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だから俳句はやめられない――原点は句会にあり【NHK俳句】

NHK出版デジタルマガジン

だから俳句はやめられない――原点は句会にあり【NHK俳句】

4月は始まりの月、『NHK俳句』では新選者を迎え、新しいテーマの放送がスタートします。第4週の選者は昨年に引き続き、俳人・高野ムツオさん。大好評の句会「語ろう!俳句」をバージョンアップしてお届けします。

句会には、中西アルノさん(乃木坂46)が、レギュラー出演! 中西さんの独特の感性が光る俳句も見逃せません。一緒に楽しみましょう。

今回は、高野ムツオさんが語る、さまざまな気づきを与えてくれた思い出の句会についてのエッセイをご紹介します。

原点は句会にあり

 その夜は不意の大雨で、山裾にある小さな寺の本堂には大きな雨音が響いていました。私が物心付いた頃からよく訪れていた寺で、小学四年生だった私は、その夜も父の後を追って遊びに来ていたのです。寺では句会が催されていました。二十名以上、近隣の愛好者が集まっていたと記憶しています。会場は本堂の脇の広間でした。私は、句会よりも夜の本堂の様子が興味しんしんで、恐る恐る須弥壇(しゅみだん)の裏側を覗いたり、天蓋(てんがい)の瓔珞(ようらく)が蝋燭(ろうそく)の炎で揺れるのを見つめたりしていました。その時、句会場の方から「睦夫(むつお)、この句、お前のか」という声がしました。披講された一句に誰も名乗りがなく、念のため、私に確認したのでした。確かに私が作ったものだったので、自分の俳句だと伝えました。ただ頷いただけだったかもしれません。私の句だとわかると、誰からともなく嘆声が漏れました。同時に正面にいた柔和な和服姿の女性が笑みを浮かべながら「今夜の寺の様子がよく出ていますよ」と声をかけてくれました。この女性が、はるばる仙台市から三時間以上もかけて同じ宮城県栗原市の片田舎まで指導に来てくれていた阿部みどり女先生でした。昭和三十二年、みどり女七十歳の時です。

夏の雨うるさくひびく夜の寺

睦夫

 これが私の十歳の処女作となりました。句会初体験でもあります。照れくさい中にも句会で句が選ばれることの晴れがましさを経験しました。
 
 この後、私は俳句に魅せられるようになり、中学生の時分には、その寺での月例句会に出席するようになりました。

 高校一年生の五月ごろ、高校で開かれた句会をよく覚えています。私は工業高校に進学しました。当時は工業高にも文芸部があり、さっそく入部しました。自己紹介で私が俳句に親しんでいるということを話したのでしょうか、みんなで句会をやろうということになりました。顧問の菊池謙先生も参加してくれました。先生は歌人でもありました。

釣り人の草に埋もれて春の雨

睦夫

はその時の一句です。先生はこの句を選んで「草と人が一体になっている。そして、それらを包むように春雨が降っている。つまり人間と自然が溶け合った世界が描かれている」と講評してくれました。私は驚きながら聞き入りました。単に通学電車の車窓から眺めた一コマを切りとっただけだからでした。先輩は先生にすかさず質問をしました。

「でも、それは先生だから言えることで、作者はそんなことは考えていないんじゃないですか」。確かに、その通りです。しかし、先生は少し表情をこわばらせながら、「作者がどう表現したかったかは問題でない、作品がどう鑑賞できるかが大切なんだ」と言い切りました。句会という場を通して、俳句の秘密の一つを教えてもらった瞬間でした。

 私に社会性俳句など当時の新しい俳句について目を開かせてくれた人は父の友人で、松本丁雨(まつもとちょうう)という俳人です。「麦」や「末黒野(すぐろの) 」の同人でした。私が高校二年の昭和四十年正月に「末黒野」の主宰皆川白陀(みながわはくだ)が横浜からやって来ました。若い俳人根岸文夫(ねぎしふみお)が一緒で丁雨の俳友古内一吐(ふるうちいっと)とともに五人で炬燵(こたつ)を囲み句会を開きました。一吐は当時「鶴」の中堅として注目されていた人です。句会は人数が多いのも緊張感があっていいですが、気のおけない四、五人で楽しむというところに本来の醍醐味があります。遠慮なく語り合うところに俳句の世界が広がるのです。
 
 その夜は雪がずっと降り続いていたので、私は、

灯をつなぐ町は雪国雪しんしん

という句を投じました。私と白陀以外の三人が採りました。披講が終わってから、内心得意になっている私の傍で一吐が「この句は白陀のだべ」と目を細めました。雪国への挨拶であるからです。白陀は静かに「いや、私なら、

灯をつなぐ雪国の町雪しんしん

だ」と応じました。低いが、自信に溢れた声でした。両句の調べの軽重は歴然です。「町は雪国」には表現の気取りがあって、全体を軽薄にしてしまっています。推敲の大切さを作品を通して教えられた時でありました。

 高校卒業後、地方公務員として働きながら、國學院大学に入学しました。大学でも俳句仲間ができ、句会を楽しむことができました。句の指向するところはそれぞれ違ってはいましたが、二十歳前後の若者同士で囲む句会は、それまでには経験できない刺激に溢れていました。私はみどり女の「駒草」から金子兜太(かねことうた)の「海程」へと航路を切り替えたばかり。しかも無季にこだわって句作していましたので、句会でほとんど評価されませんでした。ある日、大学の俳句研究会の仲間、島谷征良(しまたにせいろう)と宮入聖(みやいりひじり)と大塚青爾(おおつかせいじ)の四人で、青爾のアパートの一室で取り留めない雑談に花を咲かせました。自然と句会でもやるかという流れになりました。
 
 当時、嘱目(しょくもく)的な作り方を遠ざけていた私は即興が苦手でした。出句する句作りに難儀していると、ふと数日前に仕事で出かけた三浦半島の情景が脳裏をよぎりました。まあ高野らしくない写生句と揶揄(からか)われても、と思いながら、

秋耕へ暮色沖よりせまりくる

という句を投じました。すると、ふだんは私の句に辛辣な批評をする征良の言葉にいつになく力がこもっているのです。「秋耕」と「沖」の取り合わせが面白いと言います。両者をつなぐ「せまりくる」も感心していたはずです。征良はこう付け加えました。「高野さんはやっぱり、こうした句を作るべきですよ」。真からの友情が溢れた言葉でした。無季俳句ばかり作っていた私を心配していたのでしょう。
 
 むろん、私の無季俳句への挑戦はその後も続きました。しかし、帰郷したのち、風土や自然を自分なりに俳句に咀嚼(そしゃく)しようと考えるようになったのは、この征良の言葉が心の底に楔(くさび)のように残っていたからだと振り返っています。
 だから、今もって句会はやめられないのです。

講師

高野ムツオ(たかの・むつお)
1947 年、宮城県生まれ。多賀城市在住。十代より句作開始。阿部みどり女、金子兜太(とうた) 、佐藤鬼房(おにふさ)に師事。「小熊座」主宰。句集に『陽炎の家』『蟲(むし)の王』『萬の翅(はね)』、文集に『語り継ぐいのちの俳句』他。読売文学賞、蛇笏(だこつ)賞など受賞。日本現代詩歌文学館館長。

◆『NHK俳句』2024年4月号より「語ろう!俳句」
◆写真 ©Shutterstock(テキストへの掲載はありません)

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