寸で再現展示
国際様式の建築を実践していた1930年代後半から1950年代にかけては、堀口が数寄屋建築や茶室の研究に並行して取り組んだ時期とも重なる。茶の湯を「生活構成の芸術」と評し、茶室と露地、道具や床の間、茶を喫する人々の所作などが調和して生まれる美に大きな関心を寄せ、やがて茶室研究の第一人者となっていく。
欧米の近代に学ぶ風潮が全盛だった当時、アシンメトリーや不完全な状態、素材や自然の中に美を見いだす日本文化や日本的なものと、西洋文化やモダニズム建築に、通底する要素を見出そうと模索を続けた堀口の姿勢は、特筆すべきものだろう。
物資統制や建築に関わる制限が深刻化した太平洋戦争中は、設計活動もままならず、茶の湯や茶室研究にますます傾倒する。織田信長の弟、織田有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵(じょあん)」や、千利休が手がけたとされる国宝の茶室「待庵(たいあん)」など、著名な茶室や茶庭の数々を実測調査し、貴重な研究成果を数多く著した。
本展のロビーでは、堀口が監修した全12巻もの書籍『茶室おこし絵図集』に記された「後藤勘兵衛茶室 (現・太閤山荘 擁翠亭)」の図から原寸に拡大された模型が展示されている。
茶室の出入り口に当たる躙口(にじりぐち)や勝手口から、内部に入って見学や撮影も可能だ。解説映像とともに、堀口が隅々まで調査した様子が手に取るように分かる展示である。
数少ない現存する堀口建築も訪れたい
本展で資料が展示されている建築の多くは現存しないが、戦後に手がけた作品の中には、現在でも利用されている施設がいくつかあるので、最後に紹介したい。
愛知県名古屋市郊外にある「八勝館 八事店(はっしょうかん やごとみせ)」は、現在も営業している料亭だ。同じく愛知県の常滑市「とこなめ陶の森」の敷地内にある「陶芸研究所」は、2023年8月に国の登録有形文化財に指定されている。
また、「佐賀県立佐賀城公園」内にある茶室「清恵庵(せいけいあん)」は、堀口が手がけた茶室建築で唯一、誰でも無料で中に入ることができる(事前予約制)。そして最晩年に監修者として携わったのが、静岡県熱海市の「MOA美術館」に復元された「黄金の茶室」。豊臣秀吉が千利休に命じて作らせたとされるものだ。
企画展「建築家・堀口捨己の探求 モダニズム・利休・庭園・和歌」は、国立近現代建築資料館で2024年10月27日(日)まで開催される(会期中、一部展示替えを予定)。本展を巡った後はぜひ、堀口建築の数々を現地で実際に体感してみてほしい。