#3 「死」について突き詰めて書いた作品――姜尚中さんが読む、夏目漱石『こころ』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
姜尚中さんによる、夏目漱石『こころ』読み解き
あなたは“真面目”ですか――。
自由と孤独に生きる“現代人の自意識”を描いた、不朽の名作『こころ』が誕生してから今年で110年。
『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』では、姜尚中さんが、他者との関係性に悩む登場人物たちの葛藤を読み解きながら、モデルなき時代をより良く生きるためのヒントを探ります。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第3回/全4回)
「孤独の時代」の始まり
では、そのような『こころ』において、漱石は何をもっとも表現したかったのかということについて、考えてみたいと思います。
少々大上段に構えたものいいになりますが、作家として漱石がデビュー以来一貫して描きつづけてきたテーマは、明治という時代の始まりによってもたらされた、いわゆる「近代的自我」と、それに起因する「人間の孤独」です。漱石が生涯になした仕事はこの一点であったと言っても過言ではありません。
たとえば、こんな言葉があります。
Self-consciousのage(自我の時代=引用者注)はindividualism(個人主義=同)を生ず。
Self-consciousness(自意識=同)の結果は神経衰弱を生ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり。
(「断片」、明治三十八、九年)
これらは先ほどあげた「先生」の言葉と響きあうものがあります。そうです。漱石は『こころ』において、「自由と独立と己(おの)れ」の代償として登場した「自我の孤独」を描いたのです。
すでにわたしは何度も言っているのですが、漱石はこの国のきたるべき未来について、たいへん鋭い予言をした人でした。
幕末・明治の開国以来、日本は世界的に見ても目覚ましいスピードで近代化しました。その進歩──といってよければですが──は日清、日露、両度の戦争で加速し、戦勝ののち、人びとは自分たちは「一等国」の仲間入りをしたと言って沸き返りました。
しかし、そのような空気の中で漱石は一人冷静に文明批判をし、作品の中でもあまり明るくない憂鬱な気分を描きました。国じゅうが浮かれているときに乗せられずに覚醒し、正しく先行きを危ぶんでいた。たいへんな先見の明だと思います。
漱石の文明批判といえば、日本の開化は「真の開化」ではなく、外から迫られた結果に過ぎぬ「皮相(ひそう)上滑りの開化」だと言ってのけたセリフが有名です。
我々の遣[や]つてゐる事は内発的でない、外発的である、是[これ]を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑[うわすべ]りの開化であると云ふ事に帰着するのであります、(……)我々の開化の一部分、或[あるい]は大部分はいくら己惚[うぬぼ]れて見ても上滑りと評するより致し方がない、併[しか]しそれが悪いからお止[よ]しなさいと云ふのではない、事実已[や]むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つて行かなければならないと云ふのです。
(講演「現代日本の開化」、明治四十四年)
「皮相上滑りの開化」という表現も見事に言い当てていますが、単純にダメだからやめろというのではない、これは時代の趨勢(すうせい)である、やむをえないことだから、自覚したうえで「涙をのんで滑っていけ」と言っているところがまたすごいのです。
そして、国民全員が涙をのんで滑っていく結果、やがてみな精神を病むだろうと漱石は言いました。事実そのとおりになりました。
現在、この国にはうつ病の方が百万人もいるといわれます。大人だけでなく子供の罹患(りかん)もそうとう増えているようですから深刻です。すなわち、漱石は現代の〝国民総うつ病〟の予言者でもあり、また言い方を変えれば、その始まりの風景がその小説の中に表現されているともいえるのです。
デス・ノベル
それだけにとどまりません。漱石はその果てにあるものとして、「死」についても考えていました。自我の肥大と、孤独の蔓延(まんえん)。その結果として人びとの心に死がしのびよってくることを、ある時期漱石はとても真剣に考え、一つの小説に結晶させました。それが、ほかならぬ『こころ』なのです。
少々遠回りになりましたが、先ほどわたしが問題提起をした答え──漱石は『こころ』において何をもっとも表現したかったかという答え──は、「死」だとわたしは思っています。『こころ』は孤独の果てにある「死」というものについて徹底的に突き詰めて書いた「デス・ノベル」なのです。
このようなとらえ方は、じつのところ他ではあまり聞きません。しかし、あながち間違っていないとわたしは思っていて、なぜならば、それはこの小説の主な登場人物を眺めるだけで明白なのです。「先生」が死にます。親友のKが死にます。「私」の父親も死にます。お嬢さんの母親も死にます。背景で重要な役目を果たしている明治天皇や乃木希典(のぎまれすけ)といった人びとも死にます。「先生」の妻である「お嬢さん」だけが例外ですが、それを除けば、生き残るのは「私」だけで、それ以外の登場人物は「全員死亡」なのです。こんなに死なせなくてもいいのにと不自然なくらい、ことごとく死ぬのです。漱石の小説を見渡しても、こんなに「死」に取りつかれている小説は他にありません。
では、『こころ』が漱石の唯一のデス・ノベルであるとすれば、なぜ、漱石はこのような小説を書いたのでしょうか。
その答えは、漱石がどのような時期にこれを書いたのかということから、かなりのことが想像できます。
