マイク・ポートノイ「ペトルーシと俺は素晴らしいドラマーとギタリストの関係にある」ドリーム・シアター『PARASOMNIA』インタビュー後編
先に公開のインタビュー前編では、マイク・ポートノイがドリーム・シアターのメンバーとの関係を修復し、再びバンドで活動するようになるまでの経緯を振り返ってもらったが、後編では最新作『PARASOMNIA』における彼の貢献と、今後のバンド内での役割、そして旧友ペトルーシのギタリスト評について語ってもらっている。まさに“ポートノイ節”全開の力強い言葉が並ぶインタビュー、早速お楽しみいただきたい!
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日本がいつになるかによって、どういうライヴになるかが変わってくる
YG:スタジオ入りした初日から「まるで15年もの時間が経っていないように思えた」とのことですが、すぐに昔のケミストリーが蘇ってきた感じでしたか? バンドの進化を感じた部分はありませんでしたか?
マイク・ポートノイ(以下MP):プロセス自体が、昔俺がいた頃と全く変わっていなかったんだ。唯一変わっていたのは、俺達が人として年を取り、経験をもっと積んでいたことだよ。俺はこのバンド以外で様々な経験を積んできたし、彼らもまた長年にわたって俺抜きで様々な経験をしてきた。だから、俺達は人として変わり、成長し、成熟したと思う。でも、実際のクリエイティヴなプロセスは、俺達が18歳の時にバークリー(音楽大学)でマジェスティのデモを作っていた40年前と全く同じだった。髭は伸びたけどね!(笑)
YG:今回のアルバムのコンセプトは“睡眠障害”についてですが、このテーマについてあなたの意見やアイデアはどれくらい反映されていますか?
MP:俺達は一緒に曲作りをしている。音楽は一緒に作って、それから各自が個別に歌詞を書く。だから、全員のアイデアがプロセスに反映されているんだ。“parasomnia”という用語を持ち込んで、これを歌詞のとっかかりにしようと言い出したのはジョン(ペトルーシ)だけど、みんなで一緒にアルバムを作り始めたら、すべてを一緒にやったんだ。このアルバムをコンセプト・アルバムにしようと言い出したのは俺だ。どの曲のアイデアにも共通するものがあって、サウンド・エフェクトやスポークン・ワードのサンプリングを入れて、すべてを繋げようと思ったんだ。でも、バンド全員で協力してすべてを一緒に作っていったんだよ。
YG:「Midnight Messiah」の歌詞はあなたが手掛けていますが、DTの過去曲や“夢”に関係するアニメ・ドラマ、演劇のタイトルをちりばめている辺りは、いかにもあなたが書いたという感じですね。当然これはあなたのアイデアによるものですよね?
MP:歌詞はそうだよ。歌詞を書く人間には、自分で題材を選んでそれについて書く自由がある。「Midnight Messiah」では、現実よりも夢を見ている時の方が居心地が好い登場人物を作り上げようというアイデアが俺にあったんだ。俺の昔の歌詞を引っ張り出してきて、そこから引用するのは凄く楽しかったよ。曲全編に、俺の昔の歌詞がちりばめられている。どの曲にも、“睡眠障害”という共通のテーマがある。これが全員の歌詞のテーマだったけど、誰がどの曲の歌詞を書くかが決まると、作詞家はその枠組みの中で自由に自分のストーリーを作ることができたんだ。
YG:プレイ面に関して、プロデューサーでもあるペトルーシから「このように叩いてほしい」と細かくリクエストされることはありましたか?
MP:なかった。彼にそんなことを言われたことはないよ。俺達全員、個々の楽器をしっかり弾きこなしていると思うんでね。俺は、指図されるのが嫌いなんだ。だから、キャリアのかなり初期の段階で、俺達はプロデューサーを起用するのをやめたんだよ(笑)。俺達全員、個々の楽器をしっかり弾きこなしているから、クリエイティヴなコントロールがちゃんとできていると思う。
YG:個人的な感想としては、本作のサウンドはDT史上最高レベルだと感じたのですが…。
MP:ありがとう。ワオ!
YG:それはあなたのドラム・サウンドに関しても同様です。あなた自身は本作のドラム・サウンドをどう評価していますか?
MP:それは、このアルバム全体を俺達と一緒に作ったエンジニアのジミー・Tに負うところが大きいよ。彼は、曲作りからレコーディングまで、ずっと立ち会っていたんだから。そして、ミキシングはアンディ・スニープが手掛けた。最終的にアルバムをミキシングする人が、すべてのサウンドに命を吹き込むことになる。アンディとはジョン・ペトルーシのソロ・アルバム『TERMINAL VELOCITY』で一緒だったんで、彼がミックスした俺のドラムを俺が聴いたのはその時が初めてだった。彼は素晴らしい仕事をしてくれたと思う。彼はDTの前作『A VIEW FROM THE TOP OF THE WORLD』のミキシングも手掛けたんで、アンディが俺達の組織の中で上手くやっていることは間違いない。というわけで、俺達には素晴らしいチームがついていた。ジミー・Tとアンディがいて、ジョンがプロデューサーとしてレコーディング全体を監修している。これは、本当に素晴らしい耳の持ち主達によるチームだったよ。
YG:プロデューサー=ペトルーシに対する評価はいかがですか?
