上野万太郎の「この人がいるからここに行く」 橋梁設計の仕事を辞めて選んだカレー職人の世界、「クボカリー」久保正三さんの物語
僕と久保さんの出会い
僕が最初に久保さんに会ったのは、彼がまだカレー屋さんになる前のこと。知り合いが福岡市南区清水の玉川ビルにて「玉川ビルカレー祭り」を開催した時だったと思う。その時にまだサラリーマンだった久保さんが出店していたのだ。
その後、同年12月に南区大楠で「クボカリー」を開業、さらに大名店も開業した。今年10周年を迎える「クボカリー」。今では行列ができるカレー店として福岡を代表する店の一つとなっているのはご存知の方も多いだろう。
今回は、久保さんがどういうきっかけでカレーにハマってカレー店を始めるに至ったか、またコロナ禍明けに始めた「スパイス酒場 夜のクボ」のことやこれから何を目指しているのか、その辺を改めて久保さんにお聞きしながら深掘りしていきたいと思う。
元々は橋梁設計の技師だった
久保さんは福岡県筑後市の久留米かすりの織物会社の三男として1974年に生まれた。地元の工業高校を卒業後に福岡市内の土木コンサルタント会社に就職。
- 就職した会社ではどんな仕事をしていたのですか?
「土木構造物の設計ですね。22歳で設計事務所に転職した後は、主に橋梁の設計をやっていました。23歳で結婚したのですが28歳で離婚し、その後は父子家庭として娘を育てながら仕事と家事を頑張ってきました」
-小さいお子さんを育てながらの多忙な仕事は大変だったでしょう?
「自宅でも設計作業ができるような環境を作って、昼は会社で夜は自宅で深夜まで仕事をする生活でしたね。炊事洗濯から子供の弁当作りまで全部していたので、世の中の奥様たちの大変さが良く分かりました」
-料理もやっていたんですね?
「朝晩のご飯に弁当作り、父子家庭ということで娘に留守家庭保育で肩身の狭い思いをさせたくなかったのでキャラ弁作りもやってましたよ(笑)」
-それは大変でしたね!!
「そのうち料理作りがストレス発散になって来たんですよ!元々料理好きではあったので、料理本やレシピ本を買って勉強しながら楽しんでやっていました。娘が小学生の高学年になるまでそんな主夫の生活が5年間くらい続きましたね」
感動のカレーとの出会い
-久保さんはどこでカレーに興味を持ったんですか?
「友達でもある『くしやき鳥三。』の大将、三苫さんが『たまには息抜きにカレーでも食べ行こう』と誘ってくれたんですよ。僕は『カレーライスは家で食べればよかろうもん』と答えたんですが『良かけん、一回食べてみてん!!』という感じで無理やり連れて行かれました。それが今はもう閉店した福岡のスパイスカレーにおけるレジェンドと言われている高田さんの『スパイスロード』だったんです」
-高田さんのカレーはどうでしたか?
「食べてびっくりでした。『なんだ!!このカレーは!!食べたことがない味!!うまいーーー!!こんなカレーがあるんだ!!』ってなりましたね。それだけならそれで終わっていたかもしれませんが、『スパイスロード』店内にレシピが貼ってあったんです」
-レシピありましたよね。人生に迷った人たちをカレーで救いたいという高田さんの思いから店内の壁に大きな紙に書かれたレシピが貼ってありましたよね!
「そうなんですよね、料理好きな主夫だったのでこんな美味しいカレーが作れるならと思いレシピを参考に家でカレーを作り出したんですよ」
-美味しいカレーはできましたか?
