<静岡高校サッカー>28年前に県総体決勝に進出した静岡市立の主将が母校の監督に…後輩たちと描く青春時代の夢の続き
全国高校サッカー選手権県予選で2年連続初戦敗退が続いていた静岡市立が3回戦に進出した。チームを率いるのは、同校OBで今春満を持して監督に就任した一場健(46)。決して強豪とは言えない静岡市立が1996年度に難敵を次々と撃破して県高校総体決勝まで勝ち上がった時の主将だ。
1996年、小野伸二を擁する清水商業との決勝
1996年6月9日、伝統のグリーンのユニホームに袖を通した一場は日本平スタジアムのピッチに立っていた。全国高校総体まであと1勝。最後の障壁となったのは、”天才”小野伸二(元日本代表)を擁する清水商業(現清水桜が丘)だった。
決勝戦当日の静岡新聞は、静岡市立をこう紹介している。「肩書のある選手は皆無。だが、センターバックの松岡、中盤の一場、斉藤、トップの徳重を軸に、総合力で勝ち上がってきた。運動量の保持が勝利へのポイントになる」
静岡市立には、「21世紀の石原裕次郎を探せ」のうたい文句で2000年に開催されたオーディションでグランプリに輝き、今も俳優として活躍する徳重聡がいた。
「ラッキーだった。だから誰にでもチャンスはある」
試合は一進一退の攻防が続いたが、静岡市立は後半9分、警戒していた小野にFKのこぼれ球を拾われて失点した。静岡市立は徳重の高さを生かして再三相手ゴールを脅かしたが、決定機を生かせなかった。終了直前に追加点を奪われ、全国舞台はあと一歩で夢と消えた。
翌日の静岡新聞には、“一場主将”のこんなコメントが紹介されている。「入学した時、まさかここまでくるなんて、考えてもみなかった」
28年前に無名のチームが見せた快進撃を今、一場は冗談交じりに振り返る。「僕たちは雑草だった。組み合わせにも恵まれて本当にラッキーだった。同期が毎年集まると『あれはギャグみたいなもんだったよな』って話に必ずなる。本当にたまたま結果が出ただけ」
ただ、当時の思い出をひとしきり話した後、静かに言葉をつないだ。
「でも、そういうこともあるんです。だから選手たちには『誰にでもチャンスはあるんだぞ』って」
「高校サッカーはたったの2年」
一場は大学卒業後、榛原高や小山高で講師を務め、教員採用試験に合格。磐田農業高、新居高、金谷高、藤枝北高の監督を歴任してきた。これまでの学校とは違い、静岡市立はほとんどの3年生が大学進学を目指して5月〜6月の県高校総体を最後に引退する。
「この学校のほとんどの子にとって高校サッカーができるのはたったの2年。もしかすると、この2年生たちのほとんどが、今回が最後の高校選手権になる。チーム作りのサイクルもこれまでとは変わってくるので、自分もどうするのがいいか模索していかなければいけない」
試行錯誤を始めた中、最近は生徒たちの考え方や言動に対して気になってしまうことがあるという。
「母校だからこそ、自分と似ている部分をすごく感じるんです。プライドが高くて、自分本位で。きれいなサッカーをやりたがって、泥くさくなれない。サッカー以外でもそうやって生活してきて、自分は社会に出てからたくさんの失敗をした。鼻をへし折られた。
この子たちは身体能力も高いし、力もあるけれど、やっぱりそれだけでは駄目。自分が伝えていかなきゃいけないと思う」。試合中もピッチに向かって必死に怒声を響かせている。
「難しいけれど、一歩ずつ」
今年は3年生17人のうち2人が引退せずに残り、ピッチの内外でチームを支えてくれている。1回戦は沼津工業に1−0と苦戦したが、2回戦の浜松学院戦は7−0で圧勝。ここにきて攻撃陣が勢いづいている。
12日の加藤学園戦に勝てば、実に9年ぶりとなる3回戦突破だ。目標の決勝トーナメントに向け、3年生の酒井瑛大と橋本伊央利は「大学受験も目指しているけれど、高校サッカーは今しかできない。最後、悔いなく終わりたい」と口をそろえる。
新しい挑戦を始めた一場は、母校の後輩たちと28年前の夢の続きを見ることができる喜びをかみしめる。「まずは選手権決勝トーナメントや総体県大会に常に出場するようなチームになっていければいいなと思う。28年前の再現?難しいけれど、一歩ずつです」(敬称略)