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#2 亡命のチャンスを捨てて収容所へ――諸富祥彦さんが読む、フランクル『夜と霧』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#2 亡命のチャンスを捨てて収容所へ――諸富祥彦さんが読む、フランクル『夜と霧』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

諸富祥彦さんによる、フランクル『夜と霧』の読み解き

“何か”があなたを待っている。 “誰か”があなたを待っている。

ナチスによるホロコーストを経験した心理学者フランクル。彼は強制収容所という過酷な状況に置かれた人間の様子を克明に記録し、「人間とは何か」という普遍の問いにひとつの答えを見出そうとしました。

『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』では、人は何に絶望し希望するのかについて、そして時として容赦なく突きつけられる“運命”との向き合い方について、諸富祥彦さんの解説で探っていきます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第2回/全4回)

第1回はこちら

『夜と霧』とは

 『夜と霧』の原題は、「強制収容所におけるある心理学者の体験」です。オーストリア・ウィーン在住の精神科医であったヴィクトール・エミール・フランクルがただ「ユダヤ人である」というだけの理由でナチスにとらえられ、過酷な強制収容所生活を余儀なくされた経験をつづったものです。

 強制収容所という極限状態に置かれると、人間の精神はどのように変化し、どのような行動をとるようになるのか、また、そうした状況の中で人は何に絶望し、何に希望を見出すのかがリアルな筆致で描き出されています。

 日本語版のタイトルとして親しまれている「夜と霧」という言葉は、一九四一年に始まったアドルフ・ヒトラーの特別命令に由来しています。

 この年、ヒトラーは、非ドイツ国民で党と国家に対して反逆の疑いのある者は── 実際には反逆の疑いがまったくなくても── 、家族まるごと捕縛して収容所に拘禁せよという命令を出しました。この恐るべき特別命令は夜陰に乗じ、霧に紛れて秘密裏に実行され、ユダヤ人の一家が一夜にして〝神隠し〟のように消え失せるという事件が各地で相次ぎました。ゆえに、通称「夜と霧」命令と呼ばれたのです。

 この言葉はナチズムの悪夢を端的に象徴するものとして長く人々の口の端にのぼり、アラン・レネ監督による映画「夜と霧」のタイトルにもなりました。そうしたことから、この本の日本語訳が刊行された時も、この言葉が書名に使われることになったのでしょう。

 強制収容所での生活は、この世の地獄といえるほど過酷をきわめました。戦争というのはそういうものだと言ってしまえばそれまでですが、人間の権利を奪い、尊厳を踏みにじり、命をないがしろにする行為の数々が、何年にもわたって続けられました。フランクルは終戦後、『夜と霧』をわずか九日間で書き上げています。それはおそらく、フランクルの中にあった、この悲劇を風化させてはいけない、経験者としてぜひ書き残しておかねばならないという使命感にかられてのものでしょう。『夜と霧』は、収容所を実際に体験した人間がみずからの体験をその内側から見た貴重なドキュメンタリーなのです。

 しかし、フランクルがこの本でもっとも伝えたかったことは、そうしたジャーナリスティックなことではありません。彼がもっとも描きたかったのは、人間以下の牛馬のような扱いを受け、明日の命の保証もない捕虜たちの中に、それでもなお何ものにも冒されない、一種の崇高さすら持った精神が息づいていたということでしょう。自分も飢えているのに、別のもっと飢えた人に自分のパンを与えた人もいました。過酷な状況にあっても、夕日の美しさに感動する心を忘れない人がいたのです。

 フランクルは、収容所での重く苦しい体験の中でも、人間というものへの絶対的な信頼を失わずにいました。人間へのそうしたまなざしは、収容所に入れられた後も、解放された後も変わりませんでした。「人間精神への絶対的な信頼のまなざし」が、フランクルの思想全般に貫かれているのは、そのためです。

 だからでしょうか、この本は強制収容所の陰惨な状況を描いていながらも、その読後感には一抹の清涼感のようなものが漂います。同じように収容所に入れられた精神科医がいても、フランクル以外の人には、この本は書けなかったと思います。

 この本は一九四七年の発刊以来、世界中で読み継がれ、日本では一九五六年に初版が発行されました。アメリカでは一九九一年に「私の人生にもっとも影響を与えた本」のベスト10に入りました。心理学、精神医学関連の本で、ベスト10入りしたのは、この本のみです。エンターテインメントでも小説でもないこのような本が国民の愛読書の上位に食い込むのは異例のことではないでしょうか。この本が、時も人種も超えて読まれ続けてきた名著であることがわかります。

亡命のチャンスを捨てて収容所へ

 精神科医ヴィクトール・E・フランクルに魔の手が伸び、人生最悪の日々が始まった、その前後の出来事からお話しすることにしましょう。

 それは一九四一年のある朝、ナチス当局から通達が来て、軍司令部に出頭するよう命じられたことから始まりました。この時フランクルは三十六歳。ナチスの「ユダヤ人狩り」は、一九三九年の第二次大戦勃発に先立つ一九三三年頃からドイツ周辺でひそかに、しかし着実に進行しており、宣戦布告時、ドイツ国内には六つの強制収容所がありました。

