NHK紅白歌合戦の中森明菜「難破船」これはパフォーマンスなのか、それとも明菜の本質か?
22歳の中森明菜が歌う「難破船」
22歳は微妙な年頃だ。かつて谷村新司は名曲「22歳」で女性の複雑な心境を歌い、フォークデュオ風の「22才の別れ」では別々の人生へと踏み出す若者の姿が叙情的に描かれた。中森明菜が「難破船」を歌ったのも、彼女が22歳の時だった。当時の明菜はすでにスーパースターの仲間入りを果たし、アーティストとして最も脂の乗っていた時期と言ってもいい。
1984年に奇才・井上陽水が書き下ろした難曲「飾りじゃないのよ涙は」を見事に歌いこなしたことで、明菜は従来のアイドル像を打ち破り、新たなステージへと踏み出した。今でいう “覚醒状態” に突入した明菜は、「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」(1985年)、「DESIRE -情熱-」(1986年)で女性アーティスト初となるレコード大賞2連覇を成し遂げるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで80年代音楽シーンを席巻した。
生みの親は加藤登紀子
デビューから5年。名実ともにトップアーティストとなった彼女だが、そんな明菜のダークな魅力に惹かれたのが、「難破船」の生みの親であるシンガーソングライターの加藤登紀子だった。22歳の誕生日にテレビ出演した明菜は共演者から祝福の言葉をかけられたが、“22歳なんて大嫌いです” とクールに返答した。それをブラウン管越しに見ていた加藤登紀子は、明菜のアンニュイな姿勢に感銘を受け、みずからの持ち歌である「難破船」を提供することを決めたそうだ。
「それを聞いた時に主人公に選んだんです。もう最高って。そういうことを言っている明菜さんに親近感を感じて、いいなと思ったんですね」
元々「難破船」は加藤登紀子自身が20歳の頃に経験した失恋をもとに書かれた楽曲だった。しかし、すでに40代を迎えていた加藤登紀子は、この作品にふさわしいのは若い世代のアーティストだと感じていた。そんな折、偶然目にした明菜の魅力に強く惹かれ、すぐさま彼女にこの曲が入ったカセットを直接手渡したのだという。
「もしあなたが歌うんだったら、私は今ステージで歌っているけど、しばらく歌うのもやめて、明菜の歌として、この歌を世に出してほしいって」
それからしばらく経ったある日、加藤登紀子が地方公演で訪れていたコンサート会場に、明菜から花が届いた。それは、いかにも明菜らしいスマートで洒落た “OK” の返答だった。
よりドラマチックな楽曲となった明菜版「難破船」
中森明菜の歌った「難破船」は1987年秋にシングルとしてリリースされた。「かもめはかもめ」(研ナオコ)などの編曲を手がけた若草恵によるアレンジで生まれ変わった明菜版「難破船」は、ストリングスを前面に押し出した、よりドラマチックな楽曲となった。また、ボーカル面でもオリジナル版との違いは鮮明だった。低音を力強く響かせる加藤登紀子に対し、明菜は消え入りそうな声で恋人を失った絶望感を表現した。
加藤登紀子の直感は的中し、まるで初めから明菜のために用意された楽曲だったのではないかと錯覚するほど、その世界観は22歳の明菜にピッタリとハマった。あまりにもハマり過ぎていた。「難破船」をテレビの音楽番組で披露するとき、明菜は何かが憑依したかのように、完全に歌の世界に入り込んだ。
おろかだよと 笑われても
あなたを追いかけ 抱きしめたい
つむじ風に 身をまかせて
あなたを海に 沈めたい
「難破船」に宿るのは失望感、絶望感だけではない。その根底にあるのは強い恨み、憎しみだ。ほかの誰かを愛した恋人への怨念。捨てられた身でありながら、追いかけて泣きすがるようなみじめな真似はせず、敢えて別れの苦しさを選ぶのは、女の意地というものだろう。
強さと悲しみとの狭間の苦悩を、明菜はそのか細い体と芯の通ったボーカルで完璧に表現してみせた。妖気を漂わせながら歌う姿は、明菜自身がこの歌の主人公であるとしか思えないような、怖いほどの説得力があった。
紅白で見せた命を削るような表現
1987年末、明菜は5年連続で出場を果たした『第38回NHK紅白歌合戦』においても「難破船」を披露。この時の映像が“Best Performance on NHK 紅白歌合戦” として公開された。胸元が開いた漆黒のドレスに、ゴシック調のワイドブリムハット、そして真紅のルージュを引いた彼女の姿は、思わず息を呑むほど美しかった。絞り出すような声と、うつむき加減の儚げな眼差し。舞台全体が歌の世界に包み込まれたかのようだ。
クライマックスに差し掛かり、明菜の感情はついに極限まで高まってゆく。目を閉じ、唇がわずかに震える。そして静かに顔を上げ、悲しみに満ちた表情で天を仰ぐ。その佇まいから放たれる孤独と情念は、これが果たしてパフォーマンスなのか、それとも明菜自身の本質なのか、その境界が分からなくなるほどだ。
鬼気迫る表情で「難破船」を歌う明菜の姿を見ていると、ふいに映画『ブラック・スワン』を思い出した。ナタリー・ポートマン演じるバレリーナの少女は、魅力的な演技を追い求めるうちに自我すら揺らいでしまう。明菜もまた、歌の世界に没入するあまり “演じていること” を超越し、彼女自身が「難破船」に取り込まれつつあるのではないか? そんな危うさすら感じさせる、極端にいえば命を削るような表現にも思えた。
「難破船」との運命的な出会い
明菜がこの楽曲に出会ったのは22歳。もっと早ければ歌いこなすにはまだ難しく、逆に遅ければその時期にしか表現することのできない繊細さや痛みを歌に宿すことはできなかったかもしれない。キャリアを経て歌唱力が格段に向上し、楽曲を表現するのに十分な技術が身についた。
ちょうどその時、たまたまテレビを見ていた加藤登紀子の琴線に触れたことで、明菜と「難破船」は出会いを果たすことになった。きっかけはふとした偶然だったのかもしれない。しかし、このタイミングでなければ成立しなかった運命的な出会いでもあった。