「いやいや、何回作ってもまったく美味しいカレーが出来ないんです。それが悔しくてカレーの食べ歩きを始めました。そこで知り合った当時あさだ荘にあった『かもめ食堂』の法子さん(現『千酒万菜うちだ産業』)や、『旅するクーネル』の井上ヨシオさんに相談するようになったんです」
-なるほど、みんな優しく教えてくれたんですね。
「はい、僕のカレーを味見してくれて、あーだこーだアドバイスをしてもらいました。それから少しずつ美味しくなっていきました。家では高校生になっていた娘からカレー臭いと文句を言われ喧嘩しながらカレーばかり作っていました」
「玉川ビルカレー祭り」に参加
ちょうどその頃、「かもめ食堂」の法子さんから僕に「知り合いの玉川ビルの大家さんたちと一緒にビルの一階の空室を使ってカレー祭りをするけん食べに来て」という連絡があった。
参加したのは「かもめ食堂」「チャクラ」などの他に、「タマガワカリードットコム」として後に独立することになる樋口剛士くんもいた。そして久保さんも「クボカリー」という屋号で出店したのだ。2015年2月28日のことだった。
-脱サラしてカレー店を経営しようと決断したのはそのイベントの頃からですか?
「そうですね。『かもめ食堂』の法子さんが、あさだ壮とは別に近くの松田アパートに一部屋借りていたんですけど、『そこば使こうて良かけん、あんた本気なら早よ店ば始めりいよ』と提案をしてくれたんです。一度切りの人生、どうせならやりたいことで勝負したいと思っていたので、このタイミングだな!と決断しました。それで会社に相談して退職する準備に入りました」
ちなみに法子さんが移転のために大楠を離れる時には、間借りしていた店をそのまま久保さんに譲ってくれたそうだ。「この雰囲気を残してくれるなら、お金は要らんけんそのまま使って」とその頃から男気のある女将だった。久保さんは今でも法子さんには感謝しており、まだ借りを返してないとずっと思っているそうだ。
「クボカリー」を福岡市南区大楠に開業
41歳で設計事務所を退職。2015年11月松田アパート1階に「クボカリー」を開業した。昭和の佇まいが残るその部屋の雰囲気が良かったので内装工事などお金はなるべくかけず火元の器具だけ手を入れ、ほぼ法子さんが使っていたままでオープンした。チキンカレーと日替わりの肉カレーなどを提供してのスタートだった。
開業当初から知り合いなども訪れ来客も多く滑り出しは順調だった。
「スパイスロード」の高田さんの紹介で数ヶ月前からアルバイトをしていた東区筥松のパキスタン料理店「マルハバ」のジャマールさんには、開業後も営業日以外に働かせてもらい肉料理やスパイスの使い方について教えてもらっていた。
カレーの仕込みから店の営業、アルバイト、そして家事など久保さんの生活ぶりは相変わらず多忙を極めていたそうだ。
営業を始めて1ヶ月が過ぎたばかりの12月だった。そこで事件が起きた。久保さんは営業中に店で倒れて入院することとなった。診断は腹膜炎。原因は過労や睡眠不足だったそうだ。
「2ヶ月後にお店は再開できました。仕込みやオペレーションの反省も含めてメニューは1本に絞ったんです。一つの皿の中にチキンカレー、キーマカレー、ダルカレーの三種のカレーが盛り付けられた合いがけカレーのみの提供としました。価格は1,000円ちょうど。メニューは1つだけなのでお客さんがくればとりあえずすぐ調理を始められますし、釣銭も不要、計算も簡単、お客さんが『お金ここに置いておくよ』と払ってもらえるし、ワンオペに最適な設定にしました」
これが、後々「クボカリー」を人気にしていくクボカリープレートの誕生の経緯だ。クボカリープレートは味も良い上に見た目も華やか、そして価格もお手頃で人気を博した。週末などは店前に待ち客の列もできるほどになった。
インドへカレー修行
そんな頃だった。「スパイスロード」の高田さんがインドに行くことをしきりに勧めて来るようになった。
-インド修行に興味はあったのですか?
「いや、全く興味はなかったです。というか行きたくなかったです(笑)。何回断っても高田さんが電話してくるんですよ。『騙されたと思って行った方が良いです!!』と。最終的には根負けして、インド行きのチケットを予約しました。高田さんが南インドのスワミさんというレジェンド宅でのカレー教室の手配もしてくれていて、結局1ヶ月くらいのインド滞在でした」
-行ってみた感想は?