 これに加えて、その後二年ほどの間に、ポーランド、オーストリアなどの占領国内に新たな収容所が次々と増設されていきました。たしかな数字はいまだに把握されていませんが、戦争が行われていた間に、これらの収容所に少なく見積もっても千二百万人の男女や子供が連れてこられ、そのうちの八百万人が死亡したといわれています。

 収容所の内部で行われていることについては、実態が外部に漏れないようにかなり周到な措置がとられていたので、大部分は秘密のヴェールに覆われていました。

 しかし、噂は少しずつ漏れ、ユダヤ人たちはささやかれていることがいつわが身に降りかかるかと息をひそめていました。それはフランクルも同じでしたから、出頭を命じられるや、ついに来たか── と、覚悟を決めたのです。

 フランクルはその四年前にウィーンの精神病院勤務から独立し、精神科の個人病院を始めたばかりでした。ちょうど仕事も軌道に乗ってきたところでしたから、どんなにか無念だったと思います。

 ところが、思いがけない執行猶予がフランクルに与えられました。接見したゲシュタポに神経症や恐怖症についての説明をしているうちに、興味を持たれ、個人的な悩み相談のような雰囲気になっていったのです。数時間にわたって行われたその〝カウンセリング〟が功を奏したのでしょう、収容所への抑留は一年間延期されたのです。

 

 フランクルはゲシュタポの管理下に置かれていたウィーンのユダヤ人病院の精神科に勤務することになりました。

 こうして時間の余裕を得たフランクルは、遠からず来る〝その日〟までに、自分が積み上げてきた事例とそれをもとにした新たな理論をまとめ、世に問いたいと考え、すぐさま執筆に取りかかりました。いったん収容所に入れられたら、この世とはお別れかもしれません。自分が生きた証をどうしても残したいと思ったのです。

 しかし、翌一九四二年九月頃、原稿が完成する前に、〝その日〟は来てしまいました。

 この未完の原稿が、戦後フランクルのデビュー作として世に出ることになる『医師による魂の癒し』(邦題『死と愛─実存分析入門』霜山徳爾訳、みすず書房)です。

 じつは、その少し前に、フランクルには収容所行きを逃れるチャンスがありました。あるつてによって、アメリカに亡命できるビザを手に入れたのです。しかしフランクルは、そのせっかくのチャンスを見送ることにしました。

 ビザを使って自分ひとり海外に逃れて、愛する両親や妻を祖国に置き去りにしていくことはできないと考えたのです。

 亡命して生き延びて、自分の使命である本を出版すべきではないか── 。迷った挙句に目に入ってきたのは、家族とのつながりに重きを置くユダヤ教の教えでした。敬虔なユダヤ教徒であったフランクルは、その教えに従い、家族と共にウィーンにとどまる決意を固め、ビザをみすみす期限切れにしたのでした。

 とらえられたフランクルと両親、そして結婚してまだ九か月の妻は、チェコスロバキア(当時)のテレージエンシュタット収容所に送られました。父親はフランクルと所内でときどき顔を合わせることもありましたが、まもなく餓死します。

 テレージエンシュタット収容所で二年を過ごしたのち、フランクルは悪名高きアウシュヴィッツへ送られることになりました。妻は弾薬製造に必要な雲母工場で働いていたため、アウシュヴィッツへの移送は免除されていましたが、フランクルに同行することを決意します。

 一九四四年十月に夫婦は貨物列車でアウシュヴィッツへ移送されました。ここで夫婦は分けられ、フランクルはアウシュヴィッツには三泊しただけで、別の収容所へ移されます。一方、その時離ればなれにされた妻は、ベルゲン=ベルゼン収容所で殺されました。母親と兄もすでにアウシュヴィッツ収容所で亡くなっていました。こうしてフランクルは一人の妹を除く大切な家族を全員、収容所で失ったのです。

 『夜と霧』は、フランクルのアウシュヴィッツ到着から終戦による解放に至るまでの約半年間の収容経験をつづったものです。

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著者

諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)
明治大学文学部教授。教育学博士。臨床心理士。時代の精神と闘うカウンセラー。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事など幅広く活躍。フランクル関連の著書に『「夜と霧」ビクトール・フランクルの言葉』(コスモス・ライブラリー)、『どんな時も、人生には意味がある。── フランクル心理学のメッセージ』(PHP文庫)、『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)、近刊に『悩みぬく意味』(幻冬舎)、監訳書にV.E.フランクル『〈生きる意味〉を求めて』(春秋社)などがある。
http://morotomi.net/
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス フランクル 夜と霧」(諸富祥彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『夜と霧』引用部分はV・E・フランクル著、霜山徳爾訳『夜と霧── ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)を底本としています。ふりがなは、すべて編集部で付しました。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年8月と2013年3月に放送された「フランクル 夜と霧」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに姜尚中氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。

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