私がドッグランの芝生化を頑張る理由【穴澤賢の犬のはなし】
先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで感じた何気ないことを語ります。
少し前に書いた通り、『山でのんびり暮らすは幻想』である。だから休日の度に肉体労働をしている。今はドッグランの芝生の育成にも励んでいる。思えば、ここまでには長い道のりがあった。
憧れのドッグランづくり
まず2017年、山の中古物件を手に入れたとき、真っ先にやったのがプライベートドッグランを作ることだった。300坪も敷地があるなら、ドッグランを作るしかないと思ったからだ。都会ではまずあり得ないことだが、だいたい山の別荘地は一区画が狭くても150坪、多くは300坪くらいとなっている。
それだけの敷地を雑草生え放題状態にするのはもったいない。犬飼いなら、誰もが憧れるプライベートドッグランに向け、草刈りから柵の設置まで頑張ってなんとか完成した。最初はむき出しの土だったが、雨が降る度、大福の足やおなかがドロドロになる。
そこで一面にウッドチップを敷き詰めることにした(この間に台風による倒木で危ない木の伐採とドッグランの拡張があるが割愛)。これが結構大変で、当初は伐採した木の一部をウッドチップにしてもらって撒けばいいと思っていたが、全然足りず、トラック一杯いくらで買い足し、それを大きな袋に入れて両肩に担いで何往復もして、どうにかドッグランに敷き詰めてみた。
ドッグラン芝生化への道と、その理由
これで完成だと思っていたが、ウッドチップはどんどん分解されて1年ほどでほぼ土になってしまうことを知った。最初はまたウッドチップを追加していたが、これでは永遠に終わらないと、芝生化に切り替えた。
そこでホームセンタ―で切り売りしている芝を150枚くらい買って敷いてみたが、全然足りず、全部をカバーしようと思うとえらい出費になるので、他は種を蒔いて育てることにしたのだ。それが2023年5月頃のことだ。
一生懸命種を蒔いて、肥料を撒いて、水をやっていたが、なかなか育ってくれない。ちらほら芽が出てきたと思っても、横に広がってくれず、隙間だらけの状態になってしまう。それではやっぱり雨が降る度足がドロドロになる。
そこで隙間を見つけては、スコップで掘り、種を蒔いて埋めていく。この作業を繰り返して、現在に至る。時にはモグラにボコボコとモグラ塚を作られ、抜いても抜いても生えてくる雑草と格闘しながら。我ながら、よくやってると思う。
けれど全面芝生化は、大福の足がドロドロにならないためという他に、もうひとつ目的がある。それは福助のためである。『インスタ』にちょくちょく動画をアップしているが、福助は芝生の上でゴロゴロするのが楽しくて仕方ないようなのだ(大吉は何が楽しいのかさっぱり分からないという目で眺めている)。
福助は土の上ではやらず、なぜか芝生と雪の上だとゴロゴロする。理由は知らないが、なんか気持ちいいのだろう。なら、どこでも好きなだけゴロゴロできるよう、全面綺麗な芝生にしてやるのが私の使命ではないか。
そんな思いで、日々ドッグランの芝生の育成をチェックして回っている。そして、種を蒔いたところから芽が出ているのを見つけると「よし」と思う。こんな54才になるとは、まったく想像していなかった。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。