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登山家・田部井淳子の子育て 親に無断で高校中退した息子を立ち直らせた「第三の大人」のスゴさ

コクリコ

世界的登山家・田部井淳子の子育て第2回。「田部井淳子の息子」と呼ばれることに鬱屈し、数々のトラブルを起こした長男は、突然高校を中退。子も親も迷う中、“ある大人”の登場が大きな変化をもたらし……。全3回。

【写真➡】エベレスト頂上の田部井淳子さんと現在の息子・進也さんを見る

1975年に女性初のエベレスト登頂者となり、世界的に知られる登山家となった故・田部井淳子さん。「山歩きが好きなおばさん」と自称し、夫も「山登りが大好きな普通のおばさん」と語る家庭での素顔は、ごく普通の妻であり、母親でした。多くの親が直面する思春期の我が子の難しさにも直面し、翻弄され、じっと見守った時代がありました。

反抗的な態度や行動を重ね学校から大目玉をくらい続けた高校生の息子は、ある日突然「学校? 辞めてきた!」と言い出しましたが……。

望んだ自由も楽しいのは2日だけ

「田部井淳子さんの子どもなんだから、しっかりしなさい」

そんな周囲の勝手な決めつけや好奇の視線から、逃れるように都内の高校に通っていたはずの長男・進也(しんや)さんでしたが、あるとき突然、親に黙って高校を辞めてしまいました。

何の前触れもなく、家族に相談もなく、本当に突然のことでした。夫の政伸さんは、こう振り返ります。

「さすがに僕もかみさん(注:淳子さん)もびっくりしましたね。前触れも相談もなく、勝手に辞めてきちゃうもんだから。『辞めてきたって、お前、これからどうするんだ!』と、2人であわててしまいました」

上:16歳ごろの「やんちゃ」時代の田部井進也さん(写真上)。2000年6月にフランスのシャモニーで開催された「アンナプルナ初登頂50周年記念式典」に招待された田部井淳子さん(写真下、中央)  ©一般社団法人田部井淳子基金

このころの進也さんは、スキーの技術がどんどん上達していたため、夢中になれることが見つかったこともあり、「まあいっか」と、高校退学を決めてきたそうです。実際、自主退学した年の冬は、スキーの指導者と共にアメリカで競技スキーの大会を転戦して過ごしました。

しかし、ことはうまく運びません。
スキーシーズン以外はすることがなく、遊びたくとも友人たちは学校に行っています。すると進也さんは、そもそも学校に行かずに街で遊んでいた同世代と遊び始めました。退学前よりも「夜型」になり、深夜に帰宅することが増えてきたころ、ある「光景」が、進也さんの心に刺さりました。

「夜通し遊んで朝になって、帰る途中で、ランドセルしょって楽しそうに登校してる子どもたちと出会ったんです。はっとしたというか、『おれもああいうころがあったのかな』とちょっと考えて。

『あの子たちにはこの先まっとうに生きてってほしいな』とか『おれの人生、どこでどう道がずれたのかな』とか、いろいろ考えちゃってる自分がいましたね」

望んで手に入れた自由でしたが、実は本当に自由を楽しめたのは「最初の2日ぐらいだった」そうです。「3日目ぐらいからは現実に気づくというか、我に返るというか」。

そして就職先を探そうにも、高校を中退したため最終学歴は「中卒」でした。17歳の中卒の自分に、あまり選択肢がないことに気づき、「この先どうするかな」と悩み始めた進也さんに、アイデアをくれた「第三の大人」がいました。

心を許せた子どもを尊重する大人の存在

田部井家がスキーや登山で何度も投宿していた福島県南会津町のペンションオーナー、平野均(ひらの・ひとし)さん(故人)でした。

スキーに打ち込める冬以外の季節は何もやることがなく、心が落ち着かないこと。これからの人生のために、何とかして「高校卒業」の資格だけは手に入れておきたいこと。

そんな思いを問わず語りで伝えた進也さんに、平野さんはきっぱり言いました。

「じゃあお前、うちに泊まって、こっちの高校に通えばいいじゃん」

進也さんはかねて家族ぐるみの交流を続ける中で、平野さんが自分を「田部井淳子の息子」としてではなく、田部井進也という一人の人間として接してくれていることに、絶大な信頼を寄せていたそうです。

そして両親もまた、平野さんの力を借りて自分の人生を前に進めようとしている進也さんの選択を、最大限に尊重してくれました。政伸さんはこう語ります。

「均さんは誰に対してもとてもよく話を聞いてくれる人でしたし、家族のような存在でした。ぼくたち親以外の大人のもとで生活して新しい挑戦をすることは、今の進也にとってすごくいいことなんじゃないかと、かみさんも喜んでましたよ」

