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仁左衛門の早瀬主税と玉三郎のお蔦、玉三郎の六条御息所と染五郎の光源氏 二組の悲恋が描かれる『錦秋十月大歌舞伎』夜の部観劇レポート

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夜の部『源氏物語』(左より)六条御息所=坂東玉三郎、光源氏=市川染五郎

2024年10月2日(水)、『錦秋十月大歌舞伎』が開幕した。会場は歌舞伎座。16時30分開幕の夜の部より、片岡仁左衛門と坂東玉三郎による泉鏡花の『婦系図(おんなけいず)』、そして玉三郎と市川染五郎による『源氏物語(げんじものがたり) 六条御息所の巻』をレポートする。

一、婦系図

明治時代の終わりに書かれた泉鏡花の『婦系図』は、新派の人気作品のひとつだ。仁左衛門と玉三郎はそれぞれに新派への出演経験を持つが、『婦系図』での共演はこれが初めてとなる。名場面「湯島境内」の場の前段にあたる、「本郷薬師縁日」と「柳橋柏家」から上演。

夜の部『婦系図』(左より)早瀬主税=片岡仁左衛門、柏家小芳=中村萬壽、酒井俊蔵=坂東彌十郎 /(C)松竹

仁左衛門の主税は、一瞬拍手が遅れるほどに若々しい「青年」だった。夜の縁日で、ひょんなことからスリの万吉(中村亀鶴)を助けることになる。その後、恩師の酒井(坂東彌十郎)に連れられ「柳橋柏家」へ。その座敷で、主税は終始うつむいていた。なぜなら元芸者のお蔦と所帯を持ったことを恩師に隠していたからだ。元芸者との結婚は、若手学者としての評判に傷をつけ得るもの。それでも一緒になりたかったから、主税とお蔦は人目を忍んで暮らしていた。お蔦の芸者仲間で、酒井とも付き合いの長い小芳(中村萬壽)が止めるのも甲斐なく、酒井は「俺を棄てるか、おんなを棄てるか」と主税に迫るのだった。

具象的な舞台に、新派の舞台でおなじみの田口守、石原舞子、瀬戸摩純たちが自然に溶け込んでいた。彌十郎の酒井は私利私欲のなさ、ブレのなさに、パワハラとは別物の、自ら育ててきた主税への責任感を想像させる。萬壽の小芳は作品の背景にある花柳界の香りを醸し出す。主税はついに「おんなを棄てます」と断言するが、そのはっきりとした力いっぱいの青年の声は、大声でなく子どものような涙声でもあった。慟哭する主税に小芳が寄り添い、客席ではすすり泣く声が聞こえた。

夜の部『婦系図』(左より)お蔦=坂東玉三郎、早瀬主税=片岡仁左衛門 /(C)松竹

幕間をはさんで、舞台は「湯島境内」へ。玉三郎のお蔦はさっぱりとした物言いでよく喋り明るい色気をまとう。そして、とてもはしゃいでいた。なぜなら夜逃げ同然で新婚生活を始めたお蔦と主税にとって、このお参りが初めての二人一緒のお出かけだったからだ。別れを告げられてからの戸惑い。静岡がどこかもわからない世間知らずさ。この場で解散し、一生別れる覚悟をする健気さ。お蔦の無垢な反応一つひとつが愛おしく、主税だけでなく観る者の涙を誘う。

夜の部『婦系図』(左より)早瀬主税=片岡仁左衛門、お蔦=坂東玉三郎 /(C)松竹

お蔦の知らないところで、あれだけ頭を下げ葛藤し慟哭した主税の心は決して不誠実ではなかったと感じられた。泣いてすがったお蔦は美しかったし潔かった。駆け落ちとか交渉とか選択肢はなかったのか……という、一観客のわがままな無念を飲み込んで、どうにもならない時代があったことに思いを馳せることができた。仁左衛門と玉三郎という稀代の名コンビが、ふたりの痛みを美しく描いたからこその景色と共感が広がっていた。

二、源氏物語

『源氏物語』より六条御息所のエピソードを新作として上演する。六条御息所に坂東玉三郎、歳下の貴公子、光源氏に市川染五郎。

御息所は高貴な身分の未亡人で、美しく知性もある。しかし光源氏に強く思いを寄せ、3か月も顔を見せない光源氏への思いを断ち切れずにいる。その頃、光源氏の正妻・葵の上(中村時蔵)は子を身ごもっていた。しかし謎の病に悩まされ、左大臣(坂東彌十郎)と北の方(中村萬壽)は比叡山の座主(中村亀鶴)に祈祷を行わせる……。

左大臣の屋敷と御息所の屋敷は、几帳を象った美術で表現された。風流で雅やかで、絵巻物が今まさにここで綴られ描かれていくようだった。

夜の部『源氏物語』(左より)光源氏=市川染五郎、六条御息所=坂東玉三郎

光源氏は颯爽として艶やかで、御息所との時間を楽しいものにしようと心を砕いていた。あの時代、あの立場なりの思いやりに根差した優しさも強さもあった。花々に囲まれた連れ舞は、御息所の嬉しい心の内をそのまま表現したようだった。しかし御息所は、会えた嬉しさだけでは消せない負の感情を増幅させ、思いを打ち明けるほどに顔が引き攣っていく。そんな玉三郎の御息所が、染五郎の光源氏を戸惑わせ苛立ちを引き出す。御息所のプライドが少し低ければ、あるいはいっそもっとプライド高く、光源氏を秒速で捨てる潔さがあれば……。

夜の部『源氏物語』(左より)光源氏=市川染五郎、六条御息所=坂東玉三郎 /(C)松竹

はじめは御息所に目線を重ねて芝居を見ていたのに、気づけば光源氏に近い側から見ていた。自滅していく御息所を玉三郎は着物の裾まで美しく描き出す。御息所が意識を失った時、玉三郎の肉体が消えて十二単だけが地に落ちたようだった。美しい御息所には、もう会えない予感がした。終盤、可憐な葵の上に迫る御息所には息をのむ。“人ならざる者”を歌舞伎が持つ表現力と女方だからこその凄みによって立ち表した。そこには哀しみも感じられ、気づけばまた一観客として御息所に心を寄せていた。

夜の部『源氏物語』(左より)左大臣=坂東彌十郎、葵の上=中村時蔵、北の方=中村萬壽

『婦系図』と『六条御息所』、歌舞伎座としては異色の組み合わせの、演劇体験としては珠玉の「夜の部」だった。『錦秋十月大歌舞伎』は10月26日(土)まで。

取材・文=塚田史香

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