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GWに観たい3時間超え映画「ゴッドファーザー PARTⅡ」全てが超A級!史上最強の続編

Re:minder

1975年04月26日 映画「ゴッドファーザー PARTⅡ」劇場公開日(日本)

ゴールデンウィークに観たい3時間超えの映画 - vol.1「ゴッドファーザー PARTⅡ」

続編がオリジナルと超えたとの声もある「ゴッドファーザー PARTⅡ」


“ゴールデンウィークに観たい3時間超えの映画” シリーズとして、今回は『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)を取り上げたい。

『ゴッドファーザー PARTⅡ』というタイトルから分かるように、これはフランシス・フォード・コッポラ監督作品『ゴッドファーザー』(1972年)の続編だ。『ゴッドファーザー』シリーズは、アメリカの作家 マリオ・プーゾの同名小説を原作とした、マフィアの抗争劇と家族の悲劇を描いたサーガである。世界的に高い評価を得た1作目は、アカデミー賞の10部門でノミネートされ、作品賞と脚色賞、主演俳優賞(マーロン・ブランド)の3部門を受賞した。また、受賞はならずも、ジェームズ・カーン、ロバート・デュヴァル、アル・パチーノと、共演した3人の俳優が助演男優賞部門にノミネートされたことは大きなトピックだった。

“ならば、『PARTⅡ』ではなく1作目を紹介するべきでは?” というご意見はもっともである。なぜ、続編を取り上げるのか? それは、この作品が “史上最高の続編” の1つに数えられる傑作だからだ。続編ながらアカデミー賞11部門でノミネートされ、作品賞をはじめ6部門で受賞。“オリジナルを超えた” との評価もある。

『夜の大捜査線』(1967年)、『パットン大戦車軍団』(1970年)、『フレンチ・コネクション』(1971年)、『スティング』(1973年)、『ロッキー』(1976年)、『羊たちの沈黙』(1991年)、『グラディエーター』(2000年)、『ロード・オブ・ザ・リング / 王の帰還』(2003年)など、続編が制作された作品賞受賞作はいくつかある。だが、連続して作品賞を得たシリーズ映画は他にない。つまり、『ゴッドファーザー』は続編が成功したことにより、さらに輝きが増し、シリーズとして映画史上に残る唯一無二の存在に昇華したのである。

そんなわけで、あえて『ゴッドファーザー PARTⅡ』の何がどう凄いかを考察することにする。観たことがない方への配慮として、誰が殺されるとか、誰が裏切るとか、そうしたストーリーに関する具体情報には触れないスタイルで挑もう。

アル・パチーノvsロバート・デ・ニーロという構図が凄い


1作目はマーロン・ブランドが主演で、アル・パチーノが2番手の役を演じた。そして『PARTⅡ』ではアル・パチーノが主演となり、マーロン・ブランドは出演せず。その代わりに、強烈な存在感を放つ新たな俳優が投入された。ロバート・デ・ニーロである。当時31歳のデ・ニーロは『タクシードライバー』(1976年)出演以前。まだ、メジャーな俳優ではなかった。一方、当時34歳だったアル・パチーノは、無名で出演した1作目の演技が評価されたことで、主演級スターに格上げとなっていた。

公開当時はそんな見方はされなかったが、2020年代に俯瞰すると『PARTⅡ』は、事実上、〈アル・パチーノ vs ロバート・デ・ニーロ〉という映画史に残る演技バトルが実現した作品なのである。それは『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年)の千葉真一と北大路欣也の対決とは毛色が大きく違う。アル・パチーノとデ・ニーロが演じる役は、劇中でシンメトリーな関係にある。人間像は異なるが、家族を愛しつつ、静かな狂気を感じさせる点は共通している。殺人に対する考え方も似ている。

アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロはともに、その後はハリウッドを代表する大物俳優へと成長する。いずれも長きにわたり第一線での活動を続け、2020年代以降も新作に出演を続けている。また2人は、『ゴッドファーザー』の50周年を記念し、フランシス・フォード・コッポラ監督とともに2021年のアカデミー賞授賞式のステージに登場。万雷のスタンディング・オベーションを浴びた。

すべてのシーンが重厚、超A級作品の品格


『ゴッドファーザー PARTⅡ』は超A級作品の佇まいがある。すべてのシーンに重厚感がある。それを生み出しているのは、監督、脚本家、撮影監督、照明スタッフ、美術スタッフ、音楽、俳優、それら全部の力なのだろう。