一つは、漱石自身の“臨死体験”です。漱石はその五年くらい前から持病の胃潰瘍(いかいよう)が悪化し、何度も重篤(じゅうとく)な事態に陥(おちい)っています。なかでも明治四十三年(一九一〇)は深刻で、洗面器一杯の血を吐いて、本人も周囲も“覚悟”しました。一般に「修善寺(しゅぜんじ)の大患(たいかん)」と呼ばれているものです。その後、毎年のように危機が訪れ、『こころ』執筆中の大正三年秋にも倒れました。自分自身の命の危機は、創作にも当然、そうとう大きな影響を及ぼしたはずです。
もう一つ、大きな背景があります。それは、小説の中にも出てきますが、明治天皇の崩御と明治時代の終焉です。漱石自身は明治の始まりとともにこの世に生をうけた「明治の子」です。ゆえにそのピリオドが打たれたとき、ものごとの「終わり」ということについて、きっと深く考えたと思うのです。
「煩悶青年」藤村操
そのような理由において漱石がデス・ノベルを書こうとしたとして、わたしはその頭に浮かんでいたのではないかと思われるキーワードを二つ、想像しています。
一つは、明治三十六年に「巌頭之感(がんとうのかん)」という遺書を残して華厳(けごん)の滝に身を投げた旧制一高の青年、藤村操(ふじむらみさお)のことです。その遺書は「萬有(ばんゆう)の真相は唯(た)だ一言(いちごん)にして悉(つく)す、曰(いわ)く『不可解』。我この恨(うらみ)を懐(いだ)いて煩悶(はんもん)、終(つい)に死を決するに至る」といった具合に抽象的で、死の具体的な理由はわかりませんでした。それだけに、有為(ゆうい)のエリート学生が哲学的な煩悶から命を断ったとして世に大きな衝撃を与えました。そのあとを追って同所で自殺を図る者が相次ぎ、「煩悶青年」という流行語をもって社会問題となりました。
それと漱石がどう関係するかというと、この藤村青年は当時一高の英語教師だった漱石の教え子だったのです。伝えられるところによると、その少し前、漱石は藤村青年を叱責(しっせき)したことがあり、その自殺を知ったときは、自分のせいではなかろうかと悩んだといいます。漱石自身もその後神経衰弱(ノイローゼ)となりますが、藤村青年の自殺もその一因ではないかといわれています。
藤村青年のことは、『吾輩は猫である』や『草枕(くさまくら)』にもちらちらと言及がありますし、「水底の感」と題する藤村青年をしのんだ詩を作って、教え子の寺田寅彦(てらだとらひこ)に送ったりもしています。藤村の恋人が先立った彼を想って水底にたゆたうロマンチックな作品です。
水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、長く住まん、君と我。/黒髪の、長き乱れ。藻屑もつれて、ゆるく漾[ただよ]ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。/うれし水底。清き吾等に、譏[そし]り遠く憂透らず。有耶無耶[うやむや]の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。
(寺田寅彦宛て書簡、明治三十七年二月八日)
このくらいこだわっているのですから、漱石の中で彼の死があとあとまで尾を引いたことは間違いなく、作品にもかなり影響したと思います。
じっさい『こころ』の中にはそのような藤村青年と重ね合わせたくなる人物が出てきます。「先生」の友人のKです。Kは下宿先のお嬢さんを「先生」ととりあう形となって自殺しますが、その死は失恋のみが理由ではありません。優秀な青年が哲学的に思い悩んだ末に命を断つという、まさに「煩悶青年」のそれなのです。
先ほどわたしは、「自我の孤独」は明治という新しい時代の特徴であったと言いましたが、その延長にある藤村青年のような命の断ち方もまた、明治という新しい時代の特徴でありました。なぜなら、明治以前の封建時代には、このような理由による自殺は存在しなかったからです。江戸時代にあった自害は「借金」や「道ならぬ恋」といった物理的な事情、あるいは「武士の名誉」にかかわるようなものであり、思想的な理由によって命をなげうつことは、まず考えられませんでした。
それから百年後の平成の現在、日本人の自殺者は年間およそ三万人で、うつ病の増加と並んでたいへん深刻な社会問題となっています。ですから、先ほどの言い方にならうならば、今日的な自殺の始まりの風景も、漱石の小説の中にあると言ってもよいのです。
Kの死については、このあとの第3章でも詳しく触れたいと思います。
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著者
姜尚中(カン・サンジュン)
政治学者、東京大学名誉教授。国境を超越し、「東北アジア」に生きる人間として、独自の視点から提言を行っている。著書に『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『ナショナリズム』『姜尚中の政治学入門』『日朝関係の克服』『悩む力』『続・悩む力』『心』『心の力』など多数。
※全て刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』(姜尚中著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本文中の漱石の作品からの引用は、すべて岩波書店刊『漱石全集』(一九九三~九九年)によっています。原稿のルビのほかに、読みやすさを考慮して編集部によるルビを[ ]でくくって付けました。その読みは現代仮名遣いにしています。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2013年4月に放送された「夏目漱石 こころ」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「「心」を太くする力」などを収載したものです。