『鬼滅の刃』物語スタートはいつ? 鬼舞辻無惨が鬼になったのは『源氏物語』よりも前!? 蝶屋敷の総滞在期間はどのくらい? 人気作品を現実の年表と合わせて考察してみた
家族を鬼に殺された主人公・竈門炭治郎が、鬼となり生き残った妹とともに、鬼たちの祖である鬼舞辻無惨を倒し、妹を人間に戻すため奮闘する『鬼滅の刃』。
物語は大正時代が舞台なのですが、ストーリー中では数百年前に遡ることもしばしば。筆者はかなり本作を読み込んでいるのですが、そうすると気になってくるのが、実際に何年頃の出来事なのかということ。
そこで『鬼滅の刃』を時間軸に注目して考察してみることに。物語のスタートした年代に加えて、鬼舞辻や上弦の鬼たちが鬼になったのはいつごろなのか、またその頃の日本ではどんなことが起きていたのかを調べてみました。
さらに、漫画やアニメでは実感しづらかった炭治郎が蝶屋敷で過ごした期間や柱稽古の期間などについても考察。最後には年表も掲載していますので、ぜひ時系列で『鬼滅の刃』の物語を楽しんでみてください。
※あくまでライターが個人で調べ、考察した内容となります。作品公式が発表している内容ではありません。また、ネタバレ要素が含まれますのでご注意ください。
【写真】『鬼滅の刃』を現実の年表で考察してみた|鬼舞辻無惨が鬼になったのは『源氏物語』よりも前!?
物語開始は1911年末
炭治郎が町に炭を売りに行き、翌朝家に戻ると家族は惨殺され、妹は鬼に……。そうやって始まった本作。この出来事が起きたのは1911年末頃だと考えられます。
年代特定のヒントとなったのは、炭治郎が最終選別で討伐した首鬼の発言です。炭治郎の師匠である鱗滝に捕らえられた首鬼は自分が捕まった時期のことを「忘れもしない四十七年前 アイツがまだ鬼狩りをしていた頃だ 江戸時代…慶応の頃だった」と言っています。
慶応の和暦が使われていたのは1865年から1868年の4年間。さらに、慶応は江戸時代最後の元号であり、1868年の半ばから明治時代に入っているため、江戸時代かつ慶応の頃というのは1865年から1867年の3年間に絞られます。
このことから、炭治郎の参加した最終選別は1912~1914年のあたりだと推測することができました。さらに、炭治郎一家が鬼に襲われてから最終選別に参加するまでおよそ2年の月日が経っているため、鱗滝左近次に弟子入りしたのは1910~1912年頃でしょう。
大正時代が1912年7月からであることを鑑み、私は弟子入り時期を1912年だと仮定しました。
そして、物語開始直後の炭治郎が「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたい」との理由で炭を売りに行っていることから、年末だと推測。よって、物語の開始時期は1911年の末頃だと結論付けました。
物語開始時点の炭治郎は13歳なので、彼は明治時代の生まれということになりますね。
鬼舞辻無惨が鬼になったのは900年頃
平安時代に生まれ、鬼になったことが明らかとなっている鬼舞辻。物語の中で彼は、「この為に千年増やしたくもない同類を増やし続けたのだ」「この千年神も仏も見たことがない」など、自分が1000年間活動してきていることをたびたび口にしています。
炭治郎が鬼殺隊として活動している頃が1914年から1915年頃であるため、鬼舞辻が鬼になったのは900年頃だと考えられるでしょう。
国風文化が発展した平安時代を象徴する作品として紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』が挙げられますが、これらの文学作品が生まれたのが1000年頃とされているので、鬼舞辻はそれよりも前から生存していたことになります。
新しいものを学ぶことを好んでいるようなので、これらの文学作品も読んでいそうです。
ちなみに『平家物語』で有名な源平合戦は平安末期の出来事。この時すでに鬼だった鬼舞辻は、時代の動乱を陽の当たらない場所から眺めていたかもしれませんね。
蝶屋敷での総滞在期間は9~10か月ほど
任務で負傷するたびに蝶屋敷で治療を受けたり機能回復訓練を行ったりしていた炭治郎。その総滞在期間を計算してみたところ、なんと9~10ヶ月ほど思っていたよりもかなり長かったです。
初めて蝶屋敷に行った那田蜘蛛山での任務後、炭治郎は全身に切り傷や擦り傷がある他、体中筋肉痛で肉離れを起こしていました。肉離れは中等症であれば1ヶ月前後で治るそうなので、まず休息にひと月。さらに、機能回復訓練と全集中の呼吸・常中の会得に少なくとも44日を使っています。よって、この時は短くとも2ヶ月半程度滞在。
次に蝶屋敷にお世話になったのは無限列車での任務後。戦いの傷が癒えてからも、蝶屋敷で毎日の鍛錬を行い、蝶屋敷を拠点にして合間に入る鬼討伐任務に出かけています。このときは4ヶ月間滞在していました。