登山を通じて出会い、お互い協力して登山を続けたという田部井淳子・政伸ご夫妻。  ©一般社団法人田部井淳子基金

川越の自宅を出て平野さん宅に向かう進也さんの変化や成長を楽しみに、送り出したそうです。

19歳から進也さんは親元を離れ、平野さんの家に居候して地方の高校に通い出したものの、通い始めは何かと馴染めず、さっそく登校3日目で平野さんが学校から「呼び出し」をくらいました。

親代わりの平野さんに、教師は「進也君が校内でタバコを吸っていました」と説明し、停学を通告しました。

しかし平野さんは謝罪どころか動じる気配も見せず、逆に教師にこう質問したそうです。

「話はよく分かった。でもな先生、なぜ進也がタバコを吸っちゃいけないんだろうね。コイツが納得するように、説明してみてくれませんか。じゃないとコイツはまた吸いますよ」

この逆質問に面食らい、教師が答えを探している間に、平野さんは「成人前の人間がタバコを吸うと、成人よりもずっと健康に悪い影響があるから」と説明を続け、ひとしきり話し終わると「じゃ、そういうことで。進也、帰るぞ」。

進也さんはあわてて背中を追いながら、平野さんの想定外の対応に、「すっげえな」と感動したといいます。

またあるときには、「学校にすごく苦手な先生がいて、その授業に出るのがめちゃくちゃ苦痛」とこぼす進也さんに、平野さんは、「じゃその授業だけ出なきゃいいじゃねえか」ときっぱり。

意外すぎる返答に、進也さんも「逆にビビりました」と苦笑します。

「親なら『我慢しなさい』って絶対言うじゃないですか。びっくりして『それってアリなの?』って聞いたら、均さんは『全然アリだろ』って(笑)。だから保健室の先生に理由を説明して、その時間だけ保健室で休ませてもらいました」

平野さん自身、学校からドロップアウトした経験のある、既存の考え方にとらわれない人でした。そのことが、幼少期から「田部井さんの息子」という視線に傷ついた進也さんの心を解放してくれたようです。

しかし人の心というものは一足飛びに変わるものではありません。

2000年に田部井さん(当時61歳)が進也さん(当時22歳)と出演したNHKのドキュメンタリー番組『親子で向き合うふたり旅』では、田部井さんに「ややギレ」の返答をする進也さんや、撮影の鬱陶しさにキレてダッシュで「戦線離脱」しようとする進也さんの姿が、映し出されました。

そして息子の突発的な行動に、あわてて取り乱す田部井さんの姿も、カメラはしっかりとらえていました。

さらに興味深いことに、親子で登山をするこの番組の中で、進也さんの「心の変化」も紹介されました。

何とか撮影に戻り、母と共に頂上にたどり着いた進也さんは、「お母さんが山に登る理由が分かる?」と聞かれ、「なんとなく」と答えました。

「一緒に登ったほうが分かると思って」と田部井さん。すると進也さんは「真面目に生きる。これから」と答えました。

そして2度目の高校生活を終える直前、進也さんは「大学に行ってみようと思う」と両親に告げました。

田部井さんは息子の成長を喜びつつ、「進也君にやりたいことがあって、行きたい大学があるなら、ぜひそうしなさい」と、静かに背中を押しました。

政伸さんが解説します。

「僕たち夫婦は、『アレをしなさい』とか『ここを目指しなさい』とか、押しつけるようなことは絶対にしませんでした。自分たちはたまたま登山が好きな夫婦だけれど、子どもたちは別の人間なんだから、彼らがやりたいと思うことを尊重しようと、決めていましたから」

進也さんは大学院へも進み、卒業後はスポーツ衣料メーカーに就職しました。社会人2年目からは、田部井さんが福島県猪苗代町で経営していた温泉ロッジの仕事も兼務しながら、忙しく働いていました。

しかし2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
この災害が、田部井さんが晩年に心血を注ぎ、進也さんへと引き継いだプロジェクトの始まりでした。

取材・文/浜田 奈美

●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)

田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。

田部井さんを知るおすすめの本

子どもに、いま出会ってほしい、101人の物語を収録した『決定版 心をそだてる はじめての伝記101人[改訂版]』(講談社)。表紙カバーには田部井淳子さん、坂本龍馬、田部井淳子、マザー・テレサ、中村 哲、ベートーベン、渋沢栄一、スティーブ・ジョブズらが登場。

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