「結局、行ったことはプラスになっていますね。高田さんから『お客様に対して説得力をつけるためにも絶対行って来なさい』と言われていたのですが、俺は味で勝負したいんだからそんなの関係ないと思っていたんです。しかし客目線で店を見たらその“説得力”は大事なんだなぁと後々理解できました。経験者や年配の人の意見には耳を貸すのは大事ですね(笑)」
一番弟子との出会い
店は忙しく繁盛するようになった。来店してくれたものの行列のために帰る人も出てきた。売り切れで提供できないことも増えてきた。
「それでも仕方ないと思っていたしそれで良いと思っていました。そんな時、ある飲食業界の先輩友達から言われたんですよ。『それに満足していたらただの自己満足じゃない?食べたい人がいるのならたくさんカレーを作ってもっと多くの人に喜んでもらえるほうが良いんじゃないか?』と。
なんかショックでしたね。それで悩んだ結果、スタッフを募集することにしたんです」
スタッフ募集をしてすぐに応募があった。面接に来たのは、さっきお昼に来店した青年だった。始めて「クボカリー」に来て食べたのだそうだ。
「山口市出身で獣医をしていたらしいのですが、カレーに興味を持っていつかカレー店を独立して始めたいって言うんですよ。彼は、その日インドから帰国したばかりで福岡空港から直接うちにカレーを食べに来たそうなんです。さらにインドでは僕が習ったスワミさんのカレー教室に行って来たというじゃないですか、びっくりしました」
-それで採用したんですか。
「はい、独立希望ということだったのですが、そのくらいの方が真剣に働いてくれるだろうと思い採用しました。その代わり、レシピだけ盗んですぐに辞めるようなことはしないでくれと念押しはしましたけど(笑)」
それが今でも大名店で働いているススムくんだ。結局、ススムくんは現在も開業のために準備をしながらも9年間「クボカリー」で久保さんの右腕として頑張っている。
スタッフを増やし大名店を開店
ススムくんに続いて数人の女性スタッフが仲間になってくれた。しかし、みんな他のアルバイトとの掛け持ちだった。
「せめてススムだけでもうちだけの給料で生活できるようにしてやりたかったんです。それでススムに『まだ数年間は辞める予定はないか?』と聞いたら『まだクボカリーで頑張りたいです!!』というので、じゃあもう1店舗作るぞ!!となったんです」
-「クボカリー大名店」の開店ですね。
「そうです。なかなかの勝負でした。スタッフも数名採用して2店舗体制でやり出しました。お陰様でさらにたくさんの人にカレーを食べてもらえるようになりました」
-久保さんのもとには、独立を希望しているスタッフがたくさん集まって来てるように見えますが、それは意図してることなんですか?
「僕にはまったくその意図はなかったのですが大名店オープンに関して集まったスタッフはほとんどが独立希望者だったんですよね。多店舗展開をする時には独立心があるくらいの人じゃないと頑張れないと思うのでそれもありかなと思っています」
-スタッフが独立するとなるとどうしますか?
「仮に独立するということになった場合は、僕はちゃんと応援すると、スタッフにはいつも伝えています。いつの日か独立して繁盛店になって『僕、クボカリーの出身なんです』という話がたくさん聞けるようになるという夢がありますよね。そのためにもうちにいる間はレシピも含めてすべて隠さずしっかり教えています」
「クボカリー」が目指すカレーとは
- クボカリー言えば「クボカリープレート」が有名ですが、それが久保さんの好きなカレーの姿ですか?
「いえ、本当は単品のカレーメニューを何種類も出して勝負したいのですが、開業後に倒れた後に生まれた『クボカリープレート』のインパクトが強過ぎて辞められなくなってるんです(笑)。実は、映えるカレーみたいに言われたりしたのでそれが嫌で一時期クボカリープレートを販売停止にしていたんですよ」
- 辞めてましたよね。僕も残念だったです(笑)
「2年以上販売を辞めていたのですが、問い合わせが連日のようにあるんですよ。『クボカリープレートは食べられないんですか?』と。もう、そんなに求められているのなら、また復活させるのもありかなと思うようになり販売を再開しました」
- では、久保さんが目指すカレーとは?
