【温泉俳優・原田龍二インタビュー】温泉に持っていくものは一つ。まっさらな心
各地の温泉地から道路沿いの公衆浴場まで、数えきれないほどの湯めぐりをする“温泉俳優”原田龍二。何度も行きたい名湯やひとり旅におすすめの温泉、そして目に見えない世界へ旅する練習!?まで、原田流ありのままジャーニー。
原田龍二
はらだりゅうじ/1970年、東京都生まれ。1992年に芸能界デビュー。2003年、『水戸黄門』の5代目助さん役に抜擢される。多くの映画や舞台、ドラマ、バラエティ番組でも活躍中。趣味は温泉、サンセットコーディネート、神社めぐり、精霊探し。YouTubeチャンネル 原田龍二の「ニンゲンTV」も必見。
“温泉俳優”を名乗るきっかけは、あの温泉
——現在、八丈島の温泉大使を務める原田さん。日本全国の温泉をめぐる“温泉俳優”になられたのはいつでしょうか?
原田 2013年に旅番組で、熊本県の「満願寺(まんがんじ)温泉」を訪れたのがきっかけです。
そこは川の中に湧いている温泉で、地元の人が野菜や食器を洗う生活用水でもあるんです。脱衣所も特になく、湯船から見上げると道路で車を洗っているおじさんと目が合って。ん? いま、恥ずかしいのはどっちだ… ? と思いながらも、気づくとおじさんと楽しく話している自分がいました。
「こんなふうに日常に溶け込んだおもしろい温泉があるんだ」って。感動のあまり「俺もう温泉俳優でいいや」と、思わず口から出たのが始まりです。これまで行った温泉は200カ所か400カ所か……わからない(笑)。数はともかく、いろんな種類の温泉に出会ってきたと思います。
給仕してくれた方と運命的な出会い
——何度も行っている温泉は?
原田 僕、秋田の乳頭(にゅうとう)温泉郷の『鶴の湯温泉』が大好きで、5回は行っています。お湯に浸かった瞬間、温泉の胎内に入ったようで。 「もう逃しませんよ。ご自由にどうぞ。どれだけ私を好きになってもいいですよ」って温泉の声がして、「ああそうですか……」と異次元に誘われます。
初めて行ったときに給仕してくれた方が、僕より少し年上の「大前さん」っておじさんだったんですが、初対面で相性がいいと直感し、僕からアプローチしまして。
「今日、何時に仕事終わります? 僕、起きて待ってるんで、二人で風呂入りませんか?」と。僕の思いにこたえてくださいました。
——湯船ではどんなお話を?
原田 生い立ちなども一応聞きましたが、目の前のその人がすべてですから。心地よく時間を共有し、湯上がりにはきれいな星空を一緒に見ました。家でもさんざん大前さんの話をしてますから、家族を連れて行きましたよ。だから『鶴の湯温泉』は“大前さんに会う”というテーマもあるんです。
——まさに運命の出会いの温泉ですが、ひとり旅で行くなら?
原田 まず、青森県黒石市の『ランプの宿 青荷温泉』ですね。ここは携帯電話やネットがつながらず、テレビもありません。デジタルデトックスしたい人にも最高です。暗くなると、宿の方が部屋にランプをつけて回り、旅情を掻き立てられます。
原田 でも僕は、純粋なひとり旅ってないと思うんです。体一つで行っても、人との出会いがないと旅は豊かにならない。 そこで、栃木の那須湯本にある『鹿の湯』です。
ここ、ちょっとしたアトラクション気分が味わえるんです。広い浴室の扉を開けるといくつか湯船があり、奥に行くにつれて湯が熱くなるんです。
42度、43度……そして48度のところに、牢名主(ろうなぬし)みたいな方々が、ゆでだこのような顔で水と砂時計を持っていらっしゃる。僕を手招きし「48度に入らないとこの温泉に入ったことになりませんぞ」と。
その湯に手を入れてみるんだけど、2秒も入れてられない。ここに? 全身!? 入るのか……! 入らないと帰れない……。いや、入らないと帰らないぞ! と。
正しい入浴法は砂時計を逆さにし、まず腰まで入り1分。次に胸まで1分。最後、首まで浸かり1分。この3分が長い。もう震える熱さ。そんなお湯に入ることで、地元の方と熱い交流ができます。
——ちなみに、温泉に必ず持って行くものはありますか?
