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“妊娠高血圧症候群”と“産後パニック障害”を発症した、第2子出産の壮絶な日々

たまひよONLINE

4歳の娘と1歳の息子の子育てに奮闘しながら、フリーランスで仕事をしているママライターのTomomiです。32歳の頃、長女とともに赤ちゃんの誕生を心待ちにしていた妊娠中に起こった大きなトラブル、それは“妊娠高血圧症候群”の発症でした。

まさか自分にこんな事が!?想定外の出産劇


出産を目前に控えた妊娠35週目のこと、風邪が長引いて咳喘息になり、予定していた帝王切開手術は延期に。1週間後に控えた手術予定日に備えて体調を整えようとしていた矢先、突然のめまい・頭痛・動悸・だるさ・血圧上昇がみられ、かかりつけ医で“妊娠高血圧症候群”の診断がおりました。

かかりつけの産科では“危険”と判断され、総合医療センターへ自家用車搬送。そうこうしていると陣痛まで始まってしまい、手に汗握る状況の中、緊急帝王切開となりました。総合医療センター到着から2時間後には、息子が誕生していました。

想定外はまだまだ続く。私の心がボキっと折れた瞬間


無事に息子を胸の上に抱き、安堵した直後、突然手術室の天井がぐるぐる回る程のめまいに襲われ大パニック!!目を閉じても開けても大回転は続き、今にも暴れだしそうな自分。妊娠高血圧症候群の恐怖はここから始まりました。先生に「眠りますか?」と聞かれ、「はい!」と即答。すぐさま麻酔追加の処置をされ、その後の閉復手術の記憶はありません。

目を覚ますと、県外から車を飛ばして来た両親の姿があり、涙が出るほどホッとしました。
術後は、めまいがとまらず、目も開けていられない時間が続きました。4時間ほどで下半身の麻酔は切れ、足も動かせる様になったものの、30分おきに自動で動き出す、腕に巻かれた血圧計、モニターや点滴を確認しに来る看護師さんの物音、こんなにも夜が長いと思った事は無いくらい、眠れぬ夜を過ごしました。

右手に2種類、左手に2種類の点滴、血圧計と心電モニターの管、血栓予防の足の機械、尿管、背中の麻酔、とにかく全身管だらけに繋がれて、身動きが取れない苦痛は想像を絶するものでした。何よりつらかったのは家族に会えない孤独でした。夫と娘は、私がいない日常を送るだけで精一杯で、ほとんど面会にも来られず、「つらいよ」と話す相手すらいなかったのです。

そんな日が2日続き、ようやく起き上がれるようになったのは手術から3日目でした。午前中はなぜだか涙が出てきて、ついに息ができなくなりパニック発作。目の前のナースセンターに駆け込み、「息ができない」と伝えるとみんな大慌て。車椅子でベッドに戻され、血液中の酸素量の目安となるサチュレーション(酸素飽和度)の確認。実際には息はできているのに息ができない…。これが“産後パニック障害”の発症の瞬間でした。

長く先の見えない産後パニック障害と“闘いの日々”


発症から退院までの1週間はとても過酷な日々でした。夜になると不安で眠れず睡眠導入剤を処方してもらい、外出許可が出され、外部の精神科も受診し安定剤を処方されました。1人でエレベーターにも乗れず、突然襲ってくる不安や動悸、パニック発作でナースコールを押してばかり。夕方の娘との面会が私の癒しの時間でした。

最後の数日はようやく母子同室がかない、睡眠導入剤を飲んでいる時間以外は一緒に過ごすことができました。迎えた退院の日、降圧剤、安定剤、睡眠導入剤、痛み止め、咳喘息の薬と、大量の薬を処方されて帰宅となりました。

初めの1週間は母が泊まりこみでサポートをしてくれましたが、たった15分1人になる事すらできない精神状態でした。母が帰宅し、今度は夫が有休を使ってサポートしてくれ、本当に家族の支え無しでは乗り越えられなかった産後だったと痛感しています。

産後1ヶ月頃には、安定剤を飲んでいれば1人で育児をする事ができるようになり、半年後には夫の出張で不安な夜も、1人で育児をしながら乗り越えられるように。人混み、エレベーター、車の後部座席、閉所恐怖症、夫の長期出張と、家族や友達に助けられながら、1つ1つ不安をクリアしていく毎日でした。

大変な状況の中、37週3日、2812g・52cmで息子は元気に生まれました。パニック障害発症からの1年はとても壮絶で、自分の症状に途方に暮れ、夫と一緒に泣いた日もありました。ようやく発症から1年後に、安定剤はお守り代わりとなり、月に1度飲むか飲まないかという状態まで回復しました。パニック障害と闘い、子ども2人の育児に追われ、かわいい盛りの子どもたちとの1年を心から楽しめなかったのは、本当に悔しいです。でも、病気を乗り越えたからこそ得られた事もたくさんで、家族の大切さと支えてくれた友達の温かさを感じ、「今の自分はなんて幸せなのだろう」と、感謝の気持ちでいっぱいです。

[Tomomi*プロフィール]
20歳で日本を飛び出しオーストラリアで就職。現地で出会った旦那を日本に連れ帰り、茶畑に囲まれたのどかな土地で一姫二太郎の育児に奮闘中!
趣味の“旅行”“フェス”“アウトドア”に子どもたちと行きたいと妄想しながら、現在は“パン作り”“園児が喜ぶお弁当作り”“手芸”に挑戦中の35歳、在宅ママライター。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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