たとえば、終盤にある人物が湖で釣りをするシーンがある。その静かな場面は、同じ釣りを描いていても、ほのぼのとした『釣りバカ日誌』シリーズとは何から何まで異なる。湖面の揺れ方までに品格を感じさせるのだ。

また、ライティングにも注目したい。どの場面でも光と影のバランスが完璧だ。光がロバート・デ・ニーロの野心を照らし、影がアル・パチーノの葛藤を浮き彫りにする。全シーンに手抜きなし。常にベストな照明の当て方が選択されている。それがこの映画の質を大きく高めている。

群衆シーンのスケールの大きさに注目


『ゴッドファーザー PARTⅡ』は、前作の成功を背景に、より多くの予算が投入されている。 “金をかけている” 感が強烈なのが、たびたびある群衆シーンのスケールの大きさとリアルさだ。

たとえば、移民船、大規模なパーティ(複数ある)、マーケット、お祭り、連邦議会……。それぞれのシーンに出ている人の数がとてつもなく多い。1シーンに何百人もの人が画面に映る。だが、そこに “エキストラを大勢集めました〜" という感じが一切ない。一瞬しか映らない人、遠くにポツンとしか見えない人、放し飼いになっている犬や鶏さえもがリアルに役を演じている。

パーティの場面では、着飾った何百人もの参加者全員が、本当に食事と酒と会話と流れる音楽を楽しんでいるようにしか見えない。きっとテーブルの上の料理も、そのシチュエーションに見合ったものが用意されていたのだろう。マーケットの場面では、無数の人々が実際に商品を売買しているようにしか見えない。お祭りの場面は、現実のお祭り会場の片隅を借りてロバート・デ・ニーロが芝居をしているようにしか見えない。

さらに、セットも、小道具も、衣装も、ガラス窓の向こうに見える風景も一切のショボさ、チープさがない。多額の制作費がかかっている映像作品を観るのは楽しい。

続編の強みの活かし方が凄い


続編には続編の強みがある。大ヒット作ならなおさらだ。そのなかのひとつに、細かい説明を省略できることがある。登場人物のキャラクターや、シリーズの基本設定が周知されているからだ。たとえば、『スター・ウォーズ』シリーズで、“ジェダイ騎士” とはなんなのか、新作のたびに細かく語られない。『男はつらいよ』シリーズなら、その都度、タコ社長(太宰久雄)が、他人の家に勝手に入ってくる行動も観客は疑問に思わない。

『ゴッドファーザー PARTⅡ』では、登場人物を紹介するような場面やセリフは最小限に留めている。省略できる部分は省略し冗漫になることを避け、観客を序盤からグイグイと作品世界に引き込むのだ。 ときどき映画を観ていて、「ああ、このシーンは監督がどうしても入れたかったんだろうな。でも、長すぎない?」と思えることがある。これに対し、『ゴッドファーザー PARTⅡ』は、場面転換が多いもののそうした要素がない。編集に一切の無駄がない。

また、編集が凄いだけではなく交互に2つのストーリーを描くという独特の構成も注目に値する。そのバランスが絶妙だ。加えて長めの回想シーンの使い方が秀逸である。それが印象的なラストシーンにつながる。

「PARTⅡ」の続きも用意されている



前述のように、『ゴッドファーザー』シリーズはここで紹介した『PARTⅡ』の存在がデカい。『PARTⅡ』だけを観ても楽しめることは間違いナシだ。

ただ、やはり1作目から順番に観るに越したことはない。仮にまず『PARTⅡ』を先に観たとしても、1作目を観ずにはいられないだろう。そして、いずれの順番でも続けて2作品を楽しんだら、その続きが観たくなる。『ゴッドファーザー』的なものを体が求める。そうなったら、16年後の1990年に公開された『ゴッドファーザー PARTⅢ』も観ておきたい。フランシス・フォード・コッポラが監督を手掛け、アル・パチーノが主演した正当な続編だ。こちらはアカデミー賞7部門でノミネートされている。

『ゴッドファーザー』は2時間57分、『ゴッドファーザー PARTⅡ』が3時間20分、そして『ゴッドファーザー PARTⅢ』が2時間 50 分(*1)。9時間7分のなかに、長編映画の醍醐味が集約されている。そこには、映画を早送りして観る人が得られない興奮がある。

(*1)複数のバージョンあり

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