原田 まっさらな心。あとビーサンだけ。あちら(温泉)も生きてますからね。新鮮な気持ちで出会いたいので、下調べはしません。
例えば、和歌山の世界文化遺産の「つぼ湯」は色が変わりますし、屋久島の「平内(ひらうち)海中温泉」は干潮前後だけ現れる温泉です。
行けば必ず出会える、入れるというものではありません。お互い生きもの同士、相性もありますけれど、こちらがあちらに合わせるのがやはり礼儀ですよね。
座敷わらしさんを探し、一緒に暮らす
——「座敷わらし」を探す旅番組でも原田流の礼儀を感じます。
原田 はい。26~27カ所行っているんですが、まだ座敷わらしさんに会えたことはないんですよ。ただ、2018年に秋田の『からまつ山荘』を訪れたときのことです。
撮影が始まる前、僕はスタッフが持ってきたラジコンで遊んでいたんです。座敷わらしさんが興味をもってくれたらいいなあと思って。準備が整ったのでラジコンのスイッチを切り、部屋には僕一人が残り、撮影が始まりました。
夜9時頃から、僕は「いらっしゃったら音をたててください」と、座敷わらしさんに声をかけ続けました。午前1時頃、急にモーターが動くような音が鳴り、スイッチが入っていないラジコンがビュン! と目の前を走ったんです。何台ものカメラも捉えていました。
——それは衝撃体験です……!
原田 その後、縁あって“みやこ”という座敷わらしさんを預かり、家族として2年半以上、一緒に暮らしています。
——座敷わらしさんの、養女?
原田 そうです。姿が見えることもなく、僕自身はコミュニケーションもとれないんですが。
ある日、娘がワイヤレスイヤホンの片方がなくなって、どこを探しても見つからないと。試しに、みやこに問いかけてみたんですが、やっぱり返答はない。
そこでみやこを僕に託してくれた方に連絡し、代わりに聞いてもらったら「リビングにある」と言っていると。あったんです! 偶然かもしれないけど、みやこが教えてくれたと僕は思っています。
——家族はそんなお父さまをどんなふうに?
原田 ヘンな親父って思ってるのかなあ。でも娘はかなり興味があるようで、近所の男友だちが「パパのYouTubeを見てるよ」と言うので、「じゃ、みんなで中学卒業記念に心霊スポットに行くか!」と一緒に出かけたことはあります。もちろん、親御さんの許可をいただいてね。
いろんな旅をするため、幽体離脱を練習中
——『世界ウルルン滞在記』はじめ、旅番組では世界各地へも?
原田 モンゴルやラオスなど全部で10回以上行きましたね。忘れられないのは、南米のヤノマミ族。言葉が一切通じないのに、一緒にいてすっごく心地いいんですよ。
猟に行ったり、ハチの巣に石を投げて遊んだり。夜は森の中にある円形の住居のハンモックで一緒に眠って。
別れのとき、ヤノマミ族のリーダーは「なんで帰るんだ!」と声を荒らげ、僕に懐いてくれていた子ども3人は、何かを察して姿を見せませんでした。涙の大合唱で見送られたのは20年以上前。
向こうも覚えていてくれているんじゃないかな。 自分と特別な縁があるところにしか旅に行かないと思いますから。
——今後はどこに旅をしたい?
原田 宇宙的な移動がしたいです。僕らは太古から旅人だったと思うんです。もっともっといろんな旅ができる。そう思って、いま幽体離脱の練習をしています。
——幽体離脱!! 練習法は?
原田 感覚的なことなので言葉にできないんですけど、いろいろ検索すると、起きている状態から寝る寸前がポイントみたいです。
僕、人はみんな死後の世界に向かって旅をしてると思うんですよね。でも死を意識すれば、いま生きていることに尊さが現れる。この一瞬も貴重だし、何か嫌だという感覚でさえ大切に思える。
死んでからは、また次のステージがある気がします。だからこそ死と近いとされる場所には、何か学びがあるんじゃないかって。心霊って特殊なカテゴリーじゃない。僕らもやがて行くんですから。
——なぜ、YouTubeの番組タイトルを「ニンゲン」TVに?
原田 ときどき「ドラマ『相棒』に出てましたね。原田さんは俳優さんなんですね」と言われるんですが、それでいいんです。肩書きが「ニンゲン」ならなんでもできます。だって旅も座敷わらしさんもお芝居も、全部楽しいですもん。
ニンゲンに生まれたからには、やっぱり「NO温泉 NO人生」。
着替えるところがないような露天風呂でも、好きだ! と思えば入ればいいし、恥ずかしいと思ったら入らなくていい。温泉は懐が広いですから。
入りたい人だけ、入りなさい。
——いまのは温泉の神の声?
原田 あ! ニンゲンとか言ってるくせに、つい熱くなり、神の目線になってしまいました(笑)。
聞き手=さくらいよしえ 撮影=平岩 亨
『旅の手帖』2024年2月号より