大分トリニータ 希望に満ちた旅立ち 梅崎司インタビュー 【大分県】
11月3日、大分トリニータのホーム最終戦。その前日に契約満了が発表された梅崎司は、ラストゲームのピッチに立ち、20年間のプロ生活に幕を下ろした。
選手としての可能性はまだ残されていたが、次の夢に向かってその思いはすでに走り出していた。優れた指導者たちの下で学んだこと、厳しい世界を生き抜いた経験を次世代に伝えたい。ラストゲームの後に、その思いを語った。
Q:ホーム最終戦後のセレモニーでは「引退」という言葉を使われませんでしたが、そういった内容の話でしたね。
そのつもりでプレーしました。契約満了という形でリリースが出たのは、(引退かどうかを)決断できる時間の猶予がなかったからです。ただ、契約満了の話を聞いて3日でホーム最終戦を迎えることになり、短期間で決断できたのは逆によかったと思っています。いろいろな方にお会いして、知見や考え方、経験談を聞かせてもらって、この数日間は人生を凝縮したような時間でした。
Q:現役を続ける可能性は?
昨日(2日)まで次のチームを探そうかと考えていたのですが、指導者になることについてはずいぶん前から考えていました。選手として続けたい気持ちがあるのであれば、絶対にやめない方がいいという意見もたくさんもらいました。僕自身もコンディションさえ戻れば、まだやれると思っていた。そういうつもりで直前まで練習をしてきたのですが、やり切ったと思える感情が(次第に)出てきました。
正直なところ、体が悲鳴をあげていました。けがが多いし、コンディションをつくれない。コンディションをつくれたとしても、またどこか他の部分をけがするのではと思ってしまう。(ホーム最終戦の1週間前の)練習試合の後に左もも裏を負傷したのですが、体がシグナルを出しているんだと思いました。そこが(現役を終えようと思った)全てでした。
Q:ホーム最終戦は痛み止めの座薬や局所麻酔などを打ち、満身創痍(そうい)の状態であったと聞いています。
もうアドレナリンだけでは痛みをごまかせない状態でしたが、何としてでもホームのピッチに立ちたかった。もうサッカーができなくてもいい。そんな思いだけでした。
最後の勇姿を見せた梅崎司
Q:チームメートは梅崎選手をピッチに立たせようと思い、戦っていましたね?
はい、十分に伝わりました。試合前のロッカールームで「これが俺のラストゲームになる。みんなで勝ちたい」と伝えました。2点を取り、最後に出番をつくってくれた。ベンチに入れてくれた監督にも感謝しています。75分過ぎた頃から僕のチャント(サポーターの応援コール)も聞こえましたが、あの時間からピッチに出ていたら最後までプレーできなかったかもしれませんね(笑)。
Q:そこまでけがの状態が酷かった?
走れる状態ではなかったです。ここ数年はけがが多く、選手を辞める覚悟というか、引退が隣り合わせでした。それは湘南時代からずっとです。自分がプレーできると思っていても、活躍していてもベテランはクビになることもある。そのような状況で毎年、毎日、毎試合、全力でやってきた自負がある。自分と向き合ってサッカーに取り組んできました。だから「俺はやり切った、十分やった」と思えました。
Q:プロキャリアをスタートした大分で現役を終えることができたことについては?
幸せです。その一言に尽きます。
Q:今後については?
指導者の勉強をしたいと思います。僕のサッカー人生は苦しいことの方が多かったけど、やっぱりサッカーが好き。これからもサッカーの現場にいたい。サッカー以外の仕事をしたことがないので分かりませんが、ここには日常では得られない喜びや感動がある。そこに行き着くまでは辛く、乗り越えなければいけないことがありますが、その期間があるからこそ喜び、感動が待っている。僕はそれをいっぱい経験し、教えてもらいました。だからこそ、多くの選手に伝えたいし、今後も違った立場で喜びや感動を味わいたいと思っています。
Q:選手として悔いなし、そんなすがすがしさを感じます。
大分に復帰して、これまでと異なるサッカーに触れ、プレーでも違った色を出せたと思っています。今季は苦しいシーズンでしたが、指導者となったときに役立つような経験ができたと思います。今は肩の荷が降りた。重いものを背負っていたのかな。気持ちが楽になりました。ただ、セレモニーで言い忘れたことがあって。「今度は監督として大分に戻ってくる!」とファン、サポーターに伝えたかった。それだけが心残りです。
仲間に胴上げされ、宙を舞った
(柚野真也)