「僕が目指すのは、奇をてらわないバランスのとれた味のカレーですね。カレーマニアよりも一般のお客さんを満足させること、そしてスパイスカレーのファンというよりクボカリーのファンを増やしていきたいです。
そのためにもメニューは同じでもレシピは常により美味しくなるように変更しています。常に美味しくしていくということは、常に自分のカレーが一番美味しいと自信を持つことにも繋がりますからね。商品への愛情はお客様への敬意にもなりますし、スタッフのモチベーションアップにもなりますから」
「スパイス酒場 夜のクボ」の意義
-大名店の夜は「スパイス酒場 夜のクボ」として営業されていますが、その意図はなんでしょうか?
「『夜のクボ』は居酒屋ですので昼営業のカレー店とは全く違う難しさや大切なことがあります。これからスタッフが店長として、または独立開業するに当たってもとても勉強になる場所になると思っています」
-例えばどんな点が大事だと考えられていますか?
「夜の店は接客が一番大事になります。入り易さ、客を迷わせない誘導、そして適度な接客などをしっかり指導しています。マニュアルと個人店の良さを合わせた店作りを目指しています」
-他にもメリットがありますか?
「もちろん売上アップにもなりますし、カレー作りの勉強の場にもなっています。『夜のクボ』ではスパイスを使ったたくさんの酒場メニューがあります。常に新メニューを出して新しい素材や調理法も取り入れていますので生まれてくるアイデアなどを昼間のカレーにもフィードバックできるんです。トータル的に調理技術のアップにも繋がると思います。本気でやりたいと思う好奇心や向上心があるスタッフでなければ難しいですけどね」
「スパイス酒場 夜のクボ」のメニュー
そんな「スパイス酒場 夜のクボ」のメニューの中から人気メニューを少しご紹介したい。念のために伝えておくと、スパイシーというのは辛いという意味ではないので誤解なきよう。
そして「スパイス酒場 夜のクボ」のメニューもスパイスの優しい香りや隠し味、それにしっかり旨みがあってお酒やご飯に合うメニューがたくさんあるのだ。
最後に
-「クボカリー」開業を振り返って思うことはありますか?
「『くしやき鳥三。』の三苫さんがカレーを食べに誘ってくれてなかったら、そのカレー店が高田さんの『スパイスロード』ではなかったら、そして高田さんがレシピを壁に貼っていなかったら、そして何よりに一番の恩人『かもめ食堂』の法子さんと出会っていなかったら、僕はカレー屋になってなかったのは間違いないですね」
人生なんて何がキッカケでどう変わるか分からない。人との出会いとちょっとしたタイミングのずれ、まさに運によって決まることって多いのだろうなといつも思う。
-最後に、久保さんの夢はなんですか?
「カレーのことや店のことなどの夢はお話したようにたくさんありますが、最後に一つだけとなるとこれしかないんです。妻のことです。44歳の時に再婚をして現在子供が2人います。今はまだ仕事のことで色々と妻にも迷惑かけているので、60歳になったら妻とふたりでゆっくり過ごすような生活をすることです。まあそのためにも今はもっと仕事を頑張らないかんですけどね」
あらら、最後は惚気を聞かされてしまった(笑)。
久保さんは飲食業界に飛び込んでまだ10年なのに人懐っこく明るい性格、人付き合いの良さもあって業界関係者の中での交際範囲は広くそして深い。それは一人では何もできないからと仲間つくりのために空いた時間とお金をつぎ込んできたこともあると思う。久保さん流に言えば「生きたお金の使い方」である。
そんなことも奥様に迷惑をかけてきたという気持ちもあるようだ。どんなに仕事欲や事業欲があっても、最終的な夢が、妻との二人だけの時間だという久保さん。まさにそこが“久保正三”の魅力の根源かもしれない。
久保さんが作るカレーやスパイス料理は決して攻撃的でも刺激的でもなく、スパイスが優しく包み込むような愛情にあふれた料理に仕上がっているのも彼の性格が表れているのだろう。「クボカリー」はもちろん、是非「スパイス酒場 夜のクボ」もお試しくださいませ。
店名 : スパイス酒場 夜のクボ(クボカリー大名店の夜の部)
住所 : 福岡市中央区大名1-4-23ロワールマンション大名101
電話 : 092-732-3630
時間 : 18:00〜22:00LO
店休日 : 水曜日、日曜日
席数:カウンター8、テーブル8
URL:https://www.instagram.com/yorunokubo/