その後、遊郭で上弦の鬼の討伐に成功した炭治郎でしたが、重傷を負い、蝶屋敷で2ヶ月間昏睡状態に。目覚めた後は1週間で復活。さらにその後の刀鍛冶の里での戦闘後は、7日間意識を失っていました。
全ての期間を合わせると蝶屋敷で過ごした時間は9~10ヶ月となります。さらに、鬼舞辻との最終決戦の後には治療のため3ヶ月間滞在しており、それを合わせると1年以上蝶屋敷で過ごしていることに。
家族を失って苛烈な戦いに身を置く炭治郎でしたが、安心して過ごせる蝶屋敷は身体だけでなく心の傷も癒してくれる場所だったのではないでしょうか。
柱稽古の期間は1ヶ月ほど
最終決戦前に行われた柱稽古。一般隊士たちが柱の元を順に回り、一定期間稽古をつけてもらうという内容でしたが、炭治郎が柱稽古に使った時間はおよそ1ヶ月ほどだと思われます。
宇随の元で10日間、時透の元では5日間、伊黒の元では4~5日程、悲鳴嶼の元ではおそらく10日間ほど稽古。甘露寺邸の滞在期間ははっきりと示されていないものの、文通相手の伊黒が稽古の様子を聞いているようなので、少なくとも4-5日は滞在していると考えられます。不死川とは玄弥のことで大乱闘に発展してしまったためおそらく1日で稽古は中止に。
全ての日数を合計すると、34~36日となり、およそ1ヶ月柱稽古を行ったと考えられます。もちろん、各柱邸はある程度距離がありそうなので、移動に1日から数日かかることを想定すると1ヶ月半ほどを要している可能性もありますね。
※下記には重大なネタバレが含まれます。
継国巌勝・縁壱兄弟が生まれ、黒死牟が誕生した室町時代
のちに上弦の壱・黒死牟となる継国巌勝、そして始まりの呼吸の剣士である双子の弟・縁壱が生まれたのは室町時代の頃です。
根拠となるのは黒死牟が無限城で悲鳴嶼たちに討伐されそうになった際の回想シーン。今(1915年)から400年前に、鬼となった黒死牟は老いさらばえた弟・縁壱と60数年ぶりに邂逅し、80歳を超えてなお生きている弟の姿に驚愕します。
1915年の400年前ということは、2人が巡り合わせたのが1515年、さらにそこから80年以上前の1435年頃に継国家の双子が生まれた計算に。1435年は室町時代にあたります。
室町時代は1336〜1573年で、1400年代に入ってからは明(中国の王朝)との貿易が始まり、1404年には金閣寺が建立されました。1400年台後半からは戦国時代に入っていく時代でもあり、幼い巌勝が国中で一番強い侍になることを夢見ていたのも納得ですね。
そして生まれてからおよそ20年後、2人は鬼殺隊の剣士となります。おそらく1455年前後の頃でしょう。その後、兄の巌勝が鬼となり、黒死牟が誕生しました。
ちなみに、縁壱は鬼狩りとなってまもなく鬼舞辻に遭遇しますが、このとき既に鬼になった珠世を連れていました。このことから、珠世も室町時代以前の生まれであることがわかります。
猗窩座が鬼になったのは江戸時代後半
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』のメインキャラクターである猗窩座。彼が鬼になったのはおそらく江戸後半頃だと思われます。
猗窩座は死ぬ間際に「百年以上無意味な殺戮を繰り返し」とモノローグで語っているため、1915年から100年ちょっと遡るとすると、1700年代後半から1800年くらいでしょうか。1603年から1867年と長く続いた江戸時代の後半に当たります。
その頃日本は鎖国状態にありましたが、1800年頃はロシアやイギリスから度々通商を迫られるなど、世界的に国同士の交流が活発化し始めている時期です。そうは言っても、鬼となった猗窩座にはきっと興味のないことだったでしょうけれど。
なお、妓夫太郎と堕姫の前に上弦の鬼が討伐されたのもほぼ同時期の1800年頃のことのよう。上弦の鬼たちが無惨に招集された際、無惨が「113年ぶりに上弦を殺された」と口にしていたためです。
猗窩座は一度招集されたことがある様子でしたので、猗窩座は鬼になって間もなく上弦の地位につき、その後に上弦の鬼が討伐されたと推測されます。その空いた上弦のひと席に妓夫太郎と堕姫が座ったのだと私は考えています。
時代や時系列を調べるのも面白い!
1000年に渡り、人々が想いを繋ぐ姿が描かれる『鬼滅の刃』。その長い月日を紐解いていくと、人々の想いの強さを感じるとともに、宿敵である鬼舞辻がどれだけ長い時間を生きてきたかが実感でき、物語が立体的に感じられます。
また、実際の日本史と見比べてみると時代背景やキャラクターの理解にも繋がり、一層物語を楽しむことができました。今回はあくまで筆者個人で調べて考察した内容ですので、興味がある方は是非ご自身でも一度調べてみてはいかがでしょうか。