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1990年代の洋楽シーン【ミクスチャー】ビースティー・ボーイズはヒップホップなのか?

Re:minder

1994年05月31日 ビースティー・ボーイズのアルバム「イル・コミュニケーション」発売日

リレー連載【1990年代の洋楽シーン】vol.6 / ミクスチャー

1990年代、ついこの前のことのように思ってしまうのは私だけだろうか? しかし実際は30年も前の話なので、当時のポップミュージックはすでに音楽史の出来事として語られるべき対象ともいえる。こうした背景を鑑み、Re:minderでは【1990年代の洋楽シーン】と題し、代表するアーティストやその作品をシリーズで取り上げていく。

ジャンルの異種交配による新たな音楽スタイル=ミクスチャーの確立


ヒップホップの出現以降、ポップミュージックにおいて圧倒的に新しいと感じる音楽スタイルは今日まで登場していない。インディーロックの復権やグランジ、オルタナティブロックの台頭、スラッシュメタルの登場はあったものの、既存の音楽スタイルをブラッシュアップさせたもので、新たな音楽ジャンルの登場とまでは言い難い。

ポップミュージックのイノベーションが難しくなった背景には、ありとあらゆる音楽スタイルが出尽くしてしまったからと言われている。そうした状況下で複数のジャンル / 音楽スタイルを混ぜ合わせることで、新たなものを生み出そうとする動きが1980年代の後半から目立ってきた。こうした異種交配によって生み出された音楽を “ミクスチャー” と呼び、その中から面白い作品やアーティストが注目されるようになっていった。

中でもファンクとロックをミックスしたものは多く、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやフェイス・ノー・モア、フィッシュボーンなどが人気を集めている。一方で、ヒップホップとロックをミクスチャーする動きは後発だったが、その中心的役割を担ったのがビースティ・ボーイズだった。

全米チャート1位を獲得した「ライセンス・トゥ・イル」


ニューヨーク出身のビースティ・ボーイズは、もともと粗暴なパンク / ハードコアを演奏していたグループで、次第にヒップホップに移行していくようになるのだが、その移行は彼らにしてみればかなり成り行きまかせなものだったようだ。

1986年にリリースされた彼らのデビューアルバム『ライセンス・トゥ・イル』はラップのアルバムとしては初の全米チャート1位を獲得した作品となった。シングルヒットした「ファイト・フォー・ユア・ライト」はスラッシュメタルの雄=スレイヤーの演奏をバックにビースティ・ボーイズががなり立てるようにラップしており、正に悪ガキが傍若無人に暴れまくっている楽曲だ。

しかし、この時点で彼らにミクスチャーを理論的に取り入れる意識が強かったとは考えにくい。もっと単純に “ロックもヒップホップも関係ねーだろ、カッコよければ何でもやってやる” というシンプルな衝動で創作に向き合っているように感じられた。商業的に大成功したデビューアルバムだったが、正統的なヒップホップの作品として高く評価されることはなかった。その人気を支えたのは、ヒップホップ愛好家ではなく、むしろロックを好む白人の若者たちだった。

サードアルバム「チェック・ユア・ヘッド」で結実したミクスチャーの手法


ヒップホップ・シーンからの支持を獲得できなかったビースティー・ボーイズはセカンドアルバム『ボールズ・ブティック』(1989年)で本格的にヒップホップに取り組んだ。前作にあった派手にロックするスタイルは封印され、“3MC&1DJ” というスタイルで作られたが、今度はロックシーンからそっぽを向かれてしまい、デビューアルバムには到底及ばないセールスにとどまってしまう。

ヒップホップシーンにもロックシーンにも自分たちの居場所が無かったことに気が付いた彼らは、ロックもヒップホップも同時に鳴らすことに意識的に取り組み始めた。そして、この手法こそがミクスチャーそのものであり、サードアルバム『チェック・ユア・ヘッド』で結実することになる。

ファーストアルバムはヒップホップのファンから支持されず、セカンドアルバムはロックファンから支持されなかったことから彼らは自分たちが望むようなファンベースが築けずに悩んだことだろう。その打開策として、ロックもヒップホップも同時に鳴らすことに意識的に取り組み始めた。

ミクスチャーの金字塔「イル・コミュニケーション」


ハードコアパンクを演奏するラップ・グループ、はたしてそんなグループをヒップホップと呼べるのか? ますますジャンル分け不能になり、何者でもないビースティ・ボーイズという存在感を獲得した彼らは、1994年に最高傑作『イル・コミュニケーション』を発表する。

前作で確立したスタイルをさらに推し進め、彼らが面白いと感じる全ての音楽をぶち込んで作られた究極のミクスチャーである本作は、B級スパイ映画のサントラに入っていそうなモンドミュージックからハードコアパンク、もちろんヒップホップまで取り上げられた何でもありな作品だ。多岐にわたるジャンルを横断する作風は、一見とっ散らかった印象になりそうだが、ビースティ・ボーイズの音楽に向き合う挑戦的なアティテュードで統一させており、彼らのオリジナリティーを確立した作品となった。

シングルヒットの後押しもありアルバム『イル・コミュニケーション』は、デビュー作以来の全米チャート1位を獲得。ミクスチャーはもとよりヒップホップシーンやロックシーンを超えた1990年代を代表するアーティストとしての地位を獲得したのだ。

ビースティ・ボーイズは、この後も傑作アルバムを作り高い人気を誇り、日本でも『フジロックフェスティバル』や『サマー・ソニック』のヘッドライナーを務めている。しかし、2012年、メンバーのアダム・ヤウク(MCA)が47歳という若さで死去。それ以降はヤウクなしのビースティ・ボーイズは考えられないとし、グループとしての音楽活動を休止して、今日に至っている。

軸足をヒップホップに置くビースティ・ボーイズ


私個人の認識なのだが、ビースティ・ボーイズは、基本的にはヒップホップ・グループだと思う。最高傑作と称される『イル・コミュニケーション』と最初のヒット曲「ファイト・フォー・ユア・ライト」の突出したロック色の強さが目立ちがちだが、彼らの大多数の楽曲の根本はヒップホップに様々な要素をミクスチャーしていく手法が用いられているからだ。
ミクスチャーと呼ばれる大多数のアーティストは基本がロックでそこにファンクをはじめとするダンスミュージックの要素をミクスチャーしていく手法が大多数であることを考えると音楽的な軸足をヒップホップに置くビースティ・ボーイズは稀有な存在と言えるだろう。

ヒップホップもある程度の歴史を積み重ねたことにより “これがヒップホップのスタイルです" という様式美が出来上がってきた。ビースティ・ボーイズはそうした様式美に対して居心地の悪さを感じ、自らの出自であるパンク / ハードコアの要素を取り入れて、元来、ヒップホップが持っていた自由さを取り戻していくことを推し進めていったのだ。そう考えると彼らの思想やアティテュードはパンクそのものだ。

ミクスチャーというジャンル、手法は音楽的な知識や技術が極めて重要だ。しかし、それだけでは聴き手の心を動かすことはできない。やはり、そこには攻撃的なアティテュードや冒険心に富んだアイデア、ちょっとしたユーモアといった精神的な要素が必要なのではないだろうか? ビースティ・ボーイズがパンクスピリットをヒップホップにミクスチャーすることで特別な存在になり得たことは間違いないし、彼らの存在意義はそこにあったと断言したい。

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