MP:俺にはちょっと違和感があったね。以前はずっと2人で一緒にプロデュースしていたんだから。俺がバンドを辞めると、彼は俺抜きでプロデューサーとしての役割を一手に担った。そして、そのプロセスが、地位が心地好かったんだろう。ぶっちゃけ、俺が戻ってくることについて話し合った際に、彼が最初に口にしたのがそれだったんだ。彼が守りたいと思う領域があってね、これはそのうちの1つで、彼は手放したくなかったんだよ。そして、俺はそれを尊重する必要があった。俺がずかずか入ってきて、俺のやり方を押しつけるわけにはいかなかったんで、そこは尊重しないといけなかったんだ。
実際のところ、俺が初めて共同プロデューサーとしてクレジットされなかったからといって、俺のアイデアの重要度が下がったとか、俺のアイデアがそれほど採用されなかったというわけじゃない。全員がアイデアを持ち寄って、それは常に全員に歓迎された。というわけで、彼が1人でプロデュースしたというのは、彼が毎日ずっとスタジオにいないといけなかったというだけのことだ。俺はそれで構わなかった。このアルバムの制作中ずっと、ウチの犬は癌と闘っていたんで、俺がスタジオにいたくないと思ったことは何度もあった。キーボード録りに2週間立ち会うくらいだったら、家族と一緒に過ごしたいよ。そういった意味では、スタジオにずっと籠らずにたまに家にいられたのは俺にとって良いことだったんだ。そこは大丈夫だったよ。
YG:2010年のDT離脱以降、あなたはリッチー・コッツェン、ロン・サールら多くの著名ギタリストと共演してきましたが、他のギタリストと関わることで改めてペトルーシの才能を認識した部分もあったのではないですか?
MP:もちろん、ジョンは俺にとって最古のコラボレーターだ。俺達は10代の頃からずっと一緒にやってきたんだから、いつだって彼が最初なんだよ。俺は彼にとって最初のドラマーだったし、彼は俺にとって最初のギタリストだった。そしてもちろん、彼はなんだって弾ける。プレイヤーとして素晴らしいスキルの持ち主だし、しかもオールラウンドなプレイヤーだ。ギタリストとしての彼を俺がどれだけリスペクトしているか、言葉では言い尽くせないほどだよ。ずっとそうだったんだ。俺が他の人達とプレイしていた時もだ。俺は、ジョンのヒーロー達とも一緒にやってきた。フライング・カラーズではスティーヴ・モーズと一緒で、俺達は3枚のアルバムを作った。スティーヴ・モーズはジョンにとって最大のヒーローなんだ。というわけで、俺はジョンのヒーロー達と一緒にやってきたんだよ。スティーヴ・モーズ、トニー・マカパイン、ポール・ギルバート、バンブルフット(ロン・サール)、リッチー・コッツェン、挙げだしたらキリがない。彼らと一緒にやれて、本当に素晴らしかったよ。
でも俺が思うに、ジョンはリストのトップに来るね。彼は俺のパートナーなんだから。彼とはもう40年来の付き合いで、彼と俺は素晴らしいドラマーとギタリストの関係にある。これは多くのバンドに見られることだけど、とってもスペシャルなんだ。メタリカのジェイムズ・ヘットフィールドとラーズ・ウルリッヒ、エディ・ヴァン・ヘイレンとアレックス・ヴァン・ヘイレン、もしくはダイムバッグ・ダレルとヴィニー・ポールに匹敵するかな。ギタリストとドラマーの間にはとてもスペシャルな関係が存在することがあるけど、ジョンと俺にはその関係があると思うんだ。
YG:それはファンの全員が賛同するところだと思います。さて、間もなくツアーを再開するDTですが、セットリストを決める役割は再びあなたが担っているようですね。今後はかつてのように毎晩演目を変えることもありえそうですか?
MP:いろんな段階が設けられるね。(バンド結成40周年記念ツアーにおける)これまでのヨーロッパと南米では、1つのセットリストでしかやらなかった。とても満足のいくものだったんで、そのライヴをみんなに体験してもらいたかったんだ。そしてもうすぐ北米ツアーが始まるけど、それも同じセットリストで続けるつもりだよ。別の曲をいくつか時折織り交ぜるかもしれないけどね。ただし、それも夏になるとかなり変わると思う。いつ日本に行けるかは分からないけど、日本がいつになるかによって、どういうライヴになるかが変わってくるね。複数回ライヴができれば、すべてをちょっとずつやることも可能だ。
YG:では、現在“Lost Not Forgotten Archives”シリーズとしてリリースされている貴重音源集のリリースやバンドのオフィシャル・サイトの運営などに、あなたがより積極的に関わっていく可能性は?
MP:それはこれからだ。元々の“Official Bootleg”、つまり2000年代初めに俺達が始めた“YtseJam Records”のブートレッグは、俺の発案だった。アーカイヴ作品をすべて持っていたのは俺で、すべてのライヴをレコーディングしたものをすべて、自宅のアーカイヴに持っていた。だから、持っているのは俺なんだ。ただ、新しいタイトルについてはまだ考えていないんだよ。『PARASOMNIA』にひたすら専念していて、これからはツアーに出るわけだから、今後のオフィシャル・ブートレッグについてはまだ考えたり話し合ったりしていない。でも、話し合いが始まったら、もちろん俺がその先頭に立つことになるだろう。すべては俺のアーカイヴに端を発したんだからね。
(インタビュー:平井 毅 Takeshi Hirai Pic: Mark